もののけさうし昔語り
なゆた黎
雷獣
1 卯の花の匂う垣根の向こうには
母親に手を引かれて
卯の花の白い花影の中から、キョッ、キョッと忍ぶように鳴く声が聞こえてくる。首を巡らせてその奥をうかがおうとしたが、緑の葉と白い花に遮られて鳴き声の主を目にすることはできなかった。
ふわりと頬に風が触れた。
紫苑は頬を撫でた風を追って視線を上げた。天上に広がる空の青は、彼が想像していたよりも濃く鮮やかだった。ついこの間までは柔らかだった日差しは、早くもきらりと鋭さを含んだ夏の気配を帯び始めている。
かさり。
先に見ていた側から、羽ばたきの気配がする。かさりかさりと
さやは門前で独り言のように訪問を告げると、紫苑の手を引きながら迷うことなく屋敷の玄関へと足を進めた。空いたもう片方の手には、品のよい縮緬の風呂敷包みを抱えている。
ふわり。
紫苑の頬を風が撫でた。同時に、橘の花の香りが紫苑の鼻をくすぐった。ぬるい初夏の風に乗った花の香りは思いのほか強く、ふぇっと声をあげた紫苑はひとつ、大きなくしゃみをした。
「あら。風邪でもひいたんじゃないでしょうね?」
傍らを歩くさやが、ちらと紫苑を見下ろす。
「風邪は万病のもとなんだからね。十分気を付けなさいよ」
風邪ではないと首を振る紫苑の手を解くと、さやはぽんと頭に手を置いた。そうして玄関で足を止めると内側から引き戸が開き、涼し気な色合いの目が特徴的な、垂髪の女が頭を垂れて出迎えた。この屋敷の人間に使役されて差し上げていると宣言している、
「ようこそ、お待ち申し上げておりました。さや様、紫苑様」
「ごきげんよう、妖女。こちら、みんなで上がってちょうだいな」
頭を上げた妖女に微笑みかけると、さやは持っていた風呂敷包みを解いてみせた。
「
「善処いたします」
風呂敷の中身を受け取り、うやうやしく頭を下げる妖女の背後から、反論の声がやってきた。
「失敬な。そこまで口卑しくはないぞ、私は」
さやの言葉にさも心外だと言わんばかりの声の主は、肩を揺らしてのっしのっしと登場してきた。否。実際には衣の音をサラサラと奏でながら優雅に現れたのだが、花多菜のその雰囲気を例えるならば、デッドボールぶん投げた投手に向かい、静かにバット置いて詰め寄る打者のそれだった。
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