第7話

 あらゆる状況、証拠が佐野さんがタルトちゃんの中の人だと訴えかけてくる。


 もう信じる他ないのだろう。


 次に会ったらどんな風に接すればいいのか。


 少なくとも、佐野さんは仕事の事を忘れるためにあのマンションに引っ越してきたはず。


 だから、事前にシミュレーションしていたように俺がガチ恋勢である事、もう少し大きく捉えてオタクである事はバレてはならない。


 そんな事を考えながら車を走らせているとあっという間に自宅前の最期の坂道の登り始めに差し掛かった。


 信号に捕まってしまい、ブレーキを踏みっぱなしにしていると、すぐ横の歩道を赤いコートを着た女性が通りがかった。


 手には大きな買い物袋を提げていて、急こう配を登るには無理がありそうな雰囲気だ。


「佐野さん!」


 助手席側の窓を開けて佐野さんの名前を呼ぶと、振り返って声の主を探すようにキョロキョロする。


 見覚えのある車だったのか、すぐに俺のいるところに気付いて駆け寄ってきた。


「こんにちは! お出かけ――」


 佐野さんと話そうとしたところで信号が変わってしまったようで、後ろからクラクションを鳴らされる。


 すぐ近くにあるコンビニの駐車場を指さして車を発車させる。


 駐車場に車を入れて降車。


 えっちらおっちらと買い物袋を揺らしながら佐野さんが俺の方に向かって歩いてきているので迎えに行く。


「佐野さん、こんにちは」


「はい! こんにちはです!」


「荷物、持ちますよ。今から家に帰るところですか?」


「そうなんですよぉ」


「なら乗っていきますか?」


「良いんですか!?」


「もちろん。ここの坂、本当にキツイですから」


 最初はバスで生活が出来ると思っていたのだが、マンションを出てからしばらく坂道を歩かないとバス停が無い事を知って、泣く泣く軽自動車を手に入れた事を思い出す。


「アハハ……そうみたいですね」


 佐野さんはポリポリと頬を掻きながら俺に荷物を片方だけ寄越して坂道を眺める。


「コンビニ、寄っていきますか?」


「あっ……私、フォミマは宗教上の理由でNGなんです」


「そっ、そんなことあります!?」


「えぇ、あるんですよ」


「ちなみに……何なんですか?」


「あー……じ、実家は浄土真宗です」


 フォミマに入れないなんて親鸞も真っ青な曲解の仕方だ。


 と思ったのだが、佐野さんの表情が僅かに歪んでいる事に気付く。


 店内を見ると、店の入り口のすぐ手前に二次元の絵が描かれた大きなパネルが立っていた。


 しまった。フォミマはえくすぷろぉらぁとコラボをしている真っ最中なのだった。


 しかも、店舗によってお出迎えしてくれるVTuberが違う豪華コラボにも関わらず、この店舗はベニーモ・タルトが店先に立っている。紅芋を彷彿とさせる毒々しい紫色の髪の毛に、パティシエをモチーフにしたデザインのアバターだ。


