第25話

 佐野さんが引っ越してきて2週間。つまり今年も残り2週間となった。佐野さんは年始くらいまではここに居るのだろうか。


 なんだかんだでダラダラと過ごしているうちにお別れも近づいている事に気付く。


 ベッドから降りてリビングへ行くと、佐野さんは着替えも化粧も済ませて朝ごはんを用意して待ってくれていた。


「佐藤さん、おはようございます。今日は自分で起きたんですね」


「お……おはようございます」


 このところは朝ごはんを用意して待ちきれなくなった佐野さんに起こされる生活が続いていた。順調に佐野さんにダメ人間にされている感じがしてしまう。


「わぁ……今日も寝癖が凄いですね」


 佐野さんはキッチンから出てきて俺の前に来ると、背伸びをして髪の毛をわしゃわしゃと触る。


「直してきます……」


「はい! 朝ごはんが待ってますよ!」


「あ……毎日すみません。いいんですよ、そんな」


「こうやって生活リズムを整えていかないとお仕事に復帰できなくなっちゃいますからね。起きることが目的でご飯はついでですから気にしないでください」


 佐野さんはなんてことないようにそう言ってダイニングテーブルに腰掛ける。


 あまり待たせるのも悪いので俺も洗面所へ向かうことにした。


 佐野さんの療養は順調らしい。ただの自己申告だけど。この調子だと残り一ヶ月も経たずに復帰する事になりそうなので、生活リズムだけは早めに整えておきたいそうだ。


 もはやどっちがダメ人間なのか分からなくなってくる。俺は元々ダメ人間だったか。


 冷たい水で顔を洗って、髪の毛を濡らしてドライヤーをかけるといつもの頭に戻った。


 さっぱりしたところでリビングへ戻り、食卓に腰掛ける。


 二人で「いただきます」を同時に言って箸を持つ。なんだかこなれてきた感じだ。


「あっ、佐藤さん」


「何ですか?」


「今日は海を見に行きませんか?」


「海ならそこから見えますよ」


 リビングの端から端まである大きな窓を指差す。窓の向こうは坂の下にある街と開けた海が見える。そういうことじゃないのは分かっているのでこれはあくまで冗談だ。


「そうじゃないんですよぉ」


 佐野さんは頬を膨らませて抗議してくる。


「分かってますよ。下の海岸に行きます?」


「いえ! 湘南をドライブしましょう!」


「それはまた……随分とパリピなアレですね」


「そうなんですか? ダメ……ですか?」


「だっ……ダメじゃないですよ」


 ちょっとだけ気乗りしない理由がある。海沿いの道沿いには俺の通っている大学のキャンパスがあるのだ。


 要は前は毎日のように通っていた通学路。久しくそこは通っていないが、通ると気持ちが沈みそうな気がした。


 だけど、佐野さんのリクエストだし、別に大学に近づいたからといって死ぬわけじゃないので受けることにした。


 ◆


 目的地に行くには坂を降りると後は海沿いに進むだけ。


 それなのに佐野さんは海が見える度に「おぉ!」と新鮮な反応をしている。


「あ……音楽流してもいいですか?」


 佐野さんは自分の携帯を見せながら聞いてくる。俺の車で音楽を流せるようにケーブルまで調達していたのだ。


「良いですよ」


「ありがとうございます!」


 佐野さんは「ふんふーん」と鼻歌を歌いながらケーブルでスマホを接続して音楽を流し始める。


 有名な曲だからなのか聞き覚えのあるイントロだ。


「これは……サザンですか?」


「はい! この辺といえば、ですよね」


「そういえばサザン好きでしたよね」


 佐野さんは隣から「えっ?」と不思議そうな声を出す。


「あれ……私ってサザン好きだって言ったことありましたっけ?」


 しまった。これは佐野さんじゃなくてタルトちゃんの配信で言ってたことだった。


 だけどそんなことは言えないので言っていたことにしてゴリ押すしかない。


「あっ……あのー……い、言ってましたよ! うん! 酔っ払って覚えてないんじゃないですか?」


「……ふふっ、そうかもしれないですね」


 誤魔化せたぁ!


 佐野さんは上機嫌に流れている音楽に合わせて歌い始める。当然ではあるが、歌声はタルトちゃんと全く同じ。


 これはもはやタルトちゃんの歌枠を一人で独占できているということと変わらないんじゃないか。何なら生歌だし。


 自分専用の歌枠という佐野さん本人は無自覚な最高のファンサに耳で幸せを感じながら海沿いの道を走るのだった。


 ◆


 少し海沿いの道を行って佐野さんの歌がひと段落してきたころ、右手に大学の建物が見えてきた。


「わぁ……おしゃれな建物ですね」


「あぁ……大学ですよ。俺が行ってる……まぁ今は行ってないんですけどね」


「あっ……そ、そうなんですね」


 佐野さんは地雷を踏んだとばかりにテンションを下げる。


「あ……き、気にしないでくださいよ! 別に行きたくないから行ってないだけなんで!」


「でも……それが心に引っかかってる。違いますか?」


 急に占い師のようにビタリと心の内を言い当てられて心臓がバクンと跳ねる。


「そんなこと……」


「ちゃいまっか?」


「なんで急に関西弁なんですか……」


 運転中なので佐野さんの方は見れないし顔を作る余裕もないけれど、図星だとバレていそうだ。


「佐藤さん、それはそれとして……私、大学に行ってみたいんです」


「大学に?」


「はい。私って高校を出て就職したのでキャンパスライフってどういうものなんだろうって思っちゃうんですよね。やっぱり皆白衣を着て試験管とか振ってるんですか?」


「そっ……そういう人は稀じゃないですかね……少なくとも俺は文系なのでそういうのはないですよ」


「へぇ……行ってみたいです! 海の後でもいいので。駄目ですか?」


「だっ……ダメじゃないですよ。帰りに寄ってみますか?」


 佐野さんのリクエストは断りきれない。一人だと足が重たいけれど、佐野さんが隣に居てくれれば行けるかもしれない、なんて甘い考えもよぎったりする。


「はい! 学食に行ってみたいです!」


 佐野さんは今日一番に目を輝かせていたのだった。

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