第38話
12月24日。昨晩は佐野さんをベッドで寝かせて俺はソファで寝ていたので、リビングに響くガチャガチャとした音で目が覚める。
起き上がると、佐野さんはいつものように朝ごはんを作ってくれているところだった。
「おはようございます、佐藤さん」
「ふわぁ……おはようございます」
「今日も寝ぐせ……あ! 雪ですよ!」
佐野さんは俺の顔を見て笑いながら窓の方へ近づき、カーテンを開ける。
シャっという音と共にどんよりとした曇り空、それとボタンのように大きな粒の白い雪が見えた。天気予報が当たってしまったようだ。
「結構つもりそうですね……」
俺がそう呟くと佐野さんは窓際から動かずに振り向く。
「じゃあ、外にいきましょうよ!」
「雪だるまならいいですよ」
「あぁー、残念。雪合戦のつもりでした」
「野蛮な事はしない主義なんですよ」
「ふふっ。雪当てっこならどうですか?」
「それくらいマイルドならいいですよ」
「わーい! 朝ごはん、早く食べちゃいましょうね!」
佐野さんはトテトテとキッチンの方へ向かい、手早く朝ごはんの準備を再開したのだった。
◆
朝ごはんを食べて少しダラダラして時間の経過を待つと、外にはこんもりと雪が積もっていた。車の屋根への積もり具合を見るに、10センチくらいだろうか。これからまだまだ増えるのだと思うと憂鬱な気分になる。
佐野さんとやってきたのはマンションの隣にある空き地。文字がかすれて読むことも出来ないが、何かの建設予定地らしい。まぁ予定は未定って感じなんだろうけど。
人が踏んでいない場所に足を踏み入れるとぎゅっと音が鳴って足が沈み込む。
「おぉ~、すごいですねぇ」
いつもの赤いコートにニット帽を被って防寒対策はばっちりな佐野さんの感嘆の声を聞きつつ目の前に広がる小さな銀世界を眺める。
「これだけ綺麗だと足跡つけるのが勿体無い気がしますよね」
「でも、やっぱり足跡つけたいじゃないですか? こうやってザクッとかグチャッとか」
佐野さんはそう言って大股で空き地の真ん中まで進んでいく。
「おーい! 佐藤さーん! 早く来てくださいよぉ!」
佐野さんに手招きされるので、俺も風と雪によって綺麗に整地されていたところを踏みしめながら進む。
すぐ隣に来ると、佐野さんは一度しゃがんで雪を拾い、紙吹雪のように一面にばらまいた。
ブワっと広がった雪は風に乗って俺の顔にもくっつく。じんわりと溶けていく感じがくすぐったくて心地よい。
俺もその場でしゃがみ、雪を拾って佐野さんの頭の上で雪を落とした。
「ひやっ! もう! 佐藤さん!」
佐野さんは頬を膨らませて可愛らしく怒っているアピールをしながらも、第二段の雪を俺に向けて投げつけてくる。
「うわっ!」
「ふふっ、やられたらやり返す、ですよ」
そう言いながら真っ赤な鼻の頭を真っ赤な手でこする。
……ん? 素手!?
