救われたこと、願ってしまうこと

 葉瑠は顔を見ないで話す。私の顔を見ないで、声だけで会話をする。

 逆に言えば、私に顔を見せないとも言う。


 いつも『病む』という言葉を知らない明るさで、葉瑠は私に話しかける。

 最初はその明るさにあてられて、泣きそうになることが何度もあった。それでも、顔を見られないことで私は救われていた。

 そして私は単純な人間。暫くすると私は簡単に順応していく。


「葉瑠」

「なぁに?」

「葉瑠はどんな顔してる?」

「今?」

「うーん……今」

「笑ってるよ」

「そーじゃなくて」

「え?どゆこと?」

「容姿的に」

「今って言ったじゃん」

「ごめん、理解してなかった」

「もぉ」


 本当はどんな顔をしているのだろう。葉瑠はいつも明るいから、本当は思ってもないことを言っているのかもしれない。そう思うこともある。

 実際、私がそうだから。

 もしそうだったら、ちょっと悲しい。

 ちょっとだけ。

 私は葉瑠に期待しているのかもしれない。善良な人間を。


「可愛いよ」

「え?」


 葉瑠は突然にそう言った。


「灯喜が聴いたんじゃん」

「え、……あぁ」

「私、可愛いよ」

「自分で言っちゃうんだ」

「可愛いもん」


 おどけた口調が、本気でそう思っているように聞こえる。

 本当?

 私は葉瑠のこと、信じていいの?


「本当だもん」


 そっか。


「分かったよー。あーあ、楽しみだなぁ、葉瑠の顔みれるの」

「っていうか、前に横顔見たって言ってなかった?」

「あーでも、一瞬だったからもう覚えてないし、横顔だから分かんないよ」

「えぇ~、覚えてたら私の可愛さ伝わるはずなのになぁ」

「残念だったね」

「ほんとだよ」


 ふふっ。楽しみだなぁ。

 悪戯に顔を覗き込みたい衝動にかられた。それをすんでのところで止めたのは、腕に繋がった点滴。


 もし、私たち二人が極一般的な友達だったら、健康的で向かい合って話すような友達だったら、何か変わっていただろうか。

 私の、相手を信じられないこの醜さも、変わっていただろうか。


 しかしそんなことは絵空事で、絶対的に存在しなくて、夢見ることも傲慢だ。


 今日、お手洗いのためにベッドを降りたとき、葉瑠のベッドはカーテンで遮られていた。隙間から見えたのは、頭まですっぽり布団を被った姿。


 私が葉瑠の顔を見られるのは、もっと先のことかもしれない。


 なんとなく、そう思った。


 分かっていても願ってしまう。

 "普通"の友達を。

 向かい合って話すような。

 笑い合って話すような。


 ◇


 季節は簡単に変わってしまう。

 葉瑠も私も、退院する気配を感じさせなかった。


 病院は全館暖房が働いていて、常に心地よい温度に保たれている。気がついたら、冬が明けようとしていた。病室の窓からは下が見えないが、共有フロアの窓からは鮮やかな花が見えた。フロア自体には生花ではなくドライフラワーが飾られている。

 そして、病室の天井からは春の飾りが吊るされている。


 葉瑠、春が来たよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る