第3話

 点滴中に仮眠を取った佐野さんを愛車の軽自動車の助手席に乗せて家に向かう。


「良かったですね、大したことなくて」


「あはは……本当、お騒がせしました」


 苦笑いをしながら佐野さんが答える。笑うと目が細くなり、それがまた可愛らしい人だ。


 寝ていたからなのか少しだけうねうねしている茶髪は肩に少し掛かるくらいの長さ。


 姉妹で全く顔が似ていないのも気になるが、それはそれとして俺は断然妹派。こんな人が隣に引っ越してくるなんて今年の運どころか来年の運も前借りしていそうな気がしてくる。


「昨日、遅くまで飲んでたんですか?」


「いえ……まぁ……そうなんですけど……」


 佐野さんは俯きがちに答え、話を続ける。


「言いにくいことだったら言わなくていいですよ」


「あ! そういうわけじゃないんですけど……自己紹介みたいなものです。聞いてくれますか?」


「あ……えぇ、いいですよ」


 佐野さんは「ありがとうございます」と言って俯きがちに話す。


「私、普段は東京でお仕事をしているんです。ただ少し前から仕事のことを考えると憂鬱で仕事も趣味も手につかなくなっちゃって……それでお酒に逃げちゃうといいますか……まぁそんな感じなんです」


 何とも重たい自己紹介だ。けど、その重たさに親近感を覚えてしまう。


「そうなんですね。でも、俺に比べれば偉いですよ。お仕事もされてて。俺は大学生なんですけど、ある日突然行けなくなっちゃって。そっからはずっとフラフラしてるんです」


「だ、大学生なんですか!?」


「そうですけど……」


「大人っぽいので社会人かと思ってました……」


「今年で21ですよ」


「えぇ!? 同じ年です!」


「そうなんですか!?」


「ふふっ、なんか同い年って分かった途端、謎の安心感が芽生えますよね」


「あ……そ、そうですね」


 その時、コンビニの看板が目に入った。


 今日の飯を調達しようと思っていたのだが、佐野さんの世話をしていたのでそれどころじゃなかった事を思い出す。


「コンビニ、寄っていいですか?」


「はい! あ、フォミマじゃなくてセボンが良いんですけど……良いですか?」


「あぁ、はい。良いですよ」


 すぐ近くにあるフォミマを素通りして、そのすぐ近くにあるセボンの駐車場に車を停める。


 俺と同時に佐野さんもシートベルトを外す。


「何か買いますか?」


「はい!」


 佐野さんは笑顔で答えるとコンビニに駆け込んでいく。


 俺も自分の食糧を買うために、カゴを持って弁当コーナーをフラフラとする。


「ま、おにぎりでいいか」


 タルトちゃんが活動を休止してからというもの、どうにも食欲がなくなってしまった。


 ダメなタイプのガチ恋勢という事は自覚しているものの、心の準備が整っていなかったのでしばらくは引きずりそうだ。


 佐野さんはどこにいるのだろう。


 飯を買いたい訳ではないらしい。スイーツゾーンでも、お菓子ゾーンでもない。


 店を一周して辿り着いたのは、酒のコーナー。しかも缶じゃなくて瓶の方。


 佐野さんはそこをボーっと見つめている。


「さ、佐野さん?」


「はいぃ!」


 佐野さんはびくっと身体を震わせて俺の方を向く。


「酒……ですか」


 アンタ、二日酔いで倒れたんだから今日はやめとけ、と言いたくなるが、まだそこまでの関係性ではないのでぐっとこらえる。


「ダメですよね! 分かってます! 分かってるんですけど……」


 この人が酒豪なのかどうかはまるで分からない。ただ、視線の先にあるのが明らかに高い酒なので、それなりに好きな人なのだろうとは察する。


「おしゃけぇ……」


 人差し指をかるく咥え、甘い声でそう言う佐野さんの仕草は明らかにぶりっ子と言われるラインを越えている。


 だが、それが可愛い。ついつい甘やかしたくなる可愛さだ。


「佐野さん、ダメですよ。二日酔いと寝不足で倒れた人が今日も飲むんですか?」


「おしゃけ……だめれすか?」


 佐野さんは人差し指を口に添えたまま上目遣いで俺を見てくる。


 いや、ダメじゃない。むしろ一緒に飲みましょう、と喉から言葉が出かかる。


「一応確認ですけど……アル中とか、そういう人じゃないですよね? 飲んでも大丈夫な人ですよね?」


「はい! どっちかと言うと寝不足の方が今日は辛かったので……引っ越しの前日ってワクワクして眠れないじゃないですか」


「なら……お、俺が買います。今日は我慢してください。俺の部屋に置いておきます。ただ、どうしても……もうこれ以上の我慢は無理だってなったらコップを持って来てください。適量を飲みましょう」


 佐野さんは酒への道が開けたと思ったようで、パぁっと顔を明るくする。


「はい! はい! そうします!」


 本来的にはこの人がどれだけ酒を飲んで身体を壊そうと俺には全く関係の無い話。


 それでも、俺から積極的に関わりたくなってしまうような、これからも関りが持てるような方向に話を持っていきたくなるような不思議な魅力が佐野さんにはあると思わされる。


 結局、ウイスキーの入った瓶と割り材として大量の炭酸水を買って帰る事になってしまった。


 ◆


 マンションの廊下、お互いに自分の部屋のドアに手をかける。


「佐藤さん、今日はありがとうございました」


「こちらこそ。これからもよろしくお願いしますね」


「はい! 私、すごく嬉しいです。初日からお友達が出来るなんて思ってませんでしたから……」


「そんな……大袈裟ですよ」


「ふふっ、それじゃ、おやすみなさい」


 ちなみにまだ午後4時だ。


「はい、おやすみなさい」


 佐野さんは笑顔で手を振り部屋に入っていく。ガチャリ、と鍵が閉まったのを確認して俺も部屋に入る。


 コンビニのビニール袋をテーブルに置き、着替えをしているとピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。


 佐野さん、何か忘れ物でもしたのだろうか。


 慌てて玄関を開けると、コートを脱いだ佐野さんが握りこぶしがすっぽりと入りそうなマグカップを持って立っていた。


「おしゃけ……いいれすか?」


 我慢できたの一分もなくない!? このダメ人間! 


 流石の俺もこのぶりっ子ダメ人間の行動パターンが分かってきた。


 人におねだりをする時は舌ったらずで可愛く言えば通ると思っている人なのだろう。


 こんなのに負ける俺ではない。


「ぐっ……お待ちしていました!」


「はい! お邪魔しますね!」


 佐野さんは「おしゃけ! おしゃけ!」と歌いながら俺の家に上がり込んできたのだった。

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