第19話 春風は青く

『あとのことはまかせて、ミツキと一緒に生きろ』だって。くすぐられる甘言だ。

 姉さんは、拙にそう言い残して。卑屈に笑って。


 でも、やっぱり姉弟だから、分かってしまうのです。あなたは少し、寂しそうだった。あぁ、風よ。冷たい風よ。激情を、涙を。どうか凍えさせておくれ……。


 願いながら。呪いながら。


「ミツキは、死んだのですね」

「みたいだね。さっぱり思い出せないよ。ツナ君、君にであう以前の記憶」


 死國にいる用をなくし。潮の流れに従うまま、拙達二人は船を漕ぐ。ゆらりゆらりと海に浮かれて。土台をなくした拙達には、ふさわしい心象だ。


「それだけじゃない。ちぐはぐで、とりとめがない。何かにまつわる記憶を、そうじて抜き取られたみたいな、虫食いの穴ぼこ。行動原理は家出だね」


 欠損した部位も、生々しい傷跡も。なにより“表情”すら取り戻してなお、ミツキは以上のものをなくしてしまった。姉さんが奪ったのだ。


 なぜ殺したのかは分からない。でも、あんなに賢こい姉さんだから。確かな理由があるのでしょう、拙は責めません。


 あふれだすポロポロは、さよならの涙です。


「安心してよ、別に私はおこっちゃいない。だって、一番大切なものは、まだあるもん」

「なんですか?」


「君だよ、ツナ君。ツナ君の“夢”が折れちゃいないのなら、それは私の“夢”でもあるのさ。どうして君に肩入れするのか、正直わかんない。でも、私、けっこういい感じの奴だしさ。君を信じた、かつての私を、信じてやろうじゃん」


『それにね──』


「君との初めては覚えているんだ。あの時のトキメキはマジだった。だから私は大丈夫」


 ミツキ、あなたは親友をなめすぎです。饒舌で取り繕ったって、奥底まで透けている。ミツキ、あなたは拙を、“慰めてくれる”ような人じゃない。


 いつだってあなたは、責め立ててははやし立て、おだてては楽しそうに拙を眺める、嫌な奴だったはずだ。


 殺されて変わってしまった? ちがう、姉さんは天才です。そんな不手際は起こりえない。不知火ミツキと、ヒノエミツキの根底は、限りなく同一であると考えるのが自然。あなたは拙をはげますふりをして、自身を撫でているのでしょう?


「拙には全部を話してください。あなたはもう家族なんだから」

 記憶を奪うという行為は、魂の瓦解に等しく、姉さんは欠損を血で代替した。遺伝子学上、もはやミツキは、拙と姉さんのあいだがら以上に近縁で。ひとつ離れた姉ちゃんだ。


「あはは、さすがにバレてるか。実はね、さっきから、震えが止まらないんだ」

 表情を取り戻したミツキは、けれど一度も、素顔を見せてくれることはなかった。紙袋こそかぶってはいない。しかし支給されていたガスマスクで蓋をするなら、さしたる違いはない。


「君がいる。でもね、それは“君しかいない”ということの裏返し」

 ミツキは拙と出合った以前の記憶を失くしている。つまり……。


「私の世界に、“私”の居場所はどこにもないよ。私はいったい、どうして息をしていられるんだろう、どうしてしゃべっていられるの?」


 キナ姉さん……。こんどあったら、ぜったいにぶん殴ってやろう。たとえどんな理由があったとしても。一発くらい、やっちゃいたい気分だ。


「拙だけではありません。キナ姉さんだって、ミツキ、あなたのことが」

「そうだね。キナちゃんだって、ツナ君とおなじだけ愛してる。でも、頭数が増えたって。頭ん中はがらんどうのままだよ。おかしな話。君たちに首ったけだというのに、私は首なしなんだもん」


『こんなことなら。全部綺麗にとっかえておくれよ』

 ミツキのぼやきは、マスクにどもって霧散した。


「まだかろうじて生きていける。まだ残っているから。君の“夢”がね」

 キナ姉さんはすでに“あがって”いる。だからミツキは、あえて『拙だけ』と表現した。


「君の夢をかなえてあげたい。うん、この感情はたしかだ」

 だが、しょせんは夢だ。叶うかどうかの如何にかかわらず。夢はいつしか必ず覚める。冷めるものなんだ。それが“他人”の夢ならなおさら。


「もしも君の夢を叶えることができたとして。その後、“なにもかも”をなくした私は、どうなっちゃうんだろうね」

 ……。


「私は君の夢を叶えてあげたくて、たまらないのに。君の夢を叶えることが、たまらなく怖いんだ」

 ……。


「私はいったい、何者なの……」

 ……。


「ツナ君、私を、一人にしないで」

 ……。


「ツナ君、私を、置いてかないで」

 ……。


 今初めて、己の夢が揺れていることに気づいた。

 ──という台詞の言えない“自分”に、心底腹が立つ。


 拙はかわいそうなミツキを前にして。夢を放棄するつもりは、ことさらになかったのだから。


『一人にしない、置いてったりしない』。言葉にするのは簡単。けれど拙とミツキは、家族である以上に友であり。


 ミツキの悩みは、拙にどうこうできる範疇になく。神でさえ手出しできない、“ミツキだけの悩み”であると。友として言ってやれるか。


「あなたの悩みは、想像を絶する類いのものです。けれどひどくまっとうなものでもある。なにも間違ってはいないのです」

 だってミツキの悩みは──。


「自分が何者かわからない。十四歳の女の子ならだれしもが直面する」

 自身を思う、青い春──。


「“思春期”じゃないですか」

「え?」


 姉さん、あなたは本当になんて人だ。


 過酷溢れる世界にあって。戦火の絶えぬ世界にあって。

 個人の価値は乏しく、生死の意義すらひとしく淡い理不のなか。


 あんなに強く、たくましく、強靱であったミツキを──。


 ただの悩める女の子にしてしまうなんて。


「考え続けろ。姉さんは再三口にしました。考え続けて、思考し続けて。きっと姉さんは、ミツキに“まっとうに生きて”ほしいのだと思います。あたりまえに。何者にも縛られることなく」

 なんとなく。


「……なら、私は、このままでいていいの?」

「えぇ。あるがまま考え続けることが、宇宙そらの真理より真実です」


「ど、どうして年下に、そんなことがわかるのさ」

「キナ姉さんのときはあなたよりひどかった」


「容易に想像がつくね……。納得だよ」


 それにね、ミツキ。あなたが恐怖で震えているのなら。拙はそれ以上の愛情をもって、あなたの手をとろう。共感はできないが、よりそうことならできる。

 とは、さすがに恥ずかしくて言えやしなかった。


「んあ、そんなことよりツナ君、あれ見て!」

 そんなことより。自己の悩みを吹き飛ばせてしまえる女の子がミツキ。


「拙は昔、あそこにいたことがあります。が、何度見ても荘厳ですね……」

 小船は大海をぬい、着実に岸へ近づいているというのに。あまりにも巨大な“城”を前に遠近感は狂い。おぼろげの圧巻が天を衝くばかりであった。


「まぁ、実際は城というより。きゅうしゅう全土をまるごと覆う、“学校”なんですがね」

 原理帝国ちゅうぶと双肩をなす大国、魔術教室きゅうしゅうは。文字通り魔術師たちの住まう土地である。


 魔術師は生涯をとして、魔術の研究に励むものだが。錬金術師と大きく異なる点は、“他者と協力しあえる”ことにつきる。


 錬金術師はみな個人のアトリエをもち、個人の専門分野へ排他的に没入する。

 いっぽう魔術師は、学校という箱庭内でクラスタを形成。組織力でもって国力の繁栄を促進している。


 学あるものは後世へ知識を伝え。無知なるものは貪欲に学ぶ。学舎というシステムは、戦争時代にさいし、なるほど理に適っているといえる。


「名をそのまま魔術教室といいます。ミツキはいぜん、この国にいたらしいですよ」

 死刑囚として……。


 魔術教室の外観は仏閣のようであり。神殿のようでもある。当然のこと。あの学び舎は五百年前、不知火ノエハが魔法の力でもって打ち建てた、私城の名残りだ。時の意匠がこらされているのだろう疑洋風の構造には、禍々しさすらおぼえた。


「もうすぐつくかな!」


「近くに見えるだけで、実際はあと数十キロ以上。食料と水分は念入りに詰め込んでありますが……。ミツキ、サボらないで漕ぐ」

「あいあいさー」


 オールに力をこめる。手のひらに海をかんじる。

 今日中につくかな、なんてことを考えていたら。ミツキから思いがけない言葉が。


「そういえば、どうしてツナ君は、“世界への復讐”なんて目論んでいるの?」

「おぉ、聞いてくるんですね……。興味がなかったのかと思っていました」

「前の私がそうだったんでしょ」

「……」


 気にしているのは拙だけ。泣くのも拙だけ。


 夢を語るのに、多少の勇気が必要だった。

 骨董無形の覚悟であると、拙自身がもっぱら理解しているからだ。


「拙たちの世界は、はてしなく命が軽い。死んでも生き返るという儀典は、命を使い捨てのものにしました」

 戦地に立って、確信はより強固となった。なんぴととも悲観に暮れることなく、死への恐怖もあらかたとなかった。笑顔な死に顔の、なんと喜劇的なことか。


「別に、それはいいのです。己の命を軽んじる分には、お好きにどうぞ」

 他人の命。おもんぱかれるほどできた人間でない。


「許せないのは。奴らは常に、“他者の命”すら軽んじること」

「つまりツナ君、きみは君の命をないがしろにする世界が、ゆるせないの?」


 ミツキの言葉をうけ、かつてを思い出す。母が死に、きゅうしゅうに囚われた拙の、地獄の日々。拙は特性上、魔術研究の対象となってしまったのだ。


 すべての遺物に適合できるということも一因。

 だが“精霊との混血”であることが、より彼らの興味をひいたのだろう。


 “祝福の魔術”。細胞を活性化させ、部位や傷の欠損をたちまちに癒す高等魔術のひとつ。賢者ともなれば、祝福のおよぼす解釈はさらに広がり。指折り数えきれないほどのサンプルを、肉体から回収された。


 “無痛の魔術”。だがその間、一切の苦痛、刺激は省かれることとなり。魂が褪せる程度の、つまらない日々をすごした。


 “活性の魔術”。十をすぎたころに受けた、割礼の魔術刻印は思い出深い。研究者の任意ひとつで遺伝子を強制的に吐き出させるといった簡素なものだが。それが毎日続くともなれば、倦怠感に苛まれ。生きる意義を削がれることになる。


 “転魔の魔術”。絶滅した精霊を復活させることが彼らの最終目標であったらしい。拙の肉体に残留する、精霊の要素を採集。小宇宙とさえ表現される人体のすみずみまでを、彼らは探掘した。脳内は特に念入りに。その弊害か、拙は涙のとめかたを忘れた。


 いつの日か、子飼いの魔王と呼ばれるにいたり。姉さんが助けてくれなければ、つまらなく人生は朽ちていた。


 つまらないんだ、拙という人間は。そしてつまらない人間は──。


「自分のために世界へ仇なすほど。拙は面白い人間でありません」

「ふーん。なら、なんなのさ」


 つまらない人生、つまらない毎日、つまらない鼓動。

 覆してくれた人がいた。


「拙には、好きな人がいました」

「へぇ! 素敵じゃん」


 名を小日向エンマ。拙を含む、特別な子供たちを幽閉した教室