第9話

 ラフロイグだかラドクリフだか知らないが、ありえない比率をハイボールだと言い張るくらいにガブガブと飲む佐野さんが明らかに萎縮しているのを見て、これがとんでもないものだと察してきた。


「さ、佐藤さん。私にはこれを開ける勇気がありません」


「そんなの気にしてたらだめですよ。どうせまた新しい酒が来ますから」


 俺は気にせずコルクを抜く。


「あ……あわわわ……」


 佐野さんは俺が躊躇せずに開けている様子を見て一人で慌てている。


「一杯だけですよ」


 チョロチョロと佐野さんのコップに注ぐと、明らかに前よりも少ない量のところで「ストップ!」と佐野さんが声を張り上げた。


「さ……佐藤さん」


「なんですか?」


「私は佐藤さんが恐ろしくなってきました。あの……正体を教えてください。こんなマンションに一人暮らしをしている若者なんて……一体何をしている人なんですか? 投資家とかですか?」


 回答は2つ。ただの金持ちの叔父に寄生している暇人大学生。それか、貴方のガチ恋勢。後者を答えるのはありえないので前者しかない。


「いやいや……ただの大学生ですよ。ここも叔父さんに借りているんです」


「で……では……実家が太いとか」


「まぁ……叔父さんは社長をやってますけど……でも会社が軌道に乗るまでは苦労してたみたいですし、両親も普通の人ですよ」


「そ……そうですか……」


「それを言うなら佐野さんも同じですけどね」


「わっ……私は……その! あれです! あのー……」


 うまい躱し方が思いつかなかったのか、佐野さんは押し黙る。別に無理矢理「VTuberをしている」と言わせたい訳でも、その場しのぎの嘘を聞きたいわけでもないので、佐野さんにコップを握らせて乾杯をする。


 佐野さんは恐る恐るコップに口をつけた。


「んんっ……この芳醇な香り……たまりませぇん……」


 さっきまでの会話はどこへやら。佐野さんは一人で酒を楽しみ始めた。


「これは……止まりましぇんよ……佐藤さん、助けてください……」


 一度堰を切ると佐野さんはペースを順調に上げていく。


 コップから無くなり、佐野さんがボトルに手を伸ばした瞬間、俺はそのボトルを取り上げる。


「あ……あうぅ……」


「一杯だけですよ。約束しましたよね?」


「うぅ……意地悪です……せめて匂いだけ……いえ! 栓をしていてもいいです! ボトルを抱かせてください!」


「すごい執念ですね……」


 栓を閉めて佐野さんにボトルを渡すと、愛猫のように胸にボトルを抱きかかえ、ソファの背もたれに体を預けた。


「うふふっ……はぁ……佐藤さぁん……好きです」


「なっ……えっ!?」


 唐突な告白に驚く。


「え? どうしました?」


「い、いや、今好きって……」


「はい、おしゃけ、好きです」


 佐野さんは早くも若干酔いが回ってきたようだ。思わせぶり爆弾をポンポンと放り投げてくる。可愛いのだけど、心をかき乱される感じがして、これは良くない。


 少しだけ距離を取るため、リビングから離れてキッチンへ向かう。


 水をコップに注ぎ、ぐいっと飲んでシンクを覗き込む。


 勘違いするな。佐野さんはああいう人なんだ。天然でああいうことを言えてしまう人なんだ。第一、出会ってまだ数日。好きになるわけがない。


 そんな風に自分に言い聞かせ、冷静さを取り戻してリビングへ戻る。


 そこにはボトルを愛でていた佐野さんはおらず、いたずらっ子のようにボトルを片手に酒をコップに注いでいる姿があった。


 ただ、注いでいるのは今日貰ったものではなく、先日コンビニで買ったものの残りのようだ。余程ラフロイグは貴重品らしい。


「あっ……こ、これは……」


「佐野さん……」


「あっ……あのあの……そのですね……や、やはり、あれだけぽっちでは一杯とはカウントするのは少し横暴かなと……もちろん満足度は段違いでした! さすがに何十年もの年月を経たものは違います! 違いますが……物足りないじゃないですかぁ……」


 佐野さんは早口で自分の行いを正当化し始める。このダメ人間、どうしても酒を飲みたいらしい。


「じゃあ、本当にそれがラストですよ……というかまぁ俺が口出しをする権利も無いんですけどね」


「そうやって言ってくれる人の側で飲むと格別に美味しいんだと気づきました。ここに引っ越してきて気づいたんですよ」


 つまり俺がヤキモキすればするほど佐野さんは喜ぶと!?


 意外とドSな性格をしているようだ。


 そうこうしながらニ杯目を飲み干した佐野さんは「ふぅ」と息を吐く。


 酒を飲んでハッピーなはずなのだが、佐野さんは俯いたまま微動だにしない。


「ど……どうしました?」


「佐藤さん……うぅ……」


 佐野さんは何故か泣いていた。この人、中途半端に酔うと泣く人なの?


 どの酔い具合でも中々に扱いが面倒くさそうと思ってしまう時点で、やはり俺はタルトちゃんという存在にガチ恋をしていたのだと気付かされる。


 眼の前にいるのはただのダメ人間だ。


 とはいえ、泣いている人を「ダメ人間!」と罵倒する程俺も腐った性格はしていない。隣に行き優しく声をかける。


「佐野さん、どうしたんですか?」


「はぁ……いえ……その……」


 言い淀んだ佐野さんは言葉にするのが面倒だと言いたげに俺に抱きついてくる。


「すぅ……はぁ……佐藤さん、少しだけこうしていていいですか?」


 胸元から佐野さんの可愛い声が聞こえる。それはタルトちゃんの声そのもの。それでこんな可愛いオーダーをされたら断れるわけがない。


「びゃっ……ひゃい!」


 情けない声で返事をすると、佐野さんは「ふふっ」と笑ってまた俺の方へ体重をかけてきたのだった。


 こ、ここからどうすればいいの!?

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