第9話 激怒する


 頭がふらふらする。


 陽は完全に沈んでいた。あの後のことはあまり覚えてないけど、暗殺者たちは皆捕縛されて、無事赤ちゃんが生まれて、屋敷も消火されて、死者は一人も出なかった。




 そう、つまりお父様も生きている。


 私が騒ぎに紛れて発火能力を使わなかったことと、奥様のことがいち早く知らされていたおかげだと思う。愛する人の無事が確認されていたから無謀なこともしなかったってこと。ま、よかったじゃない。


 愛する子どもにも無事出会えた訳だし……小説では赤子は亡くなってしまうのだから。


生まれた子は元気な女の子だったんだって。お父様は泣きながらものすごく喜んでいたらしい。私は奥様が無事に出産後、すぐにその場を離れたからお父様には会ってないけど、会わなくてよかったかもね。








「はあ……疲れた」






 なんて盛り沢山な一日だろう。


 めっっちゃ疲れた。全焼した訳じゃないけど、火事の起きた屋敷にはしばらくいられない。


 だからいつもと違う別邸の一室に移動したわけだけど……それすらけっこう疲れる。いつもと違うってだけで、心が安まらないわね。まあ、いつも通り傍には使用人の一人いないけれど。




 驚くことにというか面倒なことにというか、王太子殿下も今日はこちらに滞在しているらしい。


 あのまま帰ったらよかったのに。ていうか帰って欲しかったのに。出産を終えた頃にはいなくなってたから帰ったと思ったのに、まさかここに滞在しているなんて。






 あのアグニという人物のことも気にかかる。


 相当危険な男だもの。隙を突いて運良く一撃を食らわせられたけど、次もできるかはわかんないし……聖騎士の特殊能力があれば抑えつけられそうだけど、なんか……体の構造が人と違うように見えた。いや、根本的にはそりゃ人間なんだけど……筋肉の動きとか、心臓の鼓動とかそういう……中身が。異質だったのよね。まるで何かに造られたかのような……すごく気持ち悪い感じ。


 


 あれが正真正銘の化け物ってこと?


 


 ……でもな、私に言われてもって感じだよね。私の体も、人のこと言えないくらい気持ち悪いだろうから。








 はあ……考えるの面倒くさい。やめよう、後のことは騎士たちがなんとかしてくれるでしょ。私には関係ないない。


 誰か労ってくれないかな。こんなに頑張ったのに。まだ誰も「ありがとう」の一言もないもんね。










 ドカドカドカドカッ




 煩い足音が聞こえてくる……。だんだん大きくなってるし。


 嫌な予感MAX。








「フレアあああああ!!!」






 あー……面倒くさ。






 地獄の閻魔様ってこんな顔してるのかしら。


 私一回死んだ後多分きっと地獄に墜ちてると思うんだけど、こんなのに会った記憶がないのよね……。恐ろしすぎて記憶から飛んだのかしら。それとも斬っちゃったのかしら? ああ、すごい疲れててこんだけ怒ったお父様のお顔見てもなんとも思わないわー……。










「今回の件、貴様が仕組んだことだろう!! さっさと白状したらどうだ!!!」










 はああああ?


 なんでそうなるわけ!?






 思わずものすごい顔でお父様を睨みつけていた。お父様の後ろで、ルカは「ち、違います! フレア様は僕たちを助けて――」エイトは「今回に関してはさすがに誤解で……」と止めにかかってくれているけど、怒りに顔を赤くしたお父様には聞こえてないみたい。王太子殿下は何も言わずに興味深そうに成り行きを見守っているし……こいつ、いつも人ごとなんだから……彼が一言言ってくれたらさすがにお父様だって躊躇するでしょうに。








「はあ~、もうやめてよ。疲れてるんだから……」


「フレア!! いくら貴様でも今回は許さないぞ! 屋敷を燃やそうとしたばかりか……ソフィアを……」


「公爵閣下! 屋敷の火は捕縛した犯人たちの仲間がやったものと思われます! フレア様は火の手が上がった時我々とおりましたし……」とエイト。私を援護するなんて意外すぎる。あいつ、ちょっとはいいところあるじゃない。


「関係ない! 離れていてもこいつならば火をつけることは可能だろう。それにあの異常な火の燃え具合、発火能力以外に説明がつかない!」


「それは……」








 知らんわ、そんなの。


 アグニも強い奴だったし、あいつらの実力は未知数なんだから、ぱっと火を燃え上がらせることくらいできるんじゃないの? 火関係だからって全部私のせいにするのやめてくれない? そりゃ今までの悪行があるからそう思うのも無理ないかもしれないけど、だからって犯人扱いされるいわれはない。










「お父様、私は何も関わってません。本当に――」


「うるさい!! 私はお前なんぞに騙されないぞ!!」




 やれやれ、もうやめてよ――




 そう思った次の瞬間、




























 雷を落とされた。








「ッーー!!」


「フレア様っ!!!」






 ルカの悲鳴が上がる。


 体が焼き切れるような衝撃とともに全身が痺れて、思わず膝をつく。












 ……油断、していた。


 まさかジーク殿下やルカの前で、雷を落とされるとは思わなかった。激しい痛みに体が痙攣する。


 痛い、辛い、苦しい……なんで私ばっかり、いつもこんな目に……。








 頭が真っ白に焼かれる中で、父親への憎しみがみるみる増幅していく。


 






 アグ二から奥様を助けたのは私のはずなのに。私がもし何もしなかったら、あんたは愛しい子どもになんて会えなかったかもしれないのに。






 本当は、彼女たちもこの人も亡くなっていたはずなのに。












 なんで……


 なんで私は何をしても愛されないのだろう。


 前世でもそうだった。鬼のような見た目と罵られ、助けてあげたのに酷いことしてくる人間はたくさんいた。そのたびに傷ついて、傷ついて……今世でも同じことの繰り返し。


 それが……本来愛情をもらえるはずの父親が相手だというだけ。だから倍くらい辛いってだけ。










 いや、そもそも……






 これは父親なの?






