第5話
少しだけ酒の入った頭で考える。
可能性は大きく2つ。佐野さんがベニーモ・タルトであるか、そうでないか。
仮にそうだとするなら、俺の存在は彼女の療養にとって邪魔でしかない。本来は仕事のことを忘れるためにここに来ているはずだからだ。
つまり、俺がベニーモ・タルトのガチ恋勢であるという事実につながる物的証拠は今のうちに処理しておく必要がある。幸いにもリビングにはオタクだと思わせるものは置いていない。
今いる寝室が俺にとっての趣味部屋であり、ベースであり、基地であり、ベニーモ・タルトグッズの置き場だ。なのでここを掃除すれば問題はないだろう。
次に佐野さんは単に声が可愛いだけのファンである説。
この場合、オタバレした方が距離は縮まるはずだ。共通の趣味があって推しが同じだなんて、これ以上ない良い話題だろう。
あとは双方のリスクを鑑みて判断すれば良い。
「いや……やっぱそうだとした時のリスクがでかすぎるよな……」
もし俺がガチ恋勢だと分かったら、佐野さんはすぐにまた引っ越すだろう。それどころかファンに身バレしたことで症状が更に酷くなり、復帰が遅れるかもしれない。俺が求めているのはベニーモ・タルトの一日でも早い復帰だ。
だから、その線が確実にないと分かるまではオタクであること、ガチ恋勢であることを隠して接した方が良いだろう。
念のため部屋の内鍵をかけて部屋中にあるオタクグッズを押し入れに隠すことにした。
「少しの辛抱だからね……」
ベニーモ・タルトのフィギュアに声をかけ、俺は片付けを始めた。
◆
佐野さんはソファでスヤスヤと寝ていたので俺も自分の部屋で就寝。
翌日、また玄関チャイムが早朝に鳴らされた。
2日連続で早起きをしてしまったので、これじゃ健康的な生活を送ることになってしまう。
身体はまだ寝たいと言っているが、無理矢理足を引きずって玄関へ向かう。
途中、リビングを覗くと佐野さんはまだスヤスヤと寝ていた。
「はーい」
玄関を開けると、昨日と同じ位置に佐野さんのお姉さんが立っていた。
「あの! 佐野の姉ですけども!」
お姉さんは食い気味に顔を近づけてくる。
「あぁ……どうも」
「うちの妹がお邪魔していたり……しませんよねぇ?」
その目は何かを確信している目。これから佐野さんがお姉さんに怒られる未来が見える。
だが、お姉さんの圧に負けてしまった。ごめん佐野さん、かばいきれん。
「あ……は、はい」
「お邪魔します」
佐野さんのお姉さんはドアを持ってぐいっと開けると、手練のセールスマンのように体をねじ込んできた。
玄関で乱雑に靴を脱ぎ、ズカズカとリビングの方へ向かっていくのでその後ろをついていく。
「成葉さん! 起きてください!」
お姉さんは毛布を剥ぎ取って妹を起こそうとする。その姿は、朝に弱い子供を学校に急かす母親のようだ。
「んん……まだにぇむいの……」
出たよ、ぶりっ子。
「眠いなら自分の部屋で寝てください。何のために昨日私がベッドを組み立てたと思ってるんですか」
「うぅ……マネちゃんのイジワルぅ」
ん? マネちゃん?
「ちょっ……成葉さん、起きてくださいって。ここはあなたの家じゃないんですよー」
お姉さんは焦った様子で佐野さんを起き上がらせ、ソファに無理やり座らせる。さながら介護されているような様相を呈してきた。
「マネちゃん、あと5分、ね?」
「だから……」
お姉さんは俺の方を振り返ると笑顔を無理やり作る。
「おっ……おほほほ……この子、私のことを『アネちゃん』と呼ぶんです!」
「あっ……あぁ……そうですか……」
なんだか怪しいぞ。姉妹にしては妙に距離感のある二人だし、明らかに「マネちゃん」と呼んでいたし、それを誤魔化そうとしているお姉さんの様子も不可解だ。
だが、それらは全部佐野さんがベニーモ・タルトで、お姉さんと言っている人はただの会社のマネージャーだとすれば話が通る。
いや……そんなわけないかぁ。
ガチ恋勢だからって自分に都合の良い妄想をしすぎだぞ、と戒める。
「はっ……ささささ、佐藤さん!?」
佐野さんはやっと覚醒してきたようで部屋をキョロキョロと見渡している。
「どうも……佐藤です。念のためですけど何もしてませんよ。お酒を飲んですぐ寝ちゃってましたから」
「そ……そうですか……」
「お酒? 飲んだんですか?」
お姉さんの声が一層低くなって部屋に響く。
「え……あ……あはは……お、お姉ちゃん? どーどーだよ。お……おしゃけなんて飲んでないから……」
お姉さんは全く信用していない様子で佐野さんの持ってきたマグカップの底に残っている液体を嗅ぐ。
「ペロッ……こっ……これは……」
青酸カリではなくウィスキーです。本当にありがとうございました。
「成葉さん! 帰りますよ!
「あっ……ああ……おしゃけぇ……」
鬼の形相になったお姉さんに引っ張られ、佐野さんは部屋を後にする。
あぁ……無念。
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