第41話
「それじゃ……ありがとうございました。佐藤さんのおかげで私はとても楽しく過ごせたと思います。いつでも遊びに来てくださいね。東京何てすぐそこですから」
年始ムードも消え去り、世の中が平常運転に戻ってきたころ、佐野さんはマンションのエントランスで小さなリュックだけを手荷物に、見慣れた赤いコートを羽織ってペコリと頭を下げた。
「はい。そうですね。駅まで送るのに……タクシーで良いんですか?」
佐野さんの背後に停まっているタクシーは本人が駅までの送迎で呼んだもの。
「良いんです。最後まで佐藤さんに甘えてられませんし……それに……離れづらくなっちゃいますから」
「それは……」
もうその話は決着したはず。それなのに蒸し返さないで欲しい。
「あ、すみません……それじゃ、さようなら。佐藤さん。今度は外に飲みに行きましょうね」
「あ、はい。それじゃ」
なんともあっさりした別れだ。連絡先は知っているし、車で一時間も走れば会いに行ける距離にいるのだからこんなものなのだろう。
佐野さんは車に乗り込むと、窓ガラスを開けて笑顔で手を振ってくれる。
俺も笑顔で振り返し、坂道の向こうに佐野さんがいって見えなくなるまで手を振り続け、笑顔を作り続けた。
◆
翌日の昼。ベニーモ・タルトの復活配信が行われることになった。
記念すべき一回目は雑談枠として療養中の話やこれからの話をするらしい。
俺は寝室にベニーモ・タルトのグッズを展開、パソコンの壁紙もタルトちゃんにしたうえで画面の前に正座をして教祖ベニーモ・タルト様の復活を今か今かと待ちわびる。
「やぁ……皆々様、お待たせいたしましたぁ。ベニーモ・タルトでぇ……ございます」
佐野さんと全く同じ声がパソコンのスピーカーから聞こえる。
遂にタルトちゃんが復活したんだと思うと感慨深いものがある。
最初は二日酔いと寝不足で倒れるような人が来てビックリしたんだった。
「いやぁ……そういえば療養中に二回ほど病院送りにされてねぇ……あぁ! 変な事はしていないよ! どっちも原因は酒の飲み過ぎだったからねぇ。二日酔いと寝不足で倒れたんだ。それと胃腸炎」
「あったあった」
佐野さんとの思い出に浸るようにタルトちゃんの軽快な語り口調で自然と笑みがこぼれる。
『療養中ってずっと一人で引きこもってたの?』
コメントで誰かがそんな質問を投げかける。
「いや、実は療養で引っ越した先の隣人に面白い人がいてねぇ。ずっとその人の家に入り浸っていたんだよ。毎日買い物に連れて行ってもらったりとか、そんな感じだね」
『足にしてて草』
「ボクが料理を作っていたんだからいいだろぉ! ギブアンドテイクだよ!」
『男?』
「まったくキミたちは……ボクが見知らぬ男といきなり二人で仲良くできると思っているのかい? ボクにはキミ達しかいないんだから。それとも何かい? キミ達の誰かが隣に居て足になってくれたとでも言うのかい?」
実はそうなんですよねぇ!
プロ意識が高い佐野さんは巧妙に隣人の性別を隠しながら話題を逸らした。
『隣人とのてぇてぇください』
「てぇてぇかい? いやぁ……ハンバーガーを食べに行ったんだけどね。向こうは可愛いエビアボカドバーガーなんて頼むんだよ。で、ボクはどうだい? 頼んだのは肉を三枚も挟んだニンニクマシマシのバーガーだよぉ。てぇてぇだろぉ?」
『ただの大食いと小食の話じゃんwww』
「食べたい物を食べただけだろぉ! 何が悪いんだい!?」
復帰早々だがリスナーとのプロレスも絶好調。
それからもタルトちゃんは自分が佐野成葉だったとアピールしているかのように、数々の思い出を語っていた。
イルミネーションを見にいって昼寝をして、こっそり酒を飲んでいたのがバレた事。
社長が送ってくれた肉の箱に貼られた伝票を見られると身バレすると思い、慌て過ぎて伝票を口の中に入れてしまった事。
フォミマに入れなかったけれど、気づけばフォミマにも入れてコラボのグッズや店内放送を聞いて楽しめていた事。
年末のサザンのライブのチケットを取ったと思ったら取っていなかった事。
俺と言う存在は隠し切ろうとはせず、だが絶妙なニュアンスで男だと分からないようにマスキングをして話をするタルトちゃんからは、普段の佐野さんのポワポワとした雰囲気は一切感じない。
そんな配信を見ていると、俺は自然とブラウザを閉じていた。
今日の配信はトークの元ネタを知っている。ネタバレを知っているようなものなので、新鮮な気持ちで愉しむことは出来ない。
佐野さんと同一視はしていないはずなのに、タルトちゃんの配信を見ていると佐野さんの事が頭にちらついてしまう。
それがどうにも辛くて、だけど昨日の今日で柏原さんに頼る事も出来ず、俺は昼間ではあるがカーテンを閉め切り、電気を消して布団に入ったのだった。
◆
目が覚めると夜中。起きてももう飯は用意されていない。というかそれが当たり前のはずなのだけど、それが当たり前でなくなった一か月だった事を今更実感する。
それでも俺はこのままダラダラする生活を続けていられない。
佐野さんは前に進んでいる。俺も柏原さんのヒモになってダラダラと過ごすような人にはなりたくない。柏原さんの想いに応えるにしても、きちんと大学を出る筋道をつけてからだ。
部屋の電気をつけて机に座り『復学願』と銘打たれた書類に自分の名前、所属を書き、印鑑を押す。
保証人のところはどうしよう。筆跡が同じだと良くないし、おじさんに今度書いてもらおうかな。
そんな事を考えていると、アポも無い時間にいきなり玄関チャイムが鳴らされたのだった。
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