中編 ムーンライト・セレナーデ

「学園祭、無料ただで生オーケストラが聴けるんだけど、興味ある?」

「ありますけど……一人で大学に行くのは……」

「あ、じゃあ、俺が案内するよ」

「オーケストラに出るんですよね?」

「俺は何曲も演奏するうちの一曲だけだから」

「なら、お言葉に甘えて」


 やった!


「じゃあ、連絡先聞いていいかな。待ち合わせ場所とか決めるの、今じゃない方がいいよね? 仕事中だし」

 歌夜は月曜にファーストフード店に来た時に連絡先を書いた紙を渡すと答えた。


 やった!

 デートの約束と連絡先の交換までぎ着けた!

 歌夜ちゃんが聴きに来てくれるんだから演奏も頑張らないと!


「練習、随分遅くまで頑張ってるんだな」

 クラリネットの練習をしていた星次に先輩が声を掛けてきた。

「はい!」

 と元気良く答えてから、

 え……、遅くまで……って……。

 星次は時計を見て青くなった。


 今日は歌夜ちゃんに連絡先を教えてもらいに行くんだった!


「失礼します!」

 星次は慌てて駆け出した。


 ファーストフード店に着いた時にはもう歌夜は帰った後だった。


 やっちゃった……。


 店員によると特に渡してほしいと頼まれたものも無いと言う。

 星次は肩を落として店を出た。


 明日、来たとき教えてくれるかな。

 もしかしたら嫌われたかも……。


 翌日、店に行くと歌夜がいた。


「いらっしゃいませ」

 歌夜が笑顔で言った。

 店員が笑顔なのは当たり前だから嫌われてないという保証はない。

 星次が注文すると歌夜がオーダーを入れた。

 商品を載せたトレイが渡される。

 そこに小さくたたんだメモ用紙が載っていた。

 星次が歌夜の顔を見ると彼女は小さく笑顔を浮かべたが仕事中だからかもしれない。


 星次は席に座ると恐る恐るメモを開いた。

 メールアドレスと電話番号が書いてある。


 嫌われてないって思っていいんだよな……。


 自信がなかったものの確かめる勇気もないまま星次は自分の携帯電話に歌夜の連絡先を登録した。


 帰宅した星次は歌夜に電話を掛けようとして彼女はまだ仕事中だと気付いた。

 以前、歌夜が帰宅するとき一緒になったのは終電後だった。

 星次は毎日店に通っている。

 毎日あの時間まで働いているなら深夜にならなければ電話には出られないだろう。

 だが土曜の昼にコンビニで働いていたこともあった。

 連絡先しか書いてないから電話していい曜日や時間が分からない。

 星次はとりあえず昨日行かれなかったことを謝るメールを送った。


「オーケストラの演奏って初めて聴きました」

 歌夜が言った。

 文化祭の日、星次は歌夜と並んで大学構内を歩いていた。

 ついさっき、星次が出演したオーケストラの演奏が終わったのだ。

「TVとかでも? お正月のウィーンフィルとか」

 星次の質問に歌夜は苦笑して首を振った。

「あれ? もしかしてホントは興味なかった?」

 星次に話を合わせただけだったのだろうか。


 だとしたら今日も……。


「公園で星次さんがクラリネット吹いてたの聴いてどんな感じなのかなって思って」

「俺の演奏で興味持ってくれたの?」

「はい」

「え、嘘……ホントに!? それ、すっげぇ嬉しい!」

 クラシックに興味がない人間が自分の演奏がきっかけで聞いてみたいと思ってくれたのだ。

 音楽家の卵としてこれ以上の褒め言葉はない。

 演奏家冥利みょうりきる。

 星次は舞い上がって音楽のことをひたすら語り続けた。


 歌夜の家の近くで別れて一人になって我に返った。

 全く興味がないと言っていた歌夜を相手にひたすら音楽の話をし続けてしまったのだ。

 TVなどでよく聴くような音楽ならまだしもクラシック音楽なんて興味がない人にとっては退屈極まりないだろう。


 ヤバい……。

 内心ではドン引きしてたかも……。

 初デートでやってしまった……。


 幸い歌夜に愛想あいそかされたりはしてはおらず、恐る恐るデートに誘ってみたら承諾してくれた。


「歌夜ちゃん、前に歌、歌ってたよね?」

「え……」

「ああいう歌、初めて聞いたけどなんていう曲?」

「さぁ? そんな事ありました?」

 歌夜はそう言って目をらした。


 言いたくないのかな。


 しつこく聞いて嫌われたくはなかったので話題を変えた。


 その後もデートに誘うと承諾してくれた。

 文化祭の時は一人で話しまくってしまった事を後悔したが、デートしているうちに元々歌夜はかなり寡黙かもくな性格なのだと気付いた。

 最初は距離を置かれているのかと思ったがそうではないらしい。

 口数が少なくて自分から話し掛けてくることは滅多にないし、バイト中以外はほとんど表情が変わらない。

 店での笑顔は本当に営業スマイルだったのだ。

 ただ歌夜は嫌なことには距離を取っているし、キツい言い方はしないもののそれとなく断る。

 素っ気ない態度に見えるが星次と会うのが嫌ならデートも適当な理由で拒否しているだろう。

 毎日バイトをしているのだから口実には事書ことかかない。


 愛想を振りまかないと言うだけで嫌われているわけではないらしいと判断して思い切って付き合って欲しいと告白した。

 歌代は黙って星次を見詰みつめた。


 も、もしかして断り文句を考えてるんじゃ……。


「……いいよ」

 歌夜の返事にホッと仕掛けてから、

「あの……ホントは嫌とかじゃないよね?」

 恐る恐る訊ねた。

「……もう付き合ってると思ってた」

 確かに毎週のようにデートしているのだからそう考えていても不思議はない。

「あ、その、一応ちゃんと告白した方がいいかなって思って。じゃあ、俺達付き合ってるって事でいいんだよね!」

 星次がそう言うと歌夜は僅かに頬を染めて頷いた。

「やった!」


 やっとここまで辿り着いた!


 交際しているならいいだろうと思って頻繁に誘うようになったが承諾してくれるのは日曜の午前中の二、三時間程度だけだった。


「歌夜ちゃん、毎日バイトしてるけど、お金貯めてるの? その……もっと長いデート出来ないかな?」

 何度目かのデートで思い切って言ってみた。

 二、三時間では遠出は出来ない。

 午前中だけではコンサートなどにも行けない。

 もうすぐクリスマスだ。

 せめてクリスマスくらいはバイトを休んでもらえないだろうか。


「そういうデートがしたいなら、それが出来る相手と付き合って」

「いや、デートはどうでもよくて! 歌夜ちゃんともっと一緒にいたいってだけだから、その……」

 星次が慌てて言った。

「あ、デートが無理ならバイトの後は? バイト先から家の近くまで一緒に帰るのは?」

「……バイト終わるの終電の後だよ」

「別に、うちは歩いて帰ろうと思えば帰れる距離だし、毎日歌夜ちゃんと帰れるなら自転車通学にするよ」

「いいの?」

「うん」

 星次は振られまいと必死で頷いた。

「それなら」


 翌日からバイトの後に一緒に帰るようになった。

 店から歌夜と別れる道までほんの数十メートルしかないが、それでも日曜のデートだけよりは一緒にいられる時間が増えた。

 横道まで来ても星次の話が終わってなければ立ち止まって最後まで聞いてくれる。

 終電後の深夜だし歌夜は昼間高校に通っているから長話で引き止めるわけにはいかなかったが。


 愛想が無いからと言って冷たいわけではない。

 星次の話にただ相鎚あいづちを打っているだけではなく、内容を聞いた上で返事をしてくれている。

 単に自分から話すのが苦手なだけらしい。

 興味が無いことは聞きたくないという性格でもないらしく星次の長話にも嫌そうな素振りを見せない。

 星次はお喋りが好きな方だから常に話し続けているが歌夜はそれで構わないようだった。

 何度か、

「退屈してない?」

 と聞いてみたが、いつも、

「別に」

 という答えが返ってきた。

 歌夜は本当に無理なら断るから星次が話し続けていても平気らしいと判断して、それ以来遠慮なく喋るようになった。


 ただ、ある日、歌夜は自分の事は一切話さないから彼女のことはほとんど知らないという事に気付いた。


 まぁ俺が好きなのは歌夜ちゃん自身だから別にいいけど……。


 それに考えてみたら星次自身も話すのは音楽のことばかりだし歌夜も聞いてこないから何も話していない。

 だから歌夜の方も星次は音大生という事くらいしか知らないはずだ。

 お互い必要になった時に話せばいいだろうと思うことにした。


 その日は土砂降りだった。


「この雨じゃ自転車は無理でしょ」

 バイトを終えた歌夜が言った。

「歩いて帰るよ」

「外泊しても怒られないならうちに泊まっていってもいいよ」

「え!?」

「誘ってるわけじゃないから」

「あ、もちろん、分かってるよ」

 星次は慌てて言った。

 高校生なら経験している子は多いが星次は成人している。

 他の道府県なら恋愛関係にあればいいらしいが東京は結婚前提でないとダメなのだ。

 それも本人同士の口約束ではなく親が公認しているくらいでないと許されない。

 もちろん、誰も訴え出なければ捕まることはないが。


 初めて歌夜の家の前まで来て驚いた。

 小さなアパートだ。

 この大きさだと一部屋か二部屋しかないだろう。

 廊下から見える台所らしき窓は真っ暗だ。

 今は誰もいないのだ。

 もしかして親元を離れて一人暮らしをしているのか?

 歌夜が鍵を開けて中に入り電気をけた。

 やはり一部屋しかない。

 かろうじて小さなバスルームが付いているだけだ。


「あの……ご両親は……? 一人で暮らしてるの?」

「生みの親は覚えてない。養子として引き取ってくれた親は小学校の時に離婚しちゃって……お義母かあさんがそのまま育ててくれたけど……半年前に死んじゃった」

 半年前……。

 星次がコンビニで初めて歌夜を見掛けた頃だ。

「もしかして、バイト代って生活費や学費?」

「学費は就学支援金しゅうがくしえんきん制度っていうのがあるかららないけど、生活費や食費までは出してもらえないから」

「…………」

「お荷物でしょ。親がいなくてずっとバイトしてないといけない子なんて」

「そんな事ないよ!」

「同情が横滑りしちゃうタイプ?」

「違うよ! 俺ずっと前から歌夜ちゃんのこと好きだったから! コンビニもファーストフードの店も毎日歌夜ちゃんに会うため……あ!」

 思わず白状してしまって慌てて口をつぐんだ星次を見て歌夜がくすっと笑った。


「知ってた」

「え?」

「だって電車で通学してるなら夜食は家の近くで買うはずでしょ。すぐに食べたいならイートインスペースのあるコンビニかファーストフードの店に行くはずだし」

 バレバレだったらしい。


 気持ち悪いと思われなくて良かった……。


「あ、でも、二度目のコンビニはホントに偶然だから」

「分かってるよ。あれ以来、来てないし」

 星次は安心して胸を撫で下ろした。

 しかし家が大学の近くなら土日にあのコンビニに通うようになっていたかもしれないと考えると近所ではなくてラッキーだったようだ。


 歌夜のアパートに泊まるようになって何度目かのある日、

「聞いていい?」

 不意に歌夜が言った。


「いいよ、何?」

「……もし、人に聴こえない歌が聴こえたらどうする?」

「え?」

「ごめん、なんでも……」

「多分、歌にあわせてクラリネット吹くかな」

「……他の人には聴こえないんだよ。いつもそんな歌が聴こえるなんていう人、おかしいと思わない?」


 歌夜ちゃんが人のことを悪く言うなんて珍しいな……。


「いつも音楽が聴こえるなんて最高だし、変な目で見られる程度と引き替えなら絶対聴こえる方がいいよ」

「…………」

 歌夜は黙って星次を見詰みつめた。

「あの、俺、また変なこと言っちゃった?」

 歌夜がその人物を快く思っていないなら、その人物を擁護ようごするような事を言ってしまったのは失敗だっただろうか。

「別に」

 歌夜はそう言って視線をらした。


 大学でフランス語のレポートの評価を聞いた星次は胸を撫で下ろした。

 とりあえずフランス語が原因で留年という事はなさそうだ。

 とはいえ……。


「どうしたの?」

 部屋に泊まりに来た星次が浮かない顔をしているのに気付いた歌夜が訊ねてきた。

「いや、フランス語の成績、ぎりぎりでさ」

「フランス語が出来ないと困るの? フランスに留学したいとか」

「そうじゃなくて……」


 外国語の履修は必須だから取っているだけだ。

 だから高校の時やっていたから、とか、漢字が読めるから楽そう、とか、そんな理由で選んだのだ。

 しかし友人達は違った。

 いつか本場のイタリアの舞台に立ちたいからとか、入りたい楽団がドイツにあるからとか、みんな目的があって外国語を選択している。

 元々世界で活躍できるような音楽家を育成するための大学だから、そこへ行く者もそれを目標にしている人間ばかりだ。


 星次も音楽家になりたいと思っていたとはいえ他の皆は心構えからして全く違っていた。

 卒業さえ出来ればいいとか、音楽家と言っても国内の楽団には入れればいいとか最初からそんな志の低い人間はいなかった。

 外国語の選択一つとっても将来を見据えている。

 そんな友人達の前では恥ずかしくて音楽家になりたいなどとは口が裂けても言えそうにない。


「音楽のことは分からないけど……皆が皆、そんな高いところを目指さないといけないの?」

「え、だって……」

「日本で演奏してる人達だって同じ音楽家でしょ。私がオーケストラを聴いてみたいって思ったのは世界で活躍してる人の演奏を聴いたからじゃないよ。星次さんのクラリネットを聴いたからだよ」

「…………」

 確かに世界を目指す義務があるわけではない。

 国内での演奏活動だって音楽家の立派な仕事だ。


 ただ……。


 正直、星次の場合、それすらかなうか怪しい。

 星次はいつか家族を養えるようになったら歌夜にプロポーズしようと思っている。

 しかし音楽家を目指していたらいつになるか分からない。

 もしかしたら一生無理かもしれない。


 音楽家にはなりたいが、その反面、早く歌夜と家族になりたいとも思っている。

 歌夜の娘はきっと歌夜に似て可愛いだろうし、息子でもそれは同じだ。

 歌夜が産んだ子供ならきっと目の中に入れても痛くないほど可愛いに違いない。


 女性が出産出来る年齢には限界があるし、そうでなくても子供が大学を出るまで現役で働けなければ学校へも行かせてやれないし、行かせてやれたとしても卒業と同時に介護を始めなければならないような年だったら子供は結婚も出来ないかもしれないし、当然何人も作るのは無理だ。

 それを考えるとあまり時間はないし、中途半端な年になってからではあまり良い就職先は見付からないだろう。


 星次は教員免許を取っていなかった。

 そこも何も考えずに科目履修をしてしまったツケと言える。

 音楽家になりたいと言いつつ皆と比べると努力が足りず、その割には音楽家になれなかったときに備えてもいなかったから今頃になってあせる羽目になった。


 それなら最初から諦めて就職した方がいいのではないだろうか。

 就職したからと言ってクラリネットが吹けなくなるわけではない。

 趣味で続けていけるのだ。

 父から就職先を紹介すると言われている。

 諦めて就職して、歌夜と結婚して休みの日にクラリネットを吹く。

 それで十分ではないのか。

 音楽は学校のテストと違って小手先の技術でなんとかなる世界ではない。

 それでも……。


〝私がオーケストラを聴いてみたいって思ったのは星次さんの演奏を聴いたからだよ〟


 自分の演奏を聴いて音楽に興味を持った人がいる。

 あの日、星次はあの人の演奏に衝撃を受けた。

 それと同じ事が自分にも出来た。


 もしかしたら可能性はゼロではないかもしれない。

 諦めさえしなければもしかしたら……。

 悩んでいる星次を歌夜は黙って見詰めていた。


「ごめん!」

 卒業式の日、大学に卒業祝いを言いにきた歌夜に星次が謝った。

「やっぱり、どうしても音楽家への道は諦められない。だから就職はしないでバイトしながら楽団に欠員が出るの待つ事にした」

 星次が頭を下げたまま言った。


 歌夜も数日前、高校を卒業した。

 経済的な理由で進学出来ない歌夜は既に就職先が決まっている。


「いつになるのか分からないから待っててとは頼めない……」

 歌夜に両親がいない事もあり以前から結婚の話はしていた。

 歌代は進学しないから卒業後すぐに結婚しても問題ない。

 だが不安定なバイト暮らしで結婚してくれと言う訳にはいかないと思ったのだ。

「そうだね。私も待ってるのはいやだな」

 星次が肩を落とした。


「だから一緒に暮らそ。一人より二人の方が生活費も安上がりだって言うし」

「いいの!?」

「うん」

「やった! ありがとう!」

 星次が歌夜を抱き締めた。


「その代わり、私の夢もかなえて」

「いいよ、何?」

「プロポーズされる事。今のは結婚の申込じゃないからね」

「分かった! 結婚して!」

「もう。全然ムードないんだから」

「あ、ごめん」

「……いいよ」

「やった!……で、いいんだよね?」

 星次が心許こころもとなさそうに歌夜の顔を覗き込んだ。

 歌夜が頬を染めてうなづいた。


「やった!」

 星次が再び歌夜をめた。

「君の為にセレナーデくよ」

「それはめて」

 歌夜が即答した。

「え、なんで?」

「恥ずかしいからに決まってるでしょ」

「そ、そっか……」

 星次は残念そうな表情を浮かべた。

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