「佐野さん!? なんで手袋してないんですか!」
「あ……バレちゃいました? 持ってないんですけど、雪で遊びたい気持ちが勝っちゃって……」
「手が真っ赤じゃないですか! 俺のを使ってください」
咄嗟に手袋から自分の手を抜いて、佐野さんに差し出す。
佐野さんは両手分の手袋を眺めながらポカンとする。
「あ……ありがとうございます……」
「いいから早く付けてくださいって。防寒対策ですよ」
俺がそう言うと手袋を持ったまま佐野さんはにやりと笑う。
「私、人を巻き込むのは得意なんです!」
「傍観対策はしなくていいですから……」
「スタンガンも持ち歩いてますよ!」
「暴漢の対策も要らないですって」
「ふふっ、佐藤さんが守ってくれますもんね」
佐野さんは屈託のない笑みでそう言う。俺がいつでも佐野さんの隣に居るなんて後一週間くらいの話なのに、そんな事を言われても困ってしまう。
「それは……早く付けてください」
「はぁい……」
ふざけている場合じゃないと目で訴えながら指示すると佐野さんは渋々俺の手袋をつけてくれた。
「暖かいです。佐藤さんの手はどうでしょう……えい!」
佐野さんは外気にさらされ始めたばかりの俺の手を取ると、自分の両頬に俺の手を擦り付けてきた。
雪のように白い肌はもちもちしていて、この寒さなのにほんのり暖かい。
「あぁ……気持ちいいですね」
「ふふっ、なんか変態みたいですよ、その言い方」
「ちっ、違いますよ! そういう意味じゃないです!」
慌てて佐野さんの頬から手を外す。
「あぁん! 離さないでくださいよぉ! 折角冷たくて気持ち良かったのに……」
佐野さんはそう言って俺の手を掴もうとしてくるが、さすがに野外でこれは恥ずかしいので俺は逃げ回る。
「ゆっ、雪でも当ててたらいいんじゃないですか?」
「ふふっ、急にツンデレですか?」
「佐野さんがデレデレすぎ――」
そう言いかけたところで佐野さんの足が止まる。
振り向くと、空き地の入り口から紙袋を持った誰かがこっちに来ている所だった。
黒いロングコートに黒いズボン、黒い長靴のその人は遠くから見ても柏原さんだと分かった。
「お熱いねぇ。もうこの辺の雪が溶けちまうんじゃないか?」
俺達の傍にやってきた柏原さんはそんな冗談を言って佐野さんに「佐野ちゃん、メリクリ」と言って縦に細長い紙袋を手渡す。中身は酒なんだろう。
「ドンペリ。二人で飲んでくれ」
柏原さんはそう言って俺達に背を向ける。
「二人って……これ持ってきただけなんですか?」
「あー……ちょっと話はあるけど……まぁ、いつでも。年度内くらいなら」
髪の毛をかき上げながら柏原さんは控えめにそう言う。この人にしては珍しい態度だ。いつもならずけずけと言いたいだけ言って帰っていくだろうに。
期限はまだ先の話らしいが、雪の中わざわざ来てくれたのにそのまま帰らせるのも忍びないし、様子がいつもと異なるので気になってきた。
「なら中で話しますか?」
「いいっていいって。二人の邪魔だろ。マンションのエントランスまで聞こえてたからな。イチャイチャしすぎんなよー」
佐野さんは寒さで赤い頬を更に赤くして俯く。
「あ、じゃあ佐野は先に中で待ってます! 話が終わったらみんなで飲みましょうね!」
佐野さんは空気を読んで先に戻ると宣言すると、手袋を外して俺に渡すと誰も踏んでいない場所を踏みしめながらマンションの方へ戻って行った。
「あ……じゃあ、ここで話します?」
「んや、車の中で良いか? そこに停めてるからさ」
「あぁ……はい。分かりました」
何を言われるのか分からず、びくびくしながら柏原さんの後に着いていく。
マンションの来客用駐車スペースに柏原さんの車は停まっていた。
二人して車に乗り込むと、柏原さんは「ふぅ」とため息をつく。
「どうなんだ? 佐野ちゃんとはよ」
「まぁ……いい感じ、かもしれないですけど……」
「けど、何なんだ?」
「佐野さんは彼氏を作る気はないらしくて……」
少し込み入った話だが、女性目線のアドバイスも貰えそうだし、柏原さんの事は信用しているので思い切って口火を切る事が出来た。
「そっか……なぁ優一。あんさ……にならねぇか?」
柏原さんは口元に手を当てて隠し、明後日の方向を見ながら何かを言いかける。
「な、何ですか?」
「私の、ヒモにならねぇか?」
ヒ……ヒモ!?
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