第4話 白熱灯の下で
目の前に、簡素な傘がついた白熱灯がぶら下がっていた。
視線の高さに戸惑っていると、足下から何かが聞こえた。
見下ろすと、遙か下方に小さな人影が見えた。
人影は子供のようだ。
スポットライトを浴びるように、暗闇の中にポツリと浮かび上がっている。
性別までは分からないが、短い髪をして検査服のようなものを纏っている。
更に目をこらすと、子供の表情が詳細に見て取れた。
子供は、顔を歪めて泣きじゃくっていた。
絶え間なく涙を流し、鼻水を垂らし、涎をまき散らしている。
しかし、泣き声は微かにしか聞こえない。
いっそのこと、大声で泣きわめいてくれた方が助かるというのに。
目が覚めて、この場所から抜け出せるかもしれないのだから。
そんな薄情なことを考えながら、子供の様子を眺めた。
そうしていると、俄に白熱灯が左右に揺れ始めた。
すると、少し離れた場所にも、光が当たっていく。
はじめは、灰色のタイルが敷き詰められた床が見えるだけだった。
しかし、揺れが大きくなるにつれ、紫色のシミができた床が映し出された。
見つめるうちち、白熱灯の揺れは更に大きくなる。
そして今度は、サンゴのような何かが姿を現した。
それは、白熱灯の揺れに合わせ、ほんの少し姿を見せては、また暗闇に消えていく。
凝視していると、白熱灯の揺れはますます大きくなっていった。
そして、サンゴのような何かは徐々に全貌を現した。
それはサンゴなどではなく、人の形をした血管の塊だった。
子供の両脇に、血管の塊が横たわっている。
ああ、ドクミツバチに刺されたのだな。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
ドクミツバチに刺された者は、その毒によって悲惨な最期を迎えることになる。
血管が凝固し、それ以外の部分がすべて溶解してしまうのだ。
皮膚も、毛髪も、筋肉も、内臓も、骨や歯でさえも。
助かるためには、すぐに毒嚢のついた針を引き抜くしかない。
しかし、針には細かい返しが無数についている。
そのため、引き抜く際には耐えがたい激痛に襲われることになる。
多くの人は、激痛を恐れて躊躇しているうちに、手遅れになってしまう。
子供の両脇に横たわる血管の塊のように。
実際に目にするのは初めてだが、想像以上に凄惨な亡骸だ。
こんな亡骸が近くにあるのでは、子供が号泣するのは当然なのだろう。
しかし、恐ろしいならば、早くこの場所から逃げてしまえば良いのに。
もしくは、この塊は子供の両親なのだろうか?
だから、悲しくて号泣しているのだろうか?
私は子供のことが気になり、再び目をこらした。
すると、子供の様子が今までより、更に詳細に目に入った。
そして、子供が泣いている理由を知ることができた。
どうやら、恐怖や悲しみで泣いているわけではないようだ。
子供の右手の人差し指に、ドクミツバチの針が刺さっている。
針についた毒嚢は、脈打ちながら毒を送り続けている。
子供は泣きながらも、毒針を摘まんで引き抜こうとした。
しかし、痛みに耐えられず、すぐに手を放し更に号泣する。
そんなことをずっと繰り返している。
いつの間にか、汗ばむ手を握りしめながら、毒針が引き抜かれることを願っていた。
しばらくすると、子供は歯を食いしばり、再び毒針を摘まんだ。
そして、勢いよく腕を振り上げた。
その瞬間、毒針はズルリと引き抜けた。
無数の血管を纏わりつかせながら。
子供は卒倒し、白目を剥いて浅い呼吸を繰り返した。
呼吸は次第に、弱々しくなっていく。
それから、どれだけ時間が経ったのかは分からない。
いつの間にか、白熱灯は揺れるのを止めていた。
ただ、ほとんど動かなくなった子供を照らしている。
そこで、目が覚めた。
部屋の中は薄暗く、雨が屋根を打つ音が聞こえる。
私は鈍く痛む頭をさすりながら、身を起こした。
あの子供は助かったのだろうか?
そんな疑問が、ぼんやりとした頭の中によぎった。
しかし、目が覚めていくにつれ、そんな疑問も消えていった。
いつまでも気にしていても仕方がない。
あの子供も、ドクミツバチも、現実には存在しないのだから。
それから、身支度をし家を出て、満員電車に揺られ、勤め先に到着した。
執務室に入り、軽く頭を下げながら挨拶をする。
概ね滞りなく挨拶を済ませて、自分の席についた。
それから程なくして、所属部署の定例会議に出席した。
会議といっても、各自が担当している仕事の進捗状況を報告するだけのものだ。
今日も、何事もなく会議は終わる。
そのはずだった。
進捗状況を報告する後輩の様子が、明らかにおかしい。
進捗は予定通り、と口では言っている。
しかし、あからさまに目が泳ぎ、まばたきの回数が増えている。
「その報告は、本当のことなのですか?」
出来る限り高圧的にならないように、後輩に尋ねた。
すると、後輩は顔を引きつらせながら、肩を震わせた。
そして、私から目を逸らしながら、モゴモゴと何かを呟く。
私は会議室から後輩を連れ出して、二人して別の会議室に移動した。
二人きりになると、後輩はポツポツと真実を語り出した。
少しくらいの遅れだから、取り返すことができると思っていた。
しかし、気がつけば、来月末の納期には到底間に合わないくらいに、進捗は遅れていた。
聞いているうちに、気が遠くなった。
しかし、納期が来る前に真実が分かったのは、幸いだったのかもしれない。
それに、まだ後輩の心身も、手遅れという状態ではなさそうだ。
それでも、じきにサンゴのような血管の塊になってしまうのだろう。
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