第19話
家に帰り、夕食に向けて佐野さんの仕込みを手伝っていると、リビングに真っ黒な人が入ってきた。
柏原さんだ。
卒論で忙しい時期らしく、目の下には大きなクマがある。
勝手に作った合鍵でリビングまで無音で入ってくるのはこれまではよくあったことなので俺は驚かないが、佐野さんはいきなりのことに驚いて料理をする手が止まってしまった。
「優一ぃ、おっすー……お……ど、ども」
柏原さんは柏原さんで佐野さんと初対面だからか、やけに緊張した風な感じでリビングの入り口で立ち止まる。
柏原さんってそういえばコミュ障寄りな人だったなぁと思い出したが、既に出会ってしまったのでどうしようもない。慣れれば普通に話せる人なのだけど、心の扉が鋼鉄製でできているタイプの人なのだ。
お互いに紹介をするため、手を洗って二人の間に立つ。
「佐野さん、柏原さんです。柏原さん、佐野さんです」
佐野さんは急な全身黒女の登場にまだ戸惑っているようだ。料理の邪魔になるからと、肩まである髪の毛を後ろで束ねていたヘアゴムを取って髪を下ろし、小さくお辞儀をする。
「あー……ラフロイグの人です」
「あぁ! その節はありがとうございます!」
佐野さんの中では酒をくれる人は良い人という前提があるのか一気に警戒が緩み、両手を合わせて笑顔で礼を言った。
「あっ……ども。ワイン……置いとくから」
柏原さんは相変わらずのコミュ障っぷりを発揮しながらワインをキッチンに置くと俺の寝室の方へ逃げ込む。
「わ、私、何かしちゃいました?」
佐野さんは自分が柏原さんの機嫌を損ねたと勘違いしているらしい。
「大丈夫ですよ。ああいう人なんで。ちょっと話してきますね」
「あ……はい」
佐野さんはそう言ってコンロの前に立ち、フライパンの中身をかき混ぜ始めた。
俺はリビングを通り抜けて寝室へ向かう。
柏原さんは我が物顔で俺の椅子に足を上げて座っていた。
「そんな新世界の神志望と戦う名探偵みたいな座り方しないでくださいよ」
俺のツッコミを受けて柏原さんは足をおろして座る。
「もう一人いるって聞いてねぇぞ。私にも心の準備があんだよ」
佐野さんのことだろう。そういえばラインでは何人で食べるとは言ってなかったような気もする。
「前に来たときもいましたけど……靴見たら分かるじゃないですか」
「いちいちそんな面倒臭い女みたいなことしねぇよ。そもそも優一の家に地縛霊以外に誰かいるなんてありえるか?」
「いっ……いるんですか!?」
柏原さんはニヤリと笑う。この人、そういうものが見えてそうなオーラはあるけれどさすがにいないだろう。事故物件でもないはずだし。
「いやぁ……でも佐野ちゃんだっけか? 可愛いな。ほんで自分が可愛いとちゃんと認識してるよな、あの子は」
「別にいいじゃないですか」
「悪ぃとは言ってねぇけどさァ……私は苦手なんだよ、ああいう人」
「良い人ですよ」
「身内が言う『イイヤツ』ほど当てにならないもんはねぇよ! ギリギリ犯罪者じゃないくらいのやつだって、しょっちゅう飲む仲のいい地元のツレに言わせりゃ『イイヤツ』になんだよ!」
「結構な偏見に塗れてますね……」
柏原さんの面倒なところが出てきてしまった。だからこそ俺みたいな面倒な人と交流が続いている一面もあるのだろうけど。
「と、とにかく、悪い人じゃねぇよな? 二人っきりになった途端に優一の悪口を言ったり、私が帰ったあとに私の悪口を言ったりしないよな?」
「そんな人じゃないですって」
どれだけ性格の悪い人物像を描いているんだ。
「そっ……それなら安心だわ……」
「じゃあ、気が向いたらリビングに来てくださいね。待ってますから」
「お……おう。さんきゅな」
柏原さんを部屋に残して一人でリビングへ戻る。
オープンキッチンなので、コンロの前から佐野さんが俺へ視線を送ってきた。
「大丈夫でした?」
佐野さんは心配そうに俺に聞いてくる。
「はい。あの……本当に気にしないでくださいね。コミュ障な人なんですよ、柏原さんって。慣れたら面白い人ですから」
「ふふっ、そうなんですね。彼女さんですか?」
佐野さんはにこやかにそう聞いてくる。
「ちっ……違いますよ! あの人はただの大学の先輩で、こう……話しやすいだけの人ですから。本当に!」
俺が答えると佐野さんは何も言わずにスプーンでスキレットから油をすくい、アヒージョの味を確かめる。顔をほころばせたので美味しくできたようだ。
「そうなんですね……安心しましたぁ……」
「アヒージョが美味しくできるか不安だったんですか?」
「そっちじゃないですよぉ!」
佐野さんはプクッと頬を膨らませて怒っているアピールをしてくる。
確かにこの人は可愛いことを自覚して可愛いことをやっているんだろうけど、でも可愛いから仕方ないんだよな。
というか、VTuberはたくさんの人に可愛いところを見せないといけない仕事なのだから、自然とそうなってしまったのかもしれない。
「私のこれ、味見してみますか?」
佐野さんは可愛らしく首を傾げながら味見用のスプーンをキッチン越しに俺に向ける。
ちょっと照れくさい感じがするも、パクリとスプーンを咥えるとニンニクと牡蠣の匂いがブワッと広がった。
「うん! さすが! 美味しいです」
「ふふっ、良かったです。安心しました」
「柏原さんが彼女だと思ってたんですか?」
「そうですよ。あ、他にもいます?」
佐野さんは笑顔で尋ねる。
「いませんよ」
「良かったです。アヒージョが美味しくできて」
「あ……そうですね」
もはやアヒージョが何かの隠語なんかじゃないかと思うくらいに佐野さんは何度も嬉しそうにはにかんでいたのだった。
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