第17話
「うっ……もう入らないですよぉ……」
そこはかとなくセンシティブな声を佐野さんが出す。
送られてきたステーキ肉は全部で5枚。どうせならとニ枚ずつ焼いてくれたのだが、いくらなんでも朝からステーキを2枚はかなりキツかった。
それは佐野さんも同じようで、丸々一枚を残してソファに倒れ込む。
「こんなのがまだ続くんですか……」
「うぅ……美味しいものがたくさんなので心は元気になりそうですけど代わりに身体がおかしくなりそうです……」
「冷蔵モノは早めに食べないとですよね……あ!」
知り合いよりも両手の指の数が多い俺でも一人だけこういうときに呼べる人がいた。柏原さんだ。
「どうしました?」
「一人知り合いがいて。あれです。前にお酒を持ってきてくれた……」
「ああ! お酒のお礼もしないとですもんね……じゅるり」
佐野さんはキッチンに大事そうに置かれたラフロイグを見ながらそう言う。
「またお酒を持ってきてくれるかも、とか期待してませんよね?」
「へっ!? ま、まさかぁ……でもでも! その人にはたくさん美味しいご飯があると伝えてくださいね。白ワインが合う料理を作りますから! 牡蠣はアヒージョにしてぇ……鯛は皮ごと炙っちゃいましょうか? うふっ……うふふふ」
佐野さんの頭の中は食い物と酒のことしか無さそうだ。
柏原さんには白ワインを持ってこないでくれと言っておいた方が良いだろう。
とりあえず柏原さんに連絡をしてみることにする。
『今日って夜暇ですか? 食糧が腐りそうなので消費祭りをしようかと』
柏原さんからは即レスで返事が来た。
『食材は?』
「佐野さん、今日って海鮮中心ですか?」
「はい! 足が早いのでそうしようかと」
「分かりました」
再び携帯に視線を戻す。
『海鮮です。牡蠣とか鯛とか』
『じゃ、ワインだな。白で適当に見繕っていくよ』
まぁそうなりますよね。
佐野さんも「ワインワイン!」とはしゃいでいるし、適量なら良いんだろう。適量なら。
「白ワインが来るそうですよ」
「白ワイン……じゅるり……佐藤さん、せっかくなので少し買い足しましょうか。買い出しに行きましょう!」
佐野さんはさっきまでステーキを食べ過ぎて呻いていたはずなのにすぐに元気になって立ち上がったのだった。
◆
やってきたのは海に面した魚市場。魚や磯の香りは漂っているが、建物は新しめな上にタイルを基調としたオシャレな作りだ。
カップルもちらほらと見えるし、公園も併設されているようなのでデートスポットでもあるようだ。
魚を真剣な目つきで選んだあと、コーヒーを片手に二人で併設されている公園のベンチに座って相模湾を眺める。
「うぅ……楽しみです……さむさむ……」
佐野さんは12月の冷たい風に身体をブルブルと震わせながらもニコニコと笑う。
「寒いし中に入りますか? それか時間もあるし別のとこでも良いですよ」
「いえ。ここが良いです。海も見えますし」
「家の近くからも見えますよ」
「そうなんですか!? 明日連れてってくださいね!」
佐野さんは俺が暇人だと思っているようで、容赦なく翌日に予定を突っ込んできた。実際暇なのでまったく認識に齟齬は無いのだけど、無性に恥ずかしくなる。
「い、良いですよ」
「ふふっ。毎日楽しいです。もしかしたら早く療養が終わっちゃうかもしれません」
「え……そうなんですか?」
「冗談です。そんなに寂しそうな顔をしないでください」
佐野さんは小悪魔のように俺を振り回した挙句、二っと笑う。
「でも……次の検診ではお医者さんに怒られちゃうかもしれないです」
「そうなんですか?」
「はい。ここに来る前、しちゃいけない事が二つあるって言われたんです」
「二つ……ですか」
「当ててみてください」
「お酒の飲みすぎですか?」
「うっ……正解です」
佐野さんは苦笑いをしながら片手で丸を作る。
これは分かりやすい。だけど、もう一つは何だろう。
「食べ過ぎですか?」
「違います」
「お金の使いすぎ?」
「違います」
「うーん……人のベッドに勝手に入る事?」
「あはは……近いです」
佐野さんはそう言ってコーヒーを一口飲む。
「正解はですねぇ……恋です」
「鯉ですか? カープです、カープ」
「故意に鯉と恋を間違えないでください。恋ですよ」
「それは……あー……濃いですね」
「ふふっ。ネタが切れましたね」
言葉遊びも程ほどに佐野さんにボールを返す。
「療養中、一人で不安じゃないですか。弱ってるじゃないですか。そこに現れる人ってすっごく魅力的に見えちゃうんですって。でも恋愛って楽しい事もあれば悲しい事もある。気分が不安定な時により不安定になる要素は足さない方が良いって、そう言われたんです」
「まぁ……そうでしょうね」
「でも……それも破っちゃうかもしれません」
佐野さんはそう言ってマフラーで口元を隠しながら俺の方を向く。
え? これって何? いい感じになってきてるの?
「えっ……あっ……」
何と反応したものか分からずテンパっていると佐野さんは穏やかに笑ってまた海の方を向く。
「ふふっ。まぁ恋かどうかは置いておくとして、私、ずっと一人だったんです。在宅でお仕事をしてて。起きたらパソコンの前に座って、マイクに向かってお喋りして。ご飯はデリバリーばかり。だからお仕事が終わった後はすっごく部屋が静かに思えちゃって。でも友達も近くにいないし、彼氏なんていないし。こんな生活だったら病まなかったのかもしれないですね」
佐野さんの言う仕事というのがVTuberだという認識が無ければギリギリ何の仕事か分からないくらいの言い方だろうか。テレビ会議で打ち合わせをしていたらマイクに向かって話す事もありそうだし。
ギリギリのところで身バレをしないようにすり抜けていく佐野さんの話し方に俺の方がヒヤヒヤしてしまう。
「こんな生活って……毎日ステーキを食べてたら身体が病んじゃいますよ」
「ふふっ。違いないです」
佐野さんはゆっくりと俺との距離を詰めて座り直す。肩が触れ合う程の距離だ。
佐野さんはそこから俺を見上げてくる。
「佐藤さん、私にお医者さんとの約束を破らせないでくださいね」
睫毛を上げたその目はビー玉のように綺麗で、こんなお願いをされたところで守れる保証はない、と思ってしまう。
「あ……は、はい」
いやいや! 俺ってどうしたらいいの!?
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