 目の前で鬼のような顔をしている彼は、確かに血の繋がった父親かもしれない。


 けれど、本当の意味の父親ではない。そうは思えない。そうであれば……私の言い分を無視して、こんなことはしないはずだ。






 これは父親じゃない。






 父親の皮を被った、ただの他人だ。


 そう思えば、なんてことはない。彼に愛されることなんてもう諦めたはず。なのに、心のどこかで期待していた。いつか、もしかしたら……普通に愛してくれるようになるかもしれない。振り向いてくれるかもしれない。笑い掛けてくれるかもしれない、と……。




 そんな期待を持つ方が馬鹿だった。


 それだけのことでしょ。


 前世と同じ。私は家族に恵まれなかっただけの話。親の愛を求めるなんて、そもそも無理な話だったのよ。馬鹿ね、私。他人に期待するなんて無駄だって、前世で散々身に染みてわかっていたことじゃない……。






「こ、公爵閣下……さすがに、これは……」


 エイトの焦った声。






「おやめください! 彼女は命の恩人なんです!」


 ルカの泣き叫ぶ声。






「…………」


 何か観察するような、ジーク殿下の視線。










「……呆れた」


 もう、やんなっちゃう。




 私はまだ若干震えの残る足で立ち上がった。


 真っ直ぐに公爵閣下を見上げれば、彼が僅かに動揺したのがわかった。あら、私、そんなに怖い顔をしていたかしら? そうね、ちょっと殺気は飛ばしちゃってるかも?




 だって、まだ消化不良の怒りがぐつぐつ煮えたぎっているんだもの。






「公爵閣下、あなたの放電の能力は、私の躾のために使用していいものですか? ず~っと気になってたんですけど」


「……それは」


「私のことを聖騎士の風上にも置けないと怒鳴るあなたも私と同じですからね? 癇癪を起こして能力を使うなんて、あなたこそ聖騎士の力をなんだと思っているの? それ、下手をすれば不敬罪ですよ? こんなことに使っちゃダメでしょう?」


「聖騎士として相応しくないお前を罰するために使用したに過ぎない。お前の横暴は目に余るものが――」


「それは理由になりません。普通の父親はこんなことするかしら? これは虐待って言うのではなくて?」


「――ッ!」




 あーあ、ほんと、娘のことになると駄目な父親ね。


 第一騎士団からも女王陛下からも信頼の厚い人だと聞いているけれど、本当に? って疑っちゃうわ。




「詳しい取り調べは捕まえた奴らにしてください。私は関係ありませんから。それでも疑うようならちゃんとした段取りを取ってから私に聞きに来てくださいな。じゃ、私はもう休みますから。あなたに踏み荒らされたこの部屋は使いたくありません。別の部屋に移動します」


「な、なんだと!? 待て、まだ話は――」




「やめてください!!」




 また手を振り上げようとした公爵閣下を見て、反応したのはルカだった。


 今度は黙って受けるつもりはなかったけれど、公爵は能力を使わなかった。――ルカが、私の目の前で、私を庇うように手を広げて立っていたから。










 ……正直、意外だった。


 気弱でいじめられっ子の彼が、鬼のような公爵閣下から私を守ろうとするなんて、思いもしなかったから。






「やめて……ください。こんな酷いことをしないでください」






 ガクガクと体が震えている。雷が怖いに違いない。そりゃそうよね、私ももう二度とあれは受けたくないわ。……なのに、どうして私を庇おうとするの。


 そんなところにいられて、本当にあれを食らったら、あなたじゃ意識がぶっ飛ぶわよ。最悪死ぬかもしれない。




「ルカ……お前は騙されてるんだ!」


「いいえ!!」




 ルカのまだ高い子供らしい声が、公爵の声を遮る。






「僕は……騙されてなどいません!!」


「ルカ……」






「公爵閣下」




 にこやかな声が投げかけられる。公爵は強ばった顔をジーク殿下に向けた。




「今回はあなたの早とちりだ。それに、躾と称して能力を使うのは愚の骨頂ではないかな。もう二度としないように」


「……はッ」




 公爵は膝を折って頭を下げた。


 表情は見えないけど、多分屈辱に歪んでいるんでしょうね。ちょっとはいい気味。もっと酷い目に遭わせてもいいくらいよ。




 私はさっさと扉に向かった。




「公爵令嬢、少し話が――」


「申し訳ありませんけど、ジーク殿下」




 彼が呼びかけるのを遮る。とても無礼であることは百も承知。でも今はどうでもいいの。




「私、しばらく誰とも話したくありませんし、疲れていますから。失礼します」




 誰も私に声を掛けなかった。いつもなら「失礼ですよ!」と怒鳴るエイトも黙っている。


 良かった。私は適当に使われていない部屋を探した。


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