第2話 蛍光灯の下で
天井に、木製の四角い傘がついた蛍光灯がぶら下がっている。
畳は酷く日に焼け、縁はボサボサにほつれている。
広さは四畳半か六畳ほどで、家具の類は見当たらない。
それどころか、出入り口すら見当たらない。
周囲はただ、薄汚れた白い壁に囲まれている。
当然、窓があるはずもない。
そんな部屋の中央に、私は立っていた。
部屋の中に、私以外の人間は見当たらないように思える。
……断言することができないのは、部屋の壁際にいるソレせいだ。
ソレは、畳の長辺より少し短いくらいの長さをしている。
ソレは、目のないナメクジのような形をしている。
ソレは、ウジのような色をしている。
ソレは、ヒキガエルのようなぬめりを持っている。
ソレは、ヘビのように全身を鱗に覆われている。
一見すると、それは人間ではないようだ。
しかし、ソレには薄らと血管が浮き出ていた。
私には何故か、その血管が人の静脈のように思えた。
だから、この部屋にいる人間は私だけだ、と断言できずにいる。
ソレは、先ほどから一定の速度で、ズルズルと壁に沿って前進している。
いや、ひょっとしたら、前進ではなく後退しているのかもしれない。
何しろ、体に前後を判断できるだけの特徴が、全くないのだから。
顔もなければ、尾も生えていない。
かろうじて短い脚が生えているのは分かる。
しかし、つま先と踵の区別まではつかない。
ソレはウジ色の体に人間の静脈を浮き出して、進んでいる。
壁に沿って、ただズルズルと。
気味が悪いとは思ったが、不思議と恐怖は感じなかった。
ソレには、尖った牙もなければ、鋭い爪もない。
ソレは、こちらを攻撃する手段を一切持ち合わせていないのだ。
ソレは、ただズルズルと、壁に沿って進んでいるだけだ。
だから、恐れることもない。
しかし、好ましいものとも言いがたい。
できることならば、早くこの部屋を出て行きたいものだ。
しかし、この部屋には出入り口のような物は見つからない。
それでも、諦めきれずに、部屋の中央に立ったまま壁を探し回った。
すると、あることに気がついた。
ソレと壁の間に、僅かに隙間ができていた。
あまり気がつきたくなかった発見に、深いため息が自然と口から漏れた。
ソレは、ズルズルと進みながら、徐々に壁から離れていったのだろう。
つまり、徐々に私に近づいているということでもある。
逃げ出してしまいたいが、出入り口はまだ見つかっていない。
それに、腰をひねる程度にしか、体を動かすことができない。
それでも何とかしようと身じろぐ間にも、ソレはこちらに近づいてくる。
少しずつだが、着実に。
ズルズルと音をたてながら。
ただ、この速度ならば、私の元に辿り着くには相当時間がかかるだろう。
それまでには、出入り口が見つかり、体も動くようになるかもしれない。
しかし、もしも間に合わなかったら……。
生ぬるくブヨブヨとした感触が、脚にまとわりつく。
そんな想像をし、全身に鳥肌が立った。
そこで、目が覚めた。
ぼやけた視界の中に、寝室の様子が映る。
木製の傘がついた蛍光灯も、日に焼けた畳もこの部屋にはない。
窓からは朝陽が差し込み、部屋を照らしている。
掛け布団を剥いでみても、足下に何かがいるということもない。
いつも通り、ただの悪夢だ。
それから、身支度をし家を出て、満員電車に揺られ、勤め先に到着した。
執務室に入り、軽く頭を下げながら挨拶をする。
すると、一人の女性と目が合った。
彼女は、すぐに眉間にしわを寄せると、あからさまに顔を反らした。
彼女は一昨日、書類の渡し方が悪い、と突然怒りだし、それからずっとこんな様子だ。
こちらとしては、いつも通りに手渡したつもりだったのに……。
それでも、彼女にとっては、何か耐えがたい違和感があったのだろう。
何にせよ、挨拶時に顔を背けられる以外、業務に支障はない。
それに、上司や他の同僚達も、気にするな、と言っている。
ならば、放っておくより他はない。
あの、人の静脈を持つウジ色のものと同じように。
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