第11話

 佐野さんが寝落ちしてしまったので、毛布をかけて俺も自分の部屋で就寝。


 朝と言うにはやや遅めの時間に起床してリビングへ行くと、佐野さんはまだソファで寝ていた。


「佐野さん、起きてください」


「むにゃ……んん……」


 ダメだこの人。全く起きない。


「ラーメン、食べに行きますか?」


「んん……今日はこのままゆっくりしたいです……起き上がれない……」


 気だるそうな声からしてまだ寝ぼけているのだろうけど、それはそれとして精神的に落ちている日なのかもしれない。


 無理に連れ出すのも悪いので、俺は佐野さんの毛布を掛け直すと、空いた小腹を満たすためにキッチンへ向かう。


 昨日の話もありラーメンの口になっていたので、カップラーメンを食べるために湯を沸かす。


 佐野さんを起こさないようにソロソロとお湯の入ったカップを持って自分の部屋に向かってリビングを通り抜けていると「佐藤さん」と背後から呼ばれた。


 振り向くと、毛布を肩にかけたまま佐野さんが起き上がっている。


「佐藤さん佐藤さん、一口くださいな」


 寝起きの開かない目は笑っているように見える。


 パクパクと口を開け締めしている姿は鯉のようだ。


「もう一つ作りましょうか?」


「佐藤さんに一口貰いたいんです」


 この人、ラーメンを作る時間も待つ時間も惜しいのだろうか。どこまでもダメ人間っぽさが滲んでくる。


「いいですよ」


「わぁい!」


 佐野さんの隣に座ると、犬のように鼻息を荒くして俺の腕を掴んできた。


「そんなにお腹空いてるならどこか行きます?」


「今日は家にいたい気分なんです。どうにも気分が上がらなくて……」


「そういう日もありますよね」


 カップラーメンの蓋を剥がして箸と一緒に佐野さんに渡す。


「わぁ……ありがとうございます」


 佐野さんは満面の笑みでカップラーメンを受け取る。高々数百円でこの笑顔が見られるなら安いものだと思ってしまうのは佐野さんの術中にハマってきているのかもしれない。


 ズルズルと麺をすすると、佐野さんは俺にカップラーメンを返してくれる。


 俺が残りを食べ始めたところで佐野さんは「ふふっ」と笑った。


「間接キスですね。しかもとっても汚い間接キスですよ」


「ぶっ……な、何がですか!?」


「寝起きの口、たくさん雑菌がいるんですって」


 そう言うと佐野さんは口をパカッと開けて俺に口内を見せつけてくる。きれいな歯並びをしている。前歯にカップラーメンの薬味で入っていたネギがついていなければ完璧だったのに。


「さすがに雑菌は目には見えないですよ……あとネギついてますよ」


「ええ!?」


 佐野さんはサッと口を隠し、俺に背中を向けるとスマホを鏡代わりにしてネギを除去しだした。この人、本当に拔けているというか、なんというか。


「取れました……うぅ……恥ずかしいです……」


「寝起きの口を全開にするのは良いんですか……」


 佐野さんの感性が分からなくなりそうだ。


 俺がラーメンを食べていると、佐野さんは隣で大きな欠伸をする。


「ふわぁ……佐藤さん。今日はすごく眠たい日みたいです」


「昨日、寝られなかったんですか?」


「このソファ、座り心地は良いんですけど寝るには少し柔らかすぎるんですよね」


「あぁ……すみません……ん?」


 いや、俺は何を謝っているんだ。起きたなら自分の部屋に帰って寝ればいいじゃないか。


 俺が突っ込もうとすると、佐野さんはそれに先んじて話し始める。


「というのは冗談で……ちょっと今日は谷の日かもしれないです」


 ソファがどうとか言っていたけれど、要は気分が落ち込んでいたようだ。


「谷の日……そういう日はどうするんですか?」


「優しい男性にカップラーメンを作ってもらって、それを食べると元気になれる気がします」


「一口じゃ足りなかったんですね……」


「あはは……いいじゃないですかぁ。昨日の夜ご飯は私が作ったんですよ!」


 タルトちゃんを甘やかしていると思えばこれはこれで悪くないオーダーだ。


 キッチンへ向かい、カップラーメンをもう一つ作る。


 新しい箸と共にそれを持ってリビングへ戻ると、佐野さんは拍手をしながら迎え入れてくれた。


 テーブルに置かれたカップラーメンを前にすると、佐野さんはきちんと手を合わせ「いただきます」と可愛い声で言うとズルズルと麺をすすりだした。


 その様子を見ていると、佐野さんは俺の視線に気づいたようにこっちを向く。


「一口どーぞ。あーん、してあげます」


「えぇ……い、いいですよ」


「そんな照れないでくださいよぉ! ほらほら!」


 佐野さんはアツアツのおでんを食べさせるように俺の口元へラーメンを持ってくる。


 それを一口すすると、佐野さんは嬉しそうに笑うと、口を横に広げて「いー」の口をする。


 意図が分からず顔を傾げると「佐藤さんも」と言ってきたので口を横に引いて「いー」の口をする。


「あ! ほらほら! ネギついてますよ!」


 佐野さんはそう言って俺の口からネギを摘むと、それを自分の口に含む。


 えぇ……さすがにそれは……と引いた顔をすると、佐野さんは可愛く顔を傾げて誤魔化した。


「ふふっ、佐藤さんに依存するのって悪くなさそうです」


「さすがに人の口から取ったネギは食べないでくださいよ……」


「え? ダメでした?」


 ダメなんだけど、この人に言われるとダメと言えなくなってしまう。


 ダメ人間にはダメと言わせない不思議な魅力があるようだ。

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