どこにも行かないで

 葉瑠がICU集中治療室へ行ってから二週間。

 腕に刺さっている点滴を無心で眺めていると、隣のベッドに気配を感じた。


「葉瑠?」


 別人だったらどうしよう。

 葉瑠じゃない人だったら、葉瑠は…………葉瑠は、死んでしまっ――――。


「やっほぅ」

「っ!!葉瑠!」


 葉瑠に似つかわしくない弱々しい声。それでも、生きてくれていた。

 意地で生き抜いたのだろうか。

 理由はどうだっていい。

 自分の苦しさもどうだっていい。

 頑張ったね、葉瑠。

 辛かったよね、頑張ったね。


「葉瑠」

「なぁに?」

「……心配かけさせんな」


 声が震えていた。目元は涙でぐしゃぐしゃで、簡単には言葉がでないほど、心もぐしゃぐしゃだった。


「葉瑠がいなくなったら寂しいよ」

「ごめん」

「葉瑠がいなくなったら悲しいよ」

「……ごめん」

「葉瑠、ずっと隣にいてよ」

「ごめん」


 同じ言葉なのに、全て声色が違った。一つ一つが私の心に刺さる。


 見送られる側だと思っていたのに。

 友達を見送るのは、まだ心の準備ができていないよ。

 できそうもないよ。


 季節なんて変わらなければいい。

 季節が変わって誰かが消えてしまうなら、時間が止まってしまえばいいのに。

 それこそが絵空事で、私の精一杯の反抗心だった。


 どんなに辛くても、隣に葉瑠がいたら乗り越えられるのに。


 ◇


 時々蝶は高く舞う。

 でも、大抵の蝶は舞っている場所の違いはあれど二階、三階まではあまり姿を見せない。

 そして、珍しい、と目を向けるとそれは、窓に張り付く蛾であった。

 多くの人に嫌われる蛾なのだ。

 時々、その蛾が私の分身のように錯覚する。


「灯喜」

「なに?」


 葉瑠から声をかけるのはいつぶりだろうか。

 私は静かに耳を傾ける。


「私、もう生きていくの辛い」

「そっか」

「死にたいとかじゃなくて」

「うん」

「ただただ、辛いんだよ」

「……苦しいよね……辛いよね」

「うん」

「葉瑠、頑張ったね」


 あの時、葉瑠に直接言えなかった言葉。

 届いてるかな。

 葉瑠の身体に。

 「何で私が」と燃える怒りに。

 孤独がつれてくる虚しさに。

 寂しさと悲しみが混ざった、その冷たさに。


 私の言葉は葉瑠を癒せているかな?


 葉瑠の声は泣いていた。


「……ありが、とう……」

「葉瑠がどう思うか分からないけど……」

「なに?」

「生まれてきてくれてありがとう」

「…………」


 聞こえてくるのは小さな嗚咽だけ。 


「ずるい」

「ごめん、でも……」


 分かり合える人を求めていたんだ。


「でも?」

「いや、何でもない」

「ばかぁ」

「ばかじゃないもん」

「ふふっ、ふふふふふっ」

「もうっ、おやすみ!」

「おやすみ!」


 苦しさの中にある幸せはとても尊かった。

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