第23話

 佐野さんは部屋に戻ってきっかり一時間後に俺の部屋にやってきた。


 合鍵を持っていったはずなのに佐野さんは玄関のチャイムを鳴らして俺を呼び出す。


 不思議に思いながら玄関のドアを開けると、そこには俺の身長くらいあるオレンジ色で円柱状の何かが立っていた。


 俺がその円柱に目を奪われていると、佐野さんはその陰から「わっ!」と俺を驚かせるように飛び出してきた。まぁそこにいるよね。


「ふふっ、どうですか? 驚きました?」


 白いもこもこのパーカーを部屋着として着ていて、これがよく似合う。この人、本当に可愛い系が似合う人だ。


「あー……ぼちぼちです」


「正直ですね……」


「これ、何ですか?」


「これはですねぇ……」


 佐野さんは自分の背丈よりも高い円筒を軽く叩くと「ファサ」っと細かな粒が擦れる音がした。


「ビーズクッションです!」


「なるほど……『人をダメにするクッション』って事ですか?」


「はい! そうなんです! さすが佐藤さんですね!」


「こんな大きいもの、どこから持ってきたんですか?」


「私が普段使ってるんですよ。あの……寒いのでそろそろ入っても良いですか?」


「あ! す、すみません……どうぞ、持ちますよ」


 佐野さんを先に家の中へ入れて、自分の胴回りの何倍も太いクッションを持ち上げる。


 クッションが大きすぎるため必然的に顔を埋める形になるのだが、確かにクッションのカバーからは佐野さんの体臭のような甘い匂いがする。


 これは……ダメになりそうだ!


 ◆


 クッションを部屋に運び込むと、佐野さんはリビングのローテーブルを寄せて人が寝転べるくらいの広い空間を作っていた。


「こっちです!」


 佐野さんの指示に従ってその広い空間にクッションを置く。


 すると、俺が置いた瞬間に佐野さんはクッションにダイブする。


「ふわぁ……これ、すっごく気持ち良いんですよ」


 佐野さんはクッションにもたれかかると早くもダメ人間のようなふやけた顔をし始める。


「佐藤さんもどうぞ。横に来てください」


 佐野さんは自分のすぐ隣、クッションの真ん中付近をパンパンと叩く。


 さすがに真隣は緊張するので、間を一人分空けてクッションに座る。


 ビーズがガサガサと動いて腰回りにフィットする感覚がある。これは確かに一度座ると動けなくなりそうだ。


「ここに座ってダメになるんですか?」


 佐野さんはこっちを向いてニコッと笑う。


「はい。ここでゴロゴロしながら何もしないことをするのが好きなんです」


「なるほど……」


 佐野さんが隣でビーズクッションを枕にして寝転ぶので俺も真似をして寝転んでみる。


 天井では空気を循環させるためのシーリングファンがグルグルと回転している。こんな風にじっくりと見ることはなかったので、つい回転する羽に見入ってしまう。


「暇ですね……」


 やることはないのでものの5分も見ていたら飽きてしまった。


「じゃあリセマラしましょうよ! リセマラ」


「リセマラって……あのリセマラですか?」


 佐野さんの方を向いて尋ねると笑顔で「はい」と言った。


「リセマラですよ。ゲームを何回もインストールし直して、初回ガチャを引きまくってお目当てのキャラクターを当てる、あのリセマラです」


「何のゲームですか?」


「なんでも! とりあえずリセマラをしてSSSランクのキャラを引いて、そこでやめるんです。ちょっとだけ気持ちいいですよ」


「なんですかそれ……」


 ビーズクッションを枕に横になってやれることはそう多くない。ポケットから携帯を取り出し、アプリストアを開く。


「なんでもいいならランキングが高いやつにしますか?」


「はい! ランキング一位のやつにしましょうか」


「はいはい……あっ……こっ……これは……」


 ランキングが一位のゲームアプリは弾いて遊ぶタイプのゲーム。そして、俺は少し前にこのゲームをインストールして課金していた。


 それもそのはずで今このゲームはベニーモ・タルトも所属している事務所『えくすぷろぉらぁ』とコラボをしているのだ。


 普段はドラゴンをモチーフにしたキャラクターのアイコンはチャンネル登録者300万人超え、事務所の看板VTuverの氷山(ひょうざん)イッカクに変わっている。


 ベニーモ・タルトもゲーム内のキャラクターとして実装されていたので、ガチャで当てるために万単位で課金をしていた。肝心のゲームはあまり遊んでいない。限定ボイスが聞けて満足、と言う感じだった。


「どうしました?」


 佐野さんは俺の様子を見て何かを察したように聞いてくる。


 いや、この人が気づいていないわけがない。だって自分が出演しているコラボ案件なのだから。


 昨日から佐野さんは俺にわざと身バレをするような言動が増えてきた気がする。


 それが何故なのかは分からないが、とにかくこの話題は避けるに限る。


「べっ……別のやつにしませんか?」


「へぇ……今ってVTuberとコラボしてるんですねぇ」


 アンタ記憶なくしたんか!?