「かっ、帰りましょうか!」


 佐野さんにこれ以上ベニーモ・タルトを見せてはならない。


 咄嗟に佐野さんの手を引いて車に連れていったのだった。


 ◆


 マンションの駐車場からは俺が荷物を持って佐野さんの部屋まで運搬をする。両手にずっしりとのしかかる重さはかなりのものだ。


「今度から買い出ししたい時は俺に言ってくださいね。いくらでも車出すんで」


「えぇ!? 悪いですよ……」


「俺も買い物があるんで。料理しないから毎日弁当を買いに行ってるんですよ」


「料理、しないんですか?」


 佐野さんは俺の方を見て首を傾げる。相変わらずぶりっ子な仕草が似合う人だ。可愛すぎてヤバい。


「しっ、しないですね」


 佐野さんは良い事を思いついたとばかりに両手をポンと合わせる。


「なら私が作ってあげます!」


「えぇ!? 悪いですよ……」


「ふふっ、さっきの私みたいになってますよ。一人分作るのも二人分作るのも大して手間は変わりませんから。車を出してもらうお礼です」


「そういうことなら……」


 佐野さんの手料理!? これは楽しみだ。


「あ、そうしたらこの荷物、佐藤さんのお部屋に持っていきましょうか。冷蔵庫に置いてっても良いですか? うち、家具も家電もほとんどないんですよ……」


「えぇ、良いですよ」


 少しだけ行き過ぎていた廊下を戻り、俺の部屋に二人で入る。


 荷物をキッチンの天板に置くと、腕が一気に楽になった。


「これ、重たかったですよ。何買ったんですか?」


「あー……食べ物とか、その……色々です」


 佐野さんは何かを思い出したかのようにギクリと顔を歪ませる。思った事が素直に顔に出るようなので本当に可愛らしい人だ。


「色々……」


 まずもって袋の中はグチャグチャ。大きい物も小さい物も、重たい物も軽い物も区別なく詰め込まれている。これが全てを受け入れる多様性の行きつく先なのだろうかと不安になりながら上から物を取り出す。


 中には炭酸水とそれ以外にも食品が無造作に詰め込まれているようだ。


 炭酸水を取り出しながらより分けていくと、それ以外にいくつか気になる物があった。


「これは……甘酒ですか?」


「はい! お酒よりは身体に良いかなって」


「まぁほぼアルコール入ってないですしね」


 次に出てきたのはお酒入りのチョコレート。


「まぁ……これもお酒よりは……って感じですね」


「はい! ちょっとでもお酒をセーブしようと思ってお酒っぽい物をたくさん買ってみたんです」


「おぉ……頑張ってますね」


 佐野さんは「えっへん」と言って胸を張る。


 次に出てきたのは酒粕。


「酒粕……はそのまま食べないですよね?」


「そっ、そそそ、そんな訳ないじゃないですか!」


 食べるんだ。ちょっと病的なまでの酒への執着が垣間見えてくる。


 次に出てきたのは鮭。


「これは……同音異義語ですね」


「はい。酒粕と一緒にアルミホイルに入れて蒸すと美味しいですよ」


「それは確かに美味しそうです」


 そこまで佐野さんが考えて購入したのかは不明だが、まぁこれもサケと言えばサケだ。


 そして次。『酒盗』と書かれた瓶を発見する。


「これはもう完全につまみですね。飲む気ですよね」


「あ……あははは……」


 佐野さんは笑ってごまかすが、この人やっぱりダメ人間寄りの性格をしている気がする。


 最期、袋の底にあったのは文庫本。ずっと部屋に居たら暇だろうから本が欲しくなるのは分かる。食べ物じゃないが、やっと酒から離れられそうだ。


「小説ですか? ん? 酒井忠次……」


「あっ……酒がついていたので……この人、誰ですか?」


「徳川家康の家臣です。徳川四天王の一人ですね。本多忠勝とか知りませんか?」


「あぁ! ホンダム!」


「まぁ……そういう世界線もありますよね」


 佐野さんはゲームも嗜んでいるようだ。そういえば前にそのゲームを配信でプレイしていたのを見た事がある。


 いや、そう言う事じゃないのだ。


 この人の頭の中には酒しかない事が明らかになった。


 このダメ人間! と言いたくなる気持ちをぐっとこらえ、甘酒とチョコレートと酒粕と鮭と酒盗と酒井忠次を冷蔵庫に入れる。


「あ、佐藤さん、佐藤さん」


「どうしました?」


「文庫本は冷蔵庫には入れなくていいんですよ」


「あっ……」


「ふふっ、佐藤さんって面白い人ですね」


 佐野さんはそう言ってくすくすと笑う。


 酒の文字が目に入ったからって酒井忠次の小説を買ってくるあなたほどじゃありませんけどね!

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