第37話

 俺はそこからリバーシ、五目並べ、ヨットで三連敗。佐野さんは普段は配信の見栄えを気にしてわざと手を抜いたりしているのだろうけど、今日は視聴者の目がないからか本気を出しているようで滅茶苦茶に強い。


 佐野さんは3ゲーム分の罰ゲームをまとめて執行すると言わんばかりに「ふふっ」と笑った。


「佐藤クン、じゃあ……失礼するよ」


 そう言うと佐野さんは俺の前に回り込んで足の間に体を入れてきた。佐野さんの背中と俺のお腹が密着する。


 佐野さんが勝ったときの罰ゲームは俺に近づくこと。これでx軸は同じ値となり、これ以上ないくらいに密着してしまった。


「こっ……これはさすがに……」


「佐藤クン、平静だぞぉ。チルアウトだぞぉ」


「わ……分かってますよ!」


 わかっているのだけど、佐野さんからは甘い焼き菓子のような匂いがするのでどうにも気になってしまう。


 佐野さんはなんてことない様子で更にゲームを続けようとする。


「こ……これ……次に俺が負けたらどうなるんですか?」


 佐野さんは首を目一杯曲げて俺の方を向こうとするが近すぎて横顔までしか見えない。


「どうしようかなぁ? 何かヤリたいことはあるかい?」


「今、謎に『ヤリ』がカタカナに聞こえたのは触れないでおきます」


「それを言っている時点で触れているじゃないか! そっ……そんな意図じゃないよ! ばかちんが!」


 タルトちゃんの『ばかちんが』いただきました。なんて冗談はさておき、本当に収集がつかなくなりそうだ。


 今からでも柏原さんを呼んで第三者の目を光らせたほうがいいんじゃないだろうか。


「さ……佐野さん。あの……柏原さ――」


 佐野さんはコントローラーを置いて両手を解放すると、その両手で俺の口を塞いできた。


「悪いけれど今日は……これから3日くらいは二人っきりがいいんだ。それに……雪の中来てもらうのは悪いじゃないか」


「それはまぁ……でもなんで3日なんですか?」


「深い意図はないに決まっているだろう? ただの平日なんだから」


「そうですね。じゃあ……続きをしましょうか」


「はいはーい。次は佐藤クンが選ぶ番だぞぉ。さっさと選べー」


 佐野さんはそう言うとワインを一口含む。ちょっとだけ出てきた口の悪さがタルトちゃんの魅力だ。これまでの話し方もそうだったけれど、やっぱり口が悪くて完全体。そこまで俺に見せてもいいと思ってくれているのは嬉しいことだ。


 俺はルドーを選択。双六なので運要素が強い。これなら勝てるかもしれないと思い選択した。


「ルドーかぁ……これは非常に時間がかかるけれどいいんだね? 後悔しないね?」


「しませんよ」


「それじゃ、始めようか」


 佐野さんは俺に体重をかけ、もたれかかりながら一投目のサイコロを投げたのだった。


 ◆


 なんの救済もお助けアイテムもイベントもない双六は一時間の泥試合となった。


 佐野さんはいい加減に疲れてきたのか、俺を床に座らせると、膝枕をして寝転がってゲームをしている。


「ふわぁ……これ、まだ続くのかい? もう佐藤クンの勝ちでいいよ」


「さすがに飽きましたね」


「マオリパーティがいかに完成されたゲームかということを実感したよ。さて……ボクはトイレに行ってくるからその間に罰ゲームを考えておいてくれよ」


 佐野さんはそう言って立ち上がるとトイレの方へ向かう。罰ゲームがあるのに簡単に自分の負けにしていいんだろうか。


 さすがに常識的な範囲で収めないといけないのだろうから、タルトちゃんになにか言ってもらうとかがいいんじゃないだろうか。そして俺はそれを録音する。世界に一つしかないボイスメッセージだ。タルトちゃんの声で何でも言ってもらえると思ったら滅茶苦茶に興奮してきた。


 何を言ってもらおうかと考えていると、トイレから佐野さんが戻ってくる。


「ふぅ……あ、決まりましたか?」


 タルトちゃんの話し方じゃなくなってる! 酒が抜けたのか!? このタイミングで!?


「くっ……は……はい……」


「さ……佐藤さん? なんか落ち込んでません? 大丈夫ですか? 罰ゲームをする側なのに落ち込むなんてあります?」


「さっ……佐野さんに……罰ゲームなんて出来ませんよ……」


 なんで! なんでタルトちゃんじゃないんだ!


 言って欲しかったあのセリフ、このセリフが次々とシュレッダーにかけられていく。


 佐野さんは俺のそんな気持ちはつゆ知らずといった感じで、また俺の足の間に座り、体を預けてきた。


「ふふっ、ここが私の特等席なんですよ。他の人にはぜーったいに渡しまへん」


「なんで微妙な関西弁になってるんですか……」


「佐藤はん、はよ罰ゲームを決めてほしいんやで」


「はぁ……どうしようかなぁ……」


 佐野さんは何故か罰ゲームにノリノリなので、「タルトちゃんの話し方で『好き』と言ってください」と言えば言ってくれるだろう。


 だけど、俺がタルトちゃんのガチ恋勢であることは秘密にしておきたいし、そうなるとタルトちゃんの話し方や声で言ってもらうことはできない。佐野さんに言われてもそれは嬉しいけれど、録音したいかと言われれば別だ。


「なんでもいいですよ。あ、してほしいことがないなら質問とか。ちなみに彼氏はいませんよ。好きな人は……」


 佐野さんはチラチラと俺の方を見てくる。いやいや! あなた彼氏は作らないって言ってましたよね!?


 佐野さんのあからさまな匂わせをスルーしつつ、佐野さんのことを知れそうな質問を思いついた。


「じゃあ……佐野さんの弱点を教えてください」


 佐野さんは顎に人差し指を当てて前を向く。


「弱点ですかぁ……うーん……難しいなぁ……あ! ありますよ!」


 佐野さんはそう言うと髪の毛をまとめ、自分のタートルネックの襟を引っ張り首筋を露出させる。


「ここです」


「え?」


「弱点ですよ。首、弱いんです」


 誰も性感帯を教えろなんて言ってないんですけど!?


 とんでも天然解釈に驚くが、それでも色白で産毛がうっすら見えるくらいの首筋は吸引力がすさまじい。平静だ! 平静! と自分に言い聞かせて耐える。


「そういう弱いじゃなくて……こう……心理的なやつだったんですけど……」


 佐野さんはガチで勘違いをしていたらしく、恥ずかしそうに「あはは……」と照れ笑いをする。


 この人、本当に頭の中どうなっているんだろう。成人だし、人並み以上にエロに興味があるのだろうか。


 まだ目の前では佐野さんの首が出ている。いたずら心から、そこに息を吹きかけてみた。


「しょわっ!」


 佐野さんはビクッと体を震わせて変な声を出した。


「しょわってなんですか……」


「佐野の弱点に当たったときの合図ですよ」


「そ、そうですか……」


「ちなみに……中身的な意味の弱点だと……今は家ですかね」


「隣のですか?」


「隣も、都内もですよ。一人になるのが嫌なんです。部屋もスカスカで寒くて、話し相手もいない。毎日壁に向かって話してると、どうしてもそう思っちゃう時があるんですよね」


 今この部屋には二人の人間がいる。背中でもう一人の人間の存在を確かめるように佐野さんは俺に体重をかけてくる。


「そうですか……」


 仕事柄仕方のないことなんだろうけど、ずっと家に一人で引きこもっていたら病むのもわかる気がした。


 タルトちゃんには長く活動してほしい。だけど一人だと病みやすくなる。じゃあ恋人を作ればいいかといえば自分のポリシーでそうはいかない。


 佐野さんはそんな風に周囲や自分のルールでがんじがらめになってしまっているのだろう。


 俺は、下心抜きで佐野さんの孤独を埋めたくて後ろから彼女を抱きしめる。


「しょ……しょわっ!」


 佐野さんの弱点に俺のハグがヒットした音がする。


「仕事に復帰してからも、いつでもここに遊びに来てくれていいですから。もし引っ越しをしても、引っ越し先の住所を教えるので、そこにも来てください」


 佐野さんは自分の身体の前に回ってきた俺の手を握り、そこに唇を付ける。


「ありがとうございます。でももうそれなら一緒に住んじゃいますか?」


「え? 今ももうそんな感じじゃないですか?」


 佐野さん、うちに住み着いてるし。


「そうじゃなくて……もういいでーす」


 急に佐野さんは拗ねてしまった。頬が膨らんでいるのは見えるのだけど、俺の前からは退こうとしないので言うほど怒ってはいないのだろう。


 無言のまま佐野さんは俺の腕に顔を埋める。


 しばらくすると健やかな寝息が佐野さんの方から聞こえてきた。


 この瞬間は寝させてあげようと思ったのだが、一時間もすると腕が辛くなってきて、自分の選択を誤ったと後悔してしまうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る