 驚いて佐野さんの方を見ると、スマホを持ったまま真顔で固まっている。


 多分、まだ仕事のことを考える程の余裕はないのだろう。白くて細長い手と薄い唇は小刻みに震えているし、顔も逸したいのにそれすらできていないように見える。


 助けてあげたほうがいいのだろう。


 俺はゆっくりとビーズクッションの真ん中を超えて佐野さんの方へ近づく。


 そして、スマホを取り上げて佐野さんの手が届かないところへ置いた。


「あっ……さ、佐藤さん……」


 佐野さんは俺が真横に来たことにやっと気づいたらしく、身体を横にして俺の方を向いた。


 少しだけうるうるとしていた目には徐々に大きな水滴が溜まっていく。


「あ……あれ……なんで泣いてるんだろ……」


 やっぱりまだ仕事に関係する事を視界に入れるには早かったようだ。


 佐野さんは鼻をすすりながらビーズクッションに顔を埋める。


「佐藤さん……頭、撫でてください」


 佐野さんの声帯がクッションを震わせてブルブルと音がする。


「えっ?」


「頭です」


 佐野さんはクッションに顔を埋めたまま自分のつむじを指差す。その仕草が妙にコミカルで笑ってしまう。


「なんで笑うんですかぁ……」


「あぁ……ごめんなさい」


 佐野さんの頭を撫でると「うぅ……」と堰を切ったように苦しそうな声を出し始めた。


「大丈夫……じゃないですよね」


「はい……私は本当にダメ人間なんです……無責任で、やる気もなくて、お酒が大好きで、ダラダラするのが大好きで、そんな人なんです」


 佐野さんが一気に落ち込んでしまった。そういえばコラボしているゲーム関連の配信をやる予定だったが、活動休止に伴ってそれもキャンセルになっていた。


 事務所の他の人が穴を埋めているのだろうけど、佐野さんからしたらそういうのも責任を感じているのかもしれない。


「そんなことないですよ。その……何があったのかは……分かりませんけど……」


 すっごい心当たりはあるけど、それは言えない。飛ばした案件のことを思い出しただけでこんなに落ち込んでいるのに、隣で慰めている人がガチ恋勢だなんて分かったら更に落ち込んでしまうだろう。


「このクッションのせいですかね。私がダメなのって」


「そうかもしれないですね。俺もダメですから」


「佐藤さんはダメじゃないですよ。まだやり直せますから」


 佐野さんはクッションから顔を上げると、身体をねじって動かし、今度は俺の胸元に顔を埋めてきた。クッションカバーからしていた甘いタルトのような匂いが強くなって鼻腔をくすぐる。


「えっ……あっ……」


「すみません……少しだけ借りますね」


「すっ……少しと言わずにいくらでも!」


「ふふっ、ありがとうございます。じゃ、お手手もいいですか?」


 佐野さんは俺の返事を待たずに腕を伝って指先を探し、指の間に自分の指を押し込んできた。


 こっ……恋人つなぎ!? ハグしながら!? 床に寝転がって!? 推しと!? このまま死ねるんだが!?


 佐野さんの鼻息が胸元にかかって暖かい。


「ふぅ……不思議と落ち着きますね、これ」


「そ、それは良かったです」


「どくん、どくん、どくん、どくん」


 佐野さんは一定のペースで何かを言い始めた。


「なんのリズムですか?」


「佐藤さんの心臓の鼓動ですよ」


「きっ、聞かないでくださいよ!」


「ふふっ、今早くなりましたね……あー……今度はゆっくりに……不整脈ですか?」


 佐野さんのせいなんだよなぁ。


 俺もやり返したいがさすがに佐野さんの胸に顔を埋めることはできないので、絡めていた手を外して手首で佐野さんの脈を取ってみる。


 トク、トク、トク、トク、トク。


 明らかに早い。一秒に何回だこれ。


「佐野さんもめちゃくちゃ早いじゃないですか……」


「あはは……それは秘密でした」


 佐野さんは俺の腕の中でもぞもぞと動き回り、少しだけスペースを作ると俺の方を向いた。上目遣いで見られてまた心臓のペースが上がる。


「佐藤さん……その……こういうのは誰にでもするわけじゃないです。だから……あのですね……変なやつだと思われたくなくて……お……お……」


「お?」


「おっ……お昼寝……しましょうかぁ!」


「あ……はい、いいですよ」


 何を言おうとしたのかは分からないが、佐野さんは俺の胸にまた顔を埋め、指を絡める欲張りセットで昼寝モードに入る。


 これ、柏原さんが言わんとしていた傷のなめ合いなんじゃないだろうか。それに気づいたところで今日は佐野さんを慰める他ない。


 当然俺はこんな状況で寝られるわけがなく、定期的に身体を動かしてピーズの擦れる音を発生させていたのだった。

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