13 またね

 セミの鳴き声がミンミンゼミからツクツクボウシの声に変わりはじめたある日。

 その「お迎え」は文字どおり突然やってきた。


 その日は朝からぽつりぽつりと雨が降っていた。薄曇の下に落ちるそれは、音を消し去ったような、細く柔らかな雨だった。代わりに屋根から落ちる雨粒が、軒下のくぼみにできた小さな水たまりに落ちて、眠気を誘う音を奏でていた。そんな午後の昼下がりだった。

 誘鬼ゆうきたちは日当たりがよく月見が楽しめるあの渡殿で遊んでいた。庭に面する戸を開けると、ひんやりとした空気が流れていた。少し肌寒く感じるくらいの気温ではあったが、どうせじっとしているわけではないので、いつものように蔀戸しとみどを全開にして、外で遊ぶ時よりも幾分大人しめにして部屋の中で遊んでいた。だるまさんが転んだをやったかと思えば、軒先に手を出し、落ちる雨粒が手を濡らすよりも早く手を引っ込めたり、摘み取ってきた松の葉や笹の葉で雨の滴を受け止めてポチの鼻先にその水滴を乗っけたりと、誘鬼たちはあれこれ思いつく遊びを試しては退屈することなく過ごしていた。

 ゴロゴロと、遠くで雷鳴のとどろく音が聞こえる。ポチは気ぜわしそうにしっぽを振っては屋敷の中を走り回っていた。そしてその後ろには、いつものように誘鬼と鶴戯つるぎの二人が、もれなくついて回っている。

(いつもの風景――)

 紫苑しおんはそう思いながら二人がポチに無茶なことをしないように、一匹と二人の後をついて回っていた。

 屋敷を一周して南側の座敷に戻ってきて、ポチは鶴戯の手中に収まった。二人に捕まってあげるのは気まぐれではなく、ポチの優しさである。全くもってポチは寛大な犬だと、紫苑はその時もそう思っていた。鶴戯の腕の中でぐりぐりと頭をなでられながらポチはのどを鳴らしていた。

 その時誘鬼は空の様子を見ようと、渡殿から身を乗り出した。大きな目をさらに大きく開いて上を見ていた。それに倣って紫苑が渡殿に足を一歩踏み出したその時――

 どかんと爆発でもしたかという轟音とともに、閃光が走った。屋敷の庭に雷が落ちたところだった。目の前の落雷も二度目となれば慣れたもので、誘鬼たちは目をしばたかせてすぐに庭先に目をやった。一回目の落雷で仔犬が落ちてきたのである。今度は何が落ちてきたのだろうと、紫苑も誘鬼も心を弾ませながら白くもやのかかったような庭に注目した。

 くうう、と背後でポチの鳴き声がする。座敷と渡殿の境で留まらせた鶴戯も、ポチを抱いたまま庭に目をやった。無自覚に、ポチを抱く腕に力がこもる。

 白いもやが晴れるにしたがい、誘鬼たちの目にそこにいるものの姿が見えてきた。もう一度、ポチの声が後ろでした。

 もやがすっかり晴れてそこに現れたのは、やっぱり犬だった。ポチよりは大きいが、お隣のみよちゃんの家の柴犬よりは一回りくらい小さかった。庭先にすっくと立ったその犬は、誘鬼たちの後ろの方を見ると、あまり犬っぽくない声で鳴いた。同時に鶴戯の声がして振り返ると、鶴戯の腕をするりと抜けて庭へと駆けるポチの姿があった。ポチは渡殿の先まで出ると、その段差にためらってその場に立ち止まったが、庭にいる犬がもう一度鳴くと意を決したように足を二、三度踏み鳴らして雨の降る庭に飛び降りた。そしてそのまま庭の犬へと走り寄っていった。

「お母さんなのかな」

 つぶやく紫苑の言葉に、誘鬼は小さくうなずいた。後ろから鶴戯もやってきて、ポチの名を呼んだ。するとポチはこちらの方を振り返って、千切れんばかりにしっぽを振ってクルクルと鳴いた。母親らしき犬は、誘鬼たちを見ると頭を下げるように首を大きく振ると、ポチの首をくわえて雷鳴のとどろく空を見上げた。そしてカッと稲光が光った瞬間に、その稲光に飛び乗るように駆け上がると、あっという間に雲の上へと消えていった。

 一瞬にして、紫苑は二つのことを理解した。今の今まで犬だと思っていたポチは犬ではなく雷獣らいじゅうだったということ。そしてかわいがっていたポチは、母親が迎えにやってきて帰っていったということ。誘鬼もそのことは分かったようだが、なんだかふてくされたように唇をとがらせて紫苑の着物の袖をつかんでいた。

 鶴戯のほうは、あっけにとられたようにぽかんと口を開いたまま庭を見ていたが、後ろからふすまを開けてやってきた華多菜かたなに気が付くと、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし、せきを切ったように泣き出した。そんな鶴戯を抱き上げながら、華多菜は渡殿の際までやってきて、「帰ったか」とつぶやいた。

 突然の別れはやはり寂しいし鶴戯のように泣きたい気持ちになったが、親元へ戻ったのだから、晴れがましいことだろう。そう己に言い聞かせ、紫苑は傍らの誘鬼の手を強く握った。


 それから十年ばかり後、少年たちは雷獣と再会する。

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