第20話 原初の魔女

 ひすい色の草原は永く広がり。鳥はうたう、蝶は踊る、花々は萌えている。新緑の大気は朗らかで。蒼穹の空、うぶな雲が遊んで。

「キナちゃんの心象……」


 子憎たらしく、いつも誰かをバカにしていた。上から目線で、悩み事ぜんぶを一人で抱えこむから、不健康そうな面をひっさげていた。歪んだ性格と、奇妙な笑い声は感性を逆なでする。


 変な奴。キナちゃんは変な奴! でも、そんな子が夢見た情景は──。


「なんて奇麗……」


 揺すぶられる。ひざだっておちる。五百年前にはきっとあったんだ、この自由は。

 現世においてありえない美景だとも。さりとて。私たち人類の魂は、しゃんとこの草原を覚えている。


 叫びも、涙も、呼吸も。忘れたんじゃない。


 圧倒的な自由のまえに、あまねくは金縛る。


「あぁ……」

 この感動に名前をつけよう。二度と忘れないように。いつでもとりだせるように。


 額縁にいれ、飾り立てたそのとき、感動は思い出のひとかけになると知っていながら。絶景を盲目的に眺めることだけが、私にできるすべてだった。


 風が吹く、血の香り? 慣れ親しんだ。

 あ──。


 紙袋が落ちていた。私のかぶっていたやつだ。ちょうどいい、ガスマスクでは居心地が悪かった。


 思い立ち、拾い上げ──。

 不自然な重量を感じる。


「なにか入って……」

 のぞき込んで。


 底からぽたぽたと。

 視線が合う。


 鮮血がしたたり落ちた。

 虚ろな。


 目。


 何度も見てきた、死人の目。脳の裏地をなめるような、不快な障り。

 あぁ。キナちゃんは死んだのだ。


「私ね、せっかく顔を直してもらったのに。恥ずかしくてさ、見せられなかった。だってツナ君、あんなに奇麗な人だもん。私のブスなんてさらした日には、劣等感で死んじゃうね。意外と気に入ってたんだぜー? 私のゾンビフェイス」


 人が死ぬとき、最後に残るものは聴覚だという。ごめんね、自分のことばっかりで。でもね、たとえ私の言葉が聞こえていなかったとしても。


 キナちゃんと私の最後なんだ。友達っぽいこと、話してみたかったんだ。


「ありがとう。大好き」

 抱きしめた彼女の首は、錬金術で作ったものだったのか。溶けて、解けて。


「全部私の。一滴たりともくれてやらない」

 被りなおす。染まる。


「んじゃ、やろうか」

 キナちゃんが紙袋に書き置きしてくれた情報によると。うわぁ、まじか。


 眼前にたたずむ奴は、キナちゃんを殺した張本人にして──。


「原初の魔女、成れの果て」

 呪いの累積か、皮膚は黒々くそまり。乱れた髪の奥、両目は闇色にがらんどう。くさびを肉に打って、なんとか人の形をとどめている。


「いや、正しくは。妖術師の肉体を乗っ取った神獣。魔女の自我そのものである、“オオグチマカミ”?」

 まぁ、どうでもいいや、忌引いびきしよう。

 敵意をみせた、すると──。


「わお」

 私の“妖術の瞳”が、来たる“危機”を視認した。


 青むらさきに爛れた歪な線が、縦横無尽に私を取り囲んでいる。

 線は運命力に干渉し、ふれた瞬間、きっと世界が牙をむく。


「やってみろよ」

 記憶なんてなくたって、心体は明確に覚えている。戦場実家、なめるな。


 反射に意思決定権を譲渡する。ゾーンに入った、なにも考えなくてよいので楽だ。

 その結果──。


「右目を媒介に、貫け」

 脳内の“馬鹿げた案”が採択された。


 遺物は、“国をも堕とせる”そうだ。


 どうしていままで使ってこなかったのだろう。

 不思議だ。


 こんなにも世界が憎いのに。いたわる道理などないのに。

「ドカン!」


 千光年先まで、届け、レーザービーム。

 神の槍は運命線ごと不知火ミナを貫く。


「これ以上ないくらいに素敵な場所。たぶん、生涯で一番。ならね、あとは汚いものばかりだから」

 あげちゃおう。光も。未来も。こぞって。


「返すね」

 不知火ミナの眼窩に、とりだした左目をねじりこむ。

 妖術はすごいもん、碌な手術をしなくたって。『たまたま神経系がつながって』くれるだろう。


「君の顔を眺めていたら萎えてくる。悲しい顔すんな」

 不知火ミナ。君のために、キナちゃんはこの心象を産んだ。


 世界はこんなにも美しいんだって、あなたに知ってほしかったんだよ。

 だからね、目、あげるよ。


 不知火ミナのなれはては口を開く。


「死ぬときは、一番幸せなときがいいって、いつも願ってた」

「へぇ、気が合うじゃん」


 風が吹く。とても強い風だ。不知火ミナの残留思念はさいごに、“地球の自転を刹那秒停止する”という、“たまたま”を必至た。


「ありがとうございます」

「行ってくるね」


「どうか私を、見つけてください」

 風に吹かれ、高く高く、舞い上がる。


 一度だって誰かに持ち上げられたことのない身体は。魂は。

 高く高く、どこまでも。


 崩れいくかんとうの花園から、神ノ國ちゅうごくまで。

 一息に。





 半刻、空中遊泳の終わり。

 木々にうけとめられ、全身の骨を折った。


 肉は痛々しくも引き裂かれ。死人と大差ない見てくれだろう。


「まずいなぁ。死ぬかもなぁ」

 あと少し、ほんの少しだけでいい。

 物語を楽しませて。


 とはいっても……。


「はぁ、はぁ……」

 痛い。正直、かなり痛い。


 肺、膨らむな。肋骨が刺さって痛いんだ。血、止まるな。お前が温めてくれないと、体が冷たくなる。


「こりゃダメだ、動かん」

 微動だにしない。


 光をなくし、とざされたあらましの中、懸命に神経をまさぐるも。たぶんどっかで切れている。

 痛いくらいで止まれるのが私なんだ。


「せっかくだ」

 ツナ君にいわれたとおり、すこし立ち止まって。考え事をしてみよう。 

 オオグチマカミを討ち、復讐を果たした。


「今の私がやりたいことはなんだ?」

 存在意義とか。生まれてきた理由とか。犯行動機とか。そんなやつ。


「死んでしまった私よ、くそったれな世界で、いったいなにがしたかったんだ?」

 考えてみた。


 ヒノエミツキならどうするか。ヒノエミツキならなんていうのか。

 十秒くらい。


「やめた」


 しかたがない。私の性格上、“なくしたもの”に興味がもてない。

 そもそも。私は不知火ミツキだ。


 死んでしまったんだろ。なら、しょせんそこまでの切望だたってこと。


 なくして。落として。そぎ落として。

 最後に残ったものだけを、抱きしめてあげよう。


「私の名は、不知火ミツキ」

 キナちゃんの妹で。ツナ君のお姉ちゃん。彼らと血を分けた姉弟であるのなら。

 考えてもみない展開だけが、私の感受性を豊かにする。


「らしくいこう」

 たとえばそう……。


 原初の魔女を、“復活”させてみたり。


「一度、文句いっておきたかったしね」

 もしここが私の予想通り、神ノ國ちゅうごくであるのなら。いるんでしょ、そこにも。どこにでも。


 あらゆる術式の頂点にたつ存在。災いの戴冠たいかん者、呪術師。

 さすがに無知な私でも知っている。序列一位に君臨する君たちは──。


「口に出した言葉を“現実”のものにする」

 “叶える望みにたいして数乗倍の呪いが跳ね返る”、という制約こそあれど。


 どんな願いだって叶えられる君たちは、きっと私なんて簡単に殺せるよ。


 でもね、たかが中学生一人を殺すのに、“百人規模”の人間を贄にしなければいけないのなら。そんな力、ないのと同じだ。


 呪術師は、呪いを操る者でなく。呪いを受ける者のこと。


「ところがどっこい。私は、“呪術の舌”を持っている」

 権能は──、“呪術の呪いを無効化する”。


「くれてやる」

 何百年ものあいだ、呪いを恐れ。声を奪われ。

 ただ、神へ祈り続けることしかできなかった民たち。


『手をだせば、日本列島ごと心中してやる』と、馬鹿げた手段を講じることでしか、自己を守れなかった弱者たち。


 神話の幕引きをみせてやる。


 産声だ。

 喝采だ。


「ファーストキスだ」

 何者かが私に接吻し。舌を噛み切った。


 叫べ。たいそうご立派な神殿までうちたてて。


 五百年間、お前達は何を望み続けた? 

 さぁ叫べ。お前達の、呪いを、祝福を、腹の底から!


「おのれは魔女だ」


 口に出した言葉が、真実になる。

 少女Aが、神になったように。顔も知らない名無しの呪いは、原初の魔女へと──。



 爆誕した。

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