第39話
「ヒモって……どういうことですか?」
「そのまんまの意味だよ。私は来年から就職するだろ? 暗い家に帰って一人も嫌なんだわ。稼ぎも悪くないし、家に一人くらいペットを置いとくのも良いかなって」
「俺はペットなんですか……」
ペットと言うのが冗談なのは分かるけれど、ヒモにならないか? なんていきなりの提案なので驚く。
「大学、どうするか決めたのか?」
「あぁ……まだ考え中です。一応復学の書類は貰って、二月中に出せば来年度から復学できますね」
「そっか……やめちまえよ、もう」
「な、何でですか?」
「無理していく事ないからだよ。今は主夫だっていっぱいいるだろ? 私がその……養えばいいだろ」
「はっ……えぇ!?」
それはつまり、プロポーズ!?
「ど、どうしちゃったんですか!? 柏原さん……いきなりすぎません!?」
「別に今日すぐにどうって話じゃねぇぞ! その……要はあれだよ。同棲してみようぜってだけの話だから。うん、それだけだよ」
「それは……ゆくゆくは付き合うとか……け、結婚とかも視野に?」
「……うん」
照れ隠しに俯きながらする返事は柏原さんらしからぬ言動で、俺の心を揺らすには十分だった。
「あ……で、でも……俺は……」
「佐野ちゃん、だろ?」
「はい……でも……誰とも付き合う気はないらしくて」
「じゃ私でどうだ? すぐにどうこうとは言わないよ。そばにいてくれるだけでいい。それだけでいいよ」
「それは……」
ここ最近の佐野さんのムーブには不可解なところが多かった。誰とも付き合う気はないと言いながらも俺にデレデレしてくるし、ポディタッチも多くてその気にさせようとしている感じがしたからだ。
あれは佐野さんなりの「そばにいてほしい」というメッセージだったんじゃないかと思い始めた。
「あ……か、柏原さん」
「なんだ?」
「付き合う気はないって言ってる人がやけにデレデレしたりくっついてきたりするのってなんでなんでしょうね」
「そりゃアレだろ……キープだよ、キープ」
「えぇ!? そうなんですか!?」
佐野さんに限ってそんなことはないはず。俺が驚いて固まっていると、その様子を見た柏原さんが腹を抱えて笑い始めた。
「あははっ! そんなわけねぇだろ。佐野ちゃんに限ってそんなことはしないだろ」
「そう……ですよね……」
「ま、考えといてくれよ。別に今すぐってわけじゃないからさ。2月くらいには部屋を探すつもりだから、その時に広めで探すかどうかくらいの違いだからさ」
「はぁ……」
「じゃ、私帰るわ。卒論あっから」
「あれ? もう期限過ぎてませんか?」
「再提出なんだよ。年末の予定は全部論文に当てることになんだわ」
「すみません……そんな忙しいのに……」
「じゃ、少しでも前向きに考えてくれよな。それじゃ」
「あ……は、はい」
車を降りると柏原さんは速やかに出庫して坂をゆっくりと下っていった。
唐突すぎてどう答えたものか分からず、マフラーから出る白い煙をひとしきりぼーっと眺めてから部屋に戻った。
◆
部屋に戻ると佐野さんはドンペリの前で正座をして待っていた。その横にはグラスが3つ。シャンパン用のグラスが足りなかったのか、一つは大きなワイングラスだ。
「あ……カッシーさん、帰っちゃったんですか?」
「そうですよ。論文を書かないといけないらしいです」
「うわぁ……大学生って感じですねえ……」
「でも……柏原さんに限って書き直しなんて……あるのかなぁ……」
あの人は俺と違って優秀だ。柏原さんが書き直しさせられるなら殆どの人の年末が潰れるだろう。
あれは嘘だった? なんの為の嘘? とモヤモヤしてきてつい考え事が口から飛び出す。
「なんですか?」
「あぁ……いえ。なんでもないです」
「あ! じゃあこれは年明けにカッシーさんが来たら……私がいないんでしたね」
佐野さんは自分の提案で悲しい顔をする。
「ドンペリが飲めないのは悲しいですよね」
「違いますよぉ! カッシーさんにちゃんと挨拶できてないじゃないですか!」
「まぁ……あの人はそういうの好きじゃないですし。多分フラッとアポ無しで家にまでお仕掛けてきますよ。『近くで飲んでたんだけどよー』とか言って」
「そっ、それは少し困りますね……」
佐野さんは苦笑いをする。配信中に来られたらたまったものじゃないだろうから気持ちはわかるけど。
三人で飲めないと分かると佐野さんはテーブルに置いていたドンペリを片付け、代わりにコーヒーを入れたマグカップを二つ持ってきた。
「どうぞ」
笑顔でコーヒーを出される。もはや自分の家くらい佐野さんの振る舞いはこなれている。
「あ、ありがとうございます」
「それで、何の話だったんですか?」
お互いにマグカップに一口つけたところで佐野さんが聞いてきた。
「大した話しじゃないですよ」
俺がそう言うと佐野さんは俺の方をじっと見てきた。
「そうなんですね」
佐野さんの目は明らかに俺の言葉が嘘だと分かっていて、それを覆うように優しい雰囲気をまとうように細められている。
その目を見ているとどうしても良心の呵責に耐えられなくなってしまう。
「あ……実は……将来の話と言うか……」
そのキーワードを出した瞬間、佐野さんはガっと目を見開いた。
「将来……ですか?」
「あ! で、でも付き合うとかじゃなくて、来年から一緒に住まないか、って話ですよ。本当に、それだけです」
「むぅ……でもそれってその先には……」
佐野さんはその意図を察したように言葉を端折る。
「ヒモでもいいと……」
俺が柏原さんに言われたままを言うと超音波のような悲鳴を上げる。
「うわぁ……あ……じゃあ私はここで」
佐野さんはいきなりその場で立ち上がって部屋へ戻ろうとし始める。
「ちょちょ! 急にどうしたんですか!」
「あ……あはは……なんだか私ってお邪魔虫じゃないですか? 二人が仲良しこよしだったところに引っ越して来て割り込んで……」
「そんなことないですって。ほら、座ってくださいよ」
俺は立ち上がって佐野さんの手を握る。
佐野さんは俺の目をじっと見て渋々頷くとソファの元いた場所に腰掛けた。
俺は隣に座らず、佐野さんの正面に正座で座る。
「でも俺は……そうなるなら佐野さんと一緒に暮らしたいですよ。後とか先とか関係なくて。純粋に佐野さんを支えたいというか……」
「え? え……えぇ!? さ、さとうしゃん!? いきなり……なっ、どどど、どうしたんですか!?」
「え? あっ……」
佐野さんが顔を真っ赤にして慌て始めたので自分の言ったことを脳内で複唱してみる。
これ、告白じゃん!
乱れた髪を直しながら佐野さんは「うぅ……」と可愛く声を漏らす。
もうこうなったら勢いで突き進むしかない! 佐野さんのポリシーの件もあるけれど、どうにでもなれだ!
「さすがにこのタイミングは想定外ですよ……」
「あっ……すみません……」
「ふふっ、でも……保留で良いですか?」
「保留……ですか?」
「はい。まだ一週間と少しありますから。私、少し考えたいんです。待ってくれますか?」
これ振られるんじゃない? とわずかながらネガティブな気持ちが頭をよぎる。だけど今すぐ答えをくれなんて言える訳もない。
「あ……はい。大丈夫……ですよ」
俺がそう言うと佐野さんは真正面から抱きしめてくれる。
「あの……上手く言えないですけど……すごく嬉しいんです。だけど、色々とクリアしないといけない壁と言いますか……アレがありまして……」
「は、はい。大丈夫ですよ。待ちますから」
要は佐野さんがVTuberとして活動をしている間、身バレや彼氏バレのリスクをどうとるか折り合いをつける。それだけの話だ。
別に嫌われている訳じゃないのだから、と自分を安心させる。
「ふふっ、ありがとうございます」
佐野さんはもう一度ぎゅっと強く俺を腕の中で抱きしめてきたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます