第26話
海に到着すると、佐野さんは冬の強い海風に負けじと前髪を抑えて砂浜へ足を踏み入れた。
「うひゃあ! 風! 風がすごいです!」
「もっ、戻りませんか!?」
少し先を行く佐野さんに呼びかけると、風を背中を受けて髪の毛を振り乱しながら俺の背中にぴったりとついてきた。
「ふぅ……これで良しです」
「俺は何も良くないですよ」
「ゴーゴー! 佐藤さん! このまま波に突っ込みますよ!」
佐野さん、海が好きなのかテンションがおかしくなってしまっている。
背中をグイグイと押されるので仕方なく前進する。
波の終着点がすぐ目の前という場所まで進むと、佐野さんは俺の隣に来てその場にしゃがんだ。
人差し指で砂浜になにかの図形を書き始めた。
三角形と底辺から伸びる縦棒。相合傘か。
「それ、真ん中を通ったら別れるやつとかありませんでしたっけ?」
「え? そうなんですか?」
佐野さんは俺の方を見ずに相合傘を完成させていく。
左側には『佐藤』、右側には『柏原』と書いた。
「なんで柏原さんとなんですか……」
「ふふっ。じゃ、こうがいいですか?」
佐野さんは右側を手で消して『佐野』と上書きする。
仕上げに三角形の上に星印を書くと、手をパンパンと払いながら立ち上がった。
「ハートじゃなくて星なんですね……」
「ハートは重たくないですか?」
「まぁ……そうですね」
「あー! そこはそんな事ないよって言うところですから! もう良いです! ハートにしちゃいますから!」
佐野さんは可愛らしく頬を膨らませると、もう一度その場にしゃがんで相合傘のテコ入れを始めた。
その時、目の前からこれまでとはまるで質が違う波が来ている事に気付いた。佐野さんは砂浜に夢中で一切気に留めていない。
「佐野さん! 危ない!」
「きゃっ!」
佐野さんの脇から腕を差し込み、そのまま持ち上げようとしたのだが、女性とはいえ成人を持ち上げるには力が足りず、佐野さんをその場に立たせるにとどまった。
結局、ざぶーんとやってきた波によってタイタニックのようなポーズで立っている二人の足がビショビショに濡らされる。
「ひゃっ! つ、冷たいぃ……」
「おおお! こ、これは……」
二人して冬の海水の冷たさを足で感じ震えあがる。
「あ……アハハ……佐藤さん、助けてくれてありがとうございます。お尻まで濡れてたら私はもう……」
佐野さんはそう言って俺の肩にもたれかかってくる。
下を向くと、砂浜が波にさらわれて『佐』『佐』という文字だけが残っていたのだった。
◆
海で早々に足が濡れてしまったので、安物の靴と靴下を調達した後に佐野さんの提案で足湯カフェにやってきた。
「ふぅ……暖かくて気持ちいいですね。家にも欲しくないですか?」
佐野さんは俺の隣で両手でマグカップを持ってカフェラテを一口飲み、足元と胃袋の両面から身体を暖めながらそう言う。
「足湯をですか?」
「はい! その上にパソコンを置いて、足湯につかりながらお仕事をするんです!」
「ちょっとミスったら感電しそうで怖いですね……」
「じゃあゴムの長靴を履いて足湯に入ります」
「それ……もはや足湯じゃなくないですか? 本末テントウムシですよ」
「ぶはっ!」
佐野さんがいきなりカフェラテを吹き出す。
「ど、どうしました?」
「ふっ……ふふっ……て、テントウムシ……ふふっ……」
本末テントウムシがツボに入ってしまったらしい。
佐野さんはマグカップを脇に置くと腹を押さえて身体を前に曲げる。
折角なので追撃してみる事にした。「佐野さん」と名前を呼んで脇腹を突く。
「ぶふっ……な、何ですか?」
「足湯で疲れをフットバス。足湯だけに」
「ぶははっ……や、やめてくださいよぉ……」
佐野さんは笑いのボーナスステージに入ったようだ。こんなしょうもないギャグで笑うのだから何でも行ける気がする。
「布団が……吹っ飛んだ」
「え? 吹っ飛ばすの天丼ですか?」
佐野さんは真顔ですくっと身体を起き上がらせる。天丼には厳しいらしい。
「情緒どうなってるんですか……」
「ふふっ、でも本当に本末転倒な事してるなって思っちゃって」
「そうなんですか?」
佐野さんは唇と尖らせると脇に置いていたマグカップを持ち、口をつけると中の液体を寄り目にしてみながら呟く。
「はい。だって頭を空っぽにするために療養に来たのに、ここで新しい悩みを作っちゃってて。本当、どうしようかなって」
「新しい悩み?」
佐野さんは目だけを俺の方に向けて少しだけ目じりを下げて笑う。
「なんでもないでーす」
「え……俺、何かしました?」
「無自覚最強主人公みたいな発言ですね」
「茶化さないでくださいよ」
「佐藤さんには教えませーん」
佐野さんはいらずらっ子のような笑い方をすると足を動かしてバシャバシャと足湯に波を立てる。
「本末テントウムシ」
「ぶはっ!」
佐野さんはまたカフェラテを吹き出す。
この人、防御力激ヨワだな!?
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