第20話
柏原さんは料理が出来るとリビングにやってきてテーブルの端の方に座っていたが、気づけば陽気に酔っ払い、佐野さんの隣をキープし続けている。
同じ釜の飯ならぬ、同じ鉄鍋のアヒージョを食べたからか、二人はやけに仲良くなった。
「ガッハッハ! 佐野ちゃんの話し方は面白れぇなぁ」
「何がだい? そういうカッシーだって変じゃないのかな?」
佐野さんはあっという間にワインを平らげ、ウィスキーに移行。当然、ベロベロになっているのでタルトちゃんの話し方になっている。柏原さんはVTuberやオタクコンテンツに理解はあるが興味はないらしいので佐野さんの正体には気づいていないようだ。
「佐野ちゃんは色々と武器を隠してるみたいだよなぁ……例えば……ほらっ!」
柏原さんは不意をついて佐野さんが着ているダボダボの黒いニットをたくしあげる。ギリギリ胸の下で佐野さんが抑えたので事故にはならなかったが、際どいラインだ。
「ちょ……や、やめないか!」
「こんな立派なものを隠しやがって! 見せろよぉ!」
「だ……ダメだって! 佐藤君も見てるじゃないか!」
「お? じゃあ優一がいなけりゃいいのか? おい、あっち行ってろ」
柏原さんは顎で寝室を指す。理不尽にリビングを追い出されようとしているしさすがに柏原さんの絡みもしんどくなってきたので割って入る。
「行きませんって。柏原さん、離れてください」
「へいへい。優一に返してやるよ」
「ぼっ……ボクは別に佐藤君のものというわけじゃ……」
佐野さんは顔を真っ赤にしてそんなことを言う。いや、これは照れているんじゃなくて単に酔いすぎているだけだろう。
少しふらつきながらも佐野さんは立ち上がる。
「そうだ。カッシー、肉を食べたくないかい?」
「肉!? あんのかよ! 焼こうぜ!」
「あるとも。ボクが焼いてあげるから待っててくれ」
そう言ってキッチンの方へ行く。朝の残りの分を焼くのだろう。
佐野さんは肉よりも先に、何故か棚の中からブランデーを取り出した。
今日の昼間に見た光景を思い出して嫌な予感がしたので、慌ててキッチンへ駆け込む。
「さっ、佐野さん……」
「なんだい? 佐藤君」
佐野さんは据わった目で俺を見てくる。これはだいぶ酔ってるな。
「それ……もしかしてですけど……フランベとか……しませんよね?」
「するに決まってるじゃないか。じゃあなんだ。これも飲むかい?」
「いえ……もう死ぬほど酒はありますから……じゃなくて! 大丈夫なんですか? やったことあります?」
「イメトレは完璧だよ。まさに今日、実技もじっくりと観察したからね」
「それは未経験って言うんですよ」
「佐藤君、ボクは良かれと思ってやってるんだよ? 佐藤君がお世話になっているカッシーをもてなすためにだ。それをなんだい。ボクがフランベもできないかのような言い方をしてさぁ」
「いや……出来るんですか?」
「出来らあっ!」
滅茶苦茶威勢が良い。酒は人を変えるのではなくその人の本性を暴くという。これが佐野さんの本性なのか。
佐野さんはブランデーを軽く飲むと小さく頷いて肉を手に取る。
「まぁ君の懸念も分かるよ。じゃあボクは自分の部屋でフランベをしてくるから。ここで待っててくれ」
それはそれで大丈夫なんだろうか。佐野さんが住んでいるのは事務所の社長の別荘らしき部屋。万が一にも失敗して壁を焦がしたらタルトちゃんがクビになったりしないだろうか。
むしろこっちの部屋なら、何かあっても俺がおじさんに謝れば済む話。リスクを鑑みると、ここでやるのが一番だろう。監視もできるし。
「いやいや! 佐野さん! ここで! ここでやってください!」
「いっ……いいのかい?」
「なんでそんなにビックリしてるんですか……もっと堂々としてくださいよ」
「どっ、堂々としているじゃあないか。ボクはフランベの達人なんだよ。至高のステーキをご馳走するから座って待っていてくれ」
「いえ、ここで見てますよ」
達人は自ら達人とは名乗らないはず。それに佐野さんに火傷もさせられないし万が一の時に割って入るため、隣に立って佐野さんがフライパンを熱するところを眺める。
消化器は部屋を出てすぐ右手に置いてあったはずだ。高校生の時の消火訓練を思い出しながら消火のイメトレを開始。うん、大丈夫。俺は達人だ。
「そっ……そんなに見られると緊張するじゃないか……」
「達人が人に見られているくらいで緊張しないでくださいよ」
佐野さんはやや緊張した面持ちで熱したフライパンに肉を落とす。
肉の焼ける匂いが漂い始めると、興味無さそうにテレビを見ていた柏原さんも様子を見るためにオープンキッチンの反対側から顔を出した。
「おぉ! 旨そうな肉だな。赤ワインも持ってくりゃ良かったわ」
「ワイン……いや、今は肉に集中すべきだったね」
達人は「ワイン」という言葉に敏感に反応するが、脇に置いているブランデーの注ぎ口を人差し指でなぞり、それを一舐めして気持ちを抑える。さすが達人だ。
達人は真剣な眼差しで肉の焼け加減を見極めると、仕上げのブランデーを手に取った。
そして、それを鍋肌からゆっくりと注ぎ、丁寧にフライパンを傾ける。
本当に見よう見まねなんだろうか、と疑うくらいに丁寧で落ち着いた手つきだ。
フライパンが傾くとブランデーに火が付き、コンロの火がフライパンを貫通したように錯覚する。
達人は慌てる事なくブランデーに着火したフライパンを元に戻し、アルコール分が飛んでいく様を眺めている。
もっとこう、ブワッと火柱があがったり、佐野さんがあわあわとするもんだと思っていたので拍子抜けでもある。
「おぉ……佐野ちゃんすげぇな……」
「そうだろう? もうそろそろ切り分けるから座って待っていて良いんだよ」
「おう。そうさせてもらうわ」
柏原さんはちょっとしたショーをみて満足したのか、またソファに戻って行く。
佐野さんは「ふぅ……」と息を吐いて肉をフライパンからまな板の上に移動させた。
「いやぁ……結構燃えたねぇ……悪意のある切り抜きでファンの事を『お財布』と呼んでいると誤解されて炎上した時くらい燃えたんじゃないかな」
そういえば半年前くらいにベニーモ・タルトがそんな発言をしたとして切り抜き動画が話題になっていた。
実際は、前後の文脈を無視するとそう取れなくもないというだけのものだったが、当時はベニーモ・タルトの口調も相まって結構なアンチがついていた。
そんなことを思い出して冗談が言えるくらいには回復してきているのかもしれない。
だけど、それを言ってしまうともう佐野さんはベニーモ・タルトで確定だし、反応しちゃうと俺もファンだって事がバレちゃうんだよ!
そんな訳で何も言わずに俺は薬味用のワサビのチューブを持ってキッチンを後にする。
「あっ……あれ? さ、佐藤君? どうしたんだい? 無視かい? ボクの小粋なジョークを無視するのかい? おーい。佐藤くーん。あ、足を攣った! い、いたたた……はぁ……肉が焼けたよ」
スルーされた事が悲しくて構って欲しそうな佐野さんの声を背中に受けながらも、お互いの身バレを避けるため俺は心を鬼にしてその声を無視してソファに向かったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます