第22話 血の継承

 甲板に額をうちつける。


 一度。二度。


 目の前の現実が、揺らぐことなんてないって、拙自身が一番分かっている。

 でも、だからって。


 一度。二度。


 受け入れることなんてできやしない。


(気は済んだか?)


「姉さん、どうして死んでしまったのですか。あなたなら、どうにでもなったはずだ」


(キキ、刹那的な楽しみ方もあるということさね)


「……。残される側の気持ち、少しはくめよ……」


 後悔、鈍痛、虚脱、無念。飲み込む、苦い味。


 血が落ちた。痛みは、絶望をおおってくれやしない。

 死んだ。


 姉さんが死んだ。

 霊体として拙の前にあるのが、何よりの……。


「うぐっ……」

 人は死したとき、肉体から魂が抜けおち、アストラル体となる。

 強い意志力があれば、残留思念として、ようは霊体として現世へとどまることも可能だが。おばけが現実でなにかできるでもない。それこそ、降霊術師と対話をおこなうくらいしか。


 なんてことを冷静に考えて。狂いの淵で、落ちてしまわぬよう姿勢をただす。


 小舟の先。ミツキが座っていた位置に腰掛けるキナ姉さん。外観は朝霧ほどに淡く、生前あった鬱血の赤はなりを潜めていた。


 得心がついたのだ、人生に。解放、しがらみ、抑圧からも。なにもかもを成し遂げ、キナ姉さんはようやく、自由になれたのだ。


 あれほど穏やかな表情の姉さん、拙はみたことがない。

 成仏……、アストラル粒子となり、霊海へ帰らないのは、拙と最後のときをすごすためだと、涙ぐんで直感した。


(こんな時勢さね。あんな生き様さね。いずれ死ぬのは目に見えていた。たまたま、キナさんのほうがはやかったと言うだけ)


「えぇ、覚悟はできていましたよ」


(なら、なぜそうも、キナさんのために泣くのさね)


「覚悟があっても。思えるのが人の心です」


(泣き虫め)


 姉さんのことを、一番知っているのは拙だ。

 あぁ、あなたはもう……。


「姉さん。拙と契約を結んでください。生前葬を破却し、あなたを出迎える準備がある」


(ふん、断るさね)


「どうして!?」


(いまさら生に執着するほど、キナさんは不自由していない)


 くそ、くそ……、なんてかっこいい人だ、不敵に笑って。

「あなたは! 生きながらえることすら縛りというのか!?」


(ちがうよ、つー。キナさんは、満ち足りたんだ)


「うぅ……」


(満足したんだ)


 知っていました。あなたの答えも、あなたの気高さも。


 拙はなんてことを……。

 我が身かわいさに、旅立つ姉さんを、縛ろうとしてしまった。これではエンマの時と同じじゃないか。拙は愚かだ。愚かにも賢しいから──。


 姉さん。あなたの死に様にすら憧れられる。


「……うぅ、うぁあああああ」


 泣き虫だから、歯を食いしばって耐えるのにも慣れた。声を大にして泣くのは、いついらいだろう。


 今はただ泣こう。

 この激情をこぼし終えたそのとき。

 拙はようやく、さよならが言える。


 悲しみすら愛そう。

 だきしめて、だきしめて。


 ぬくもりでも、冷たさでもいいんだ。

 見いだしたソレを、宝物にするのだ。





(涙は枯れたか?)


「はい、姉さん。なので議題を、前へ進めましょう。あなたは、優しい言葉をくれるためだけに、ここへきてくれるような人じゃない」

(キキ、その心は?)


「あなたを殺せるほどの事象が今、世界各地でおきている。つまりは、物語が佳境を迎えているということです」

(だな)


「されど、拙はあまりにも弱い。大切な人を守る力も。“わがまま”を通す力もない」

(あぁ)


 吊されるミツキを見て。助けてくれると思ったから、引き金をひいた。

 姉さんの強さと自信に甘え。一人戦地へ追いやり、身勝手に涙する。

 始まりですら拙は弱く。終わりですら拙は泣き虫だ。


「姉さん、拙に力をください。あなたが死んでいいとおもえるほどの見返りを」

(あとは?)


「自由に泣くための、誇りと矜持を」

(キキ、よく言った)


 キナ姉さんが拙の身体にふれた、胸底でなにか、血なまぐさいものが。発芽する──。


(布石はとうにうっていたさね。ツナ、お前の肉体を作ったのはキナさんだ)

 虚空属錬金術師・空に乗っ取られ、魂だけになった拙を救うために、姉さんは拙の肉体を錬成した。


(多少イジらせてもらった。適合しやすいように──)

 姉さんの手のひらから、異質な構造物が生み出されていく。一目で人間の脳だとわかった。幾重もの管がたなびく様は、まるで宇宙の誕生にも思えた。


(思考は物理現象の一種であり、感情すら流動的粒子が産む化学反応にすぎない)

 ならば──。


(魂を形作るアストラル“粒子”すら、我が“錬金術”の対象だ)

 姉さんは自らの魂を材料に、一つの式を錬成する。


(受け取るさね、ツナ。血の方程式を)

 血の味。赤い映像。やがて理解。


「これは、不知火ですか」

 拙は──、“血族降霊”を獲得した。


(これで思い残すことはなにもない。つー、最後に一つだけ忠告しておく。自壊の果てで声を聞き、されどそこに主人公を見いだしたのは、ミツキ自身の意思。魂をいくら殺そうと。“主人公”を求める渇望だけは、ミツキの根源的欲求に他ならないさね)


「え?」

 その時──。

 地球の自転が止まった。


 遠心力と慣性が踊り、空へ放りだされた。姉さん、あぁ、姉さん。

 手を伸ばす。遠のくことが、抱きしめない理由にはならない。


(ミツキは帰ってくるぞ)

 そんなこと、どうでもいいよ。姉さん──。


「さよなら」

(あぁ、楽しみだ)

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