4 一人称は吾輩ではない

 華多菜かたなは、埃をかぶりあちこちに引っかき傷をこさえた誘鬼ゆうきに、顔をしかめた。

「おぬし、さやと紫苑しおんを迎えに行くと言っておらなんだか? どこへ行っておったんじゃ」

飛鳥あすかと戦ってた」

「……は? 飛鳥、って、城の若様のことか?」

 華多菜の問いに誘鬼はうなずいて答える。

「そうだよ。飛鳥んところのじいやに止められて決着はつけられなかったけど、俺が優勢だった」

「ふうん……なら、いいか」

 一旦は眉をつりあげた華多菜だったが、続くわが子の状況結果の報告にあっさりとうなずいた。良くはないだろうと顔に出している紫苑の心の声など、誘鬼は気付きやしない。紫苑の視線に華多菜は苦笑をにじませ、おざなりに誘鬼をたしなめた。

「お互いに怪我をせん程度に、ほどほどにいたせよ」

 以上だった。

「……」

 紫苑は唇を引き結んだ。なるほど、これが叔母の教育方針かと見てとる。これでいいのなら、意見も反論もない。自由にさせるが、責任を取れる範疇でやれと、そう言っているのだろう。それならば、華多菜の実姉である自分の母親はどうかと思い返し、紫苑は小さく息を吐くように頬を緩める。

 間違ったことや悪いことをすれば、それなりに叱られ諭されることはある。多く世間を知りはしないが、このへんはおそらく世間一般とさほど変わらないと思う。

 普段、目にあまるやんちゃなどそうそうやらないので、𠮟り飛ばされる経験もあまりないが。教育的指導の体験を思い返して、似たようなものかもと紫苑はこっそり諒解した。

「……それで、そんなに泥だらけなんだ?」

 ひとつ年下の従弟の姿を捉えてほっとした紫苑がつぶやくと、誘鬼はふるふると首を横に振った。

「これはミケとネコの戦いに巻き込まれたところ」

「ミケと、ネコ?」

「うん。飛鳥と戦ったあと、帰ってくる途中でネコがミケに戦いを挑んでいてさ、ネコとミケがダンゴになって俺に突っ込んできたせいで転んだんだ。そんで、ミケが勝ってネコが負けて、ネコが裏からうちの中に逃げてったから、追っかけて外に出してた」

 そしたら母親と紫苑が外から戻ってきたのだと、誘鬼は衣についた毛やらほこりをはたきながら答えた。

「ミケにやられてネコのやつ、俺の頭蹴っ飛ばしてうちに逃げ込んでってさ、離れの屋根渡って床下逃げていって、それからうちの中に入り込んだからがんばって捕まえて外に出してきた」

「猫が……?」

 紫苑の問いに誘鬼は頷く。

「ミケはボスだよ」

「ネコ、は……猫?」

「そうだよ?」

 当然じゃんというように答える誘鬼に紫苑は小さく首をかしげる。

「ええと……ネコって名前?」

「ああ、うん。ネコは最近やってきた猫だから、名前はまだない。だからネコ」

 誘鬼は胸を張って答えた。

 誰かの飼い猫ではないらしい。どこで生まれたかとんと見当もつかないネコであるが、それはどの猫、あるいは犬であっても同様だろう。

「そっか……」

 紫苑はわかったというようにうなずいた。頷くしかなかったから。

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