第24話

 昼寝から起きると佐野さんはキッチンに立って何かを作っていた。


 ふんわりと甘い匂いが漂っている。


「あ、起きました? おはようございます」


 佐野さんは俺が起きたことに気づくとキッチンの方から笑いかけてきた。寝る前の無表情な感じとはまるで違って元気そうだ。


「おはようございます。何作ってるんですか?」


「フルーツタルトです。果物がたくさんありすぎて余りそうだったので……」


 タルト……これは匂わせ……ではないか。なんでもベニーモ・タルトと結び付けなくてもいいもんな、うん。


 キッチンの隅では事務所の社長から送られてきた食材が入っていた発泡スチロールが蓋を取った状態で積まれている。半分くらいはもう消費できたようだ。


 逆にまだ半分もあるのか、と先の長さを実感する。


「あれ……うちにタルト生地なんてありましたっけ?」


「坂の下にあるスーパーに行ってきたんですよ。なので冷凍の安物です」


 時計を見るとすっかり夕方。数時間は寝ていたようだ。


 よく見ると佐野さんも上がもこもこの部屋着パーカーからニットに着替えているし、歩いていったのだろう。


「起こしてくれたら車出したのに……」


「良いんですよ。眠気覚ましにもなりましたし……その……体を動かしたら元気になりました」


 まさか佐野さんからさっきの件に触れてくるとは思わなかった。


「良かったですね。でもありますよね、そういう落ち込む瞬間」


「あはは……今日は佐藤さんを元気にする……じゃなくてダメ人間にする日だったのにまだ何もできてないです……」


 佐野さんはオーブンの中を見ながら気まずそうに言う。


「何タルトなんですか?」


 佐野さんの隣に立ってオーブンの中を一緒に覗き込む。


「色々です。桃とかりんごとか……あるものをとりあえず入れてみました」


「さすがですね……」


「ふふっ、ありがとうございます。あ、勝手に借りちゃってます」


 佐野さんはキッチンの方を目で指し示す。


 気づけば俺の部屋のキッチンは見覚えのない鍋やら食器やら調味料やら酒瓶やらが増えている。


 リビングにも大きなビーズクッションが仲間入りしたし、順調に佐野さんが入り浸っているのを実感する。


「好きに使ってください。俺も食べられるんですよね?」


「もちろんですよ! 私が食べさせてあげます!」


「そっ……それは大丈夫です……」


 ちょっとだけ心が動く提案だが恥ずかしさ勝ったので断っておく。


「練習しておきましょうか!」


 そう言って佐野さんはトッピング用にカラメル煮にされたリンゴをつまんで俺に向ける。


 佐野さん、俺の話聞いてないの?


「どうぞ。あーん、ですよ」


「良いですって……」


「こうやって食べると百倍美味しくなるんです。糖度500ですよ! 500!」


「糖度500なんて聞いたことないですよ……もう砂糖の限界超えてるじゃないですか」


「佐藤の限界も超えていきましょう! はい!

 どーぞ!」


 佐野さんは諦めずにグイグイと俺の顔にりんごを押し当ててくる。


「ベトベトになりますから……」


「じゃあ食べてください。このままじゃベトベトンになっちゃいますよ?」


 佐野さんの押しに負けて、差し出されたりんごをパクリと食べる。煮ているからか、シャリッとした感触は弱めでとても甘い。


「これは……500ですね」


「ふふっ、そうですよね」


 佐野さんはニコっと笑ってリンゴを保管していた皿を両手で持ち上げて自分の前に持ってくる。


「佐藤さん! 佐藤さん! 味見したいんですけど、両手が塞がっちゃいました!」


「今さっきまで両手とも暇そうにしてましたよね!?」


「塞がっちゃいました! 味見したいです!」


 お返しにりんごを食べさせてくれと言いたいのだろう。今日はこうやって俺を元気づけようとしてくれている日なのだろうけど、結構な恥ずかしさがあるアイディアだ。


「おっ……置いたらいいんじゃないですか?」


「このまま持ち上げているだけで精一杯なんです! お願いしますよぉ!」


「分かりましたよ……」


 佐野さんは嬉しそうに口を開ける。奥歯や喉の奥まで丸見えだ。歯医者でもこんなに開くことはないんじゃないだろうか。


 りんごにドロドロのシロップ液を大量につけて、液が滴るりんごをつまみ上げる。


 それを佐野さんの口に持っていくフリをして、頬に押し付けてみた。


「きゃっ! むぅ……佐藤さん!」


 佐野さんは皿をキッチン台に置くと顔についたシロップを手の甲で拭いながら頬をふくらませる。


 その様子を見ていると無性に笑えてきた。


「ごっ……ごめんなさい……ふふっ……」


 笑いながら謝ると佐野さんは唇を尖らせて身体ごとオーブンの方を向く。


「もういいですよーだ。佐藤さんなんか知りませんから。これは私が一人で食べます。佐藤さんは余ったタルトの端でも食べててください」


 佐野さん、いじけてしまったらしい。オーブンの中を覗く横顔を見ると、口角は上がっていて本気で怒っている訳では無いことは分かるので一安心。そういうジョークらしい。


「端も美味しくないですか? カリッとしてて」


 佐野さんはオーブンを覗くために屈んだまま顔だけを俺の方に向けると目を細めて笑う。


「ふふっ。じゃあカリカリになるように焼きますね」


「えっ……あぁ……はい」


「あと、私はタルトを作ると力尽きて手がもげちゃうのでタルトを食べさせてくれる爺やが必要になりそうです」


「あ……はい……分かりました……」


 どうやら佐野さんからは逃げられないようだ。


 ◆


「んん〜……おいひぃ……」


 佐野さんはビーズクッションに腰掛け、自分で作ったタルトを頬張ると目を細くして笑い顔を小刻みに揺らす。


 俺はそのタルトを右手で持ち、左手を佐野さんの顔を下に添えてタルトの破片が落ちないように受け皿にしている。


 作ってくれたのは佐野さんだが、現在はクッションに座って手も使わずにタルトを食べるザ・ダメ人間が完成してしまった。


「よ……良かったですね……姫……」


「うむうむ。くるしゅうないぞ。さとーにも分け与えてやろう」


 佐野さんは尊大な演技をしながら口をつけていないピースを皿から持ち上げる。


 そのピースと俺の顔を交互に見ると、ニヤリと笑って持ち上げたタルトのピースに軽くキスをしてから俺の口に放り込んできた。


「むぐっ……むぐぐぐ!」


 目の前で行われた挑発的な行動に驚いて大きめの一口サイズの破片が口の中に入ってしまった。


「ふふっ、どうしました?」


 慌ててタルトを飲み込み、息を整える。


「なっ……なんですか今の……」


「美味しくなるおまじないです。どうでした?」


「糖度100万です……」


「ふふっ、良かったです」


 佐野さんはそう言って笑うと、また今のタルトに口づけをしてから俺に向けてタルトを突き出してきたのだった。

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