2 お世話になります

 鏡のように磨き上げられた渡殿わたどのは、初夏の陽光に白く輝いていた。光る渡殿に目をそばめて横を向くと、仕切りのない広間に自分たちの影が溶けていった。

 紫苑しおんにとってこの屋敷は、初めて訪れる場所ではなかった。ここは、さやの実家で紫苑もたびたびさやに連れられてやってきていて、わが家のようにとはいかないまでも、多少は馴染みのある屋敷だった。

 通された奥の間は、陽光を受け止めた渡殿からの反射光で柔らかく照らされていた。多少の馴染みはあるが、奥の座敷まで通されたのは、紫苑の記憶にある中では初めてだった。

 座敷に案内された紫苑は、この屋敷の主であるいさむ華多菜かたなに向かい、さやの隣で周囲に倣って正座をしていた。大人たちはなにやら難しい話をしているが、要は、おがみの血を引く所以でいらんトラブルに巻き込まれないように、身を守るすべやら能力の育成やコントロールなどを身につけるために、本家に預けられることになったという話だ。もちろん、ここへ来る前に紫苑もこのことについて両親から言われていた。子どもなりに理解して、承諾し、この場に座している。これまでもたびたびここを訪れて力の扱い方について学んではいたのだが、集中的に修行を行うべきだということになったらしい。

 紫苑の家である峠の茶屋と本家との距離は、大人の足でなら近いと感じないまでもさほどではないところであったが、子どもの足ではそれなりに遠く離れていた。

 見知った場所とはいえ、やはり心細い。おとなしく座して大人たちの話を聞くともなく聞きながら、沈む心にあわせるように紫苑の視線は下を向いていった。

「任せておけ」

 知らず知らずに垂れていた頭を、ぽんと叩くような明るいその声に紫苑はハッとして声の主を見た。

「別にこれまでと大きく変わったことをするわけではない。紫苑も普段どおりに過ごすがいい」

 だいぶ前から話はまとまっていたのだろう。華多菜はさやに向かって力強くうなずくと、自分を見つめる紫苑にニヤリと笑ってみせた。

 ――この叔母おばは、にっこりというよりニヤリと形容したほうが似合う笑い方をする。

 艶やかな華多菜の笑顔は、なぜだかいつもそのように見えてしまう、峠の茶屋の倅・紫苑。数え六歳の初夏だった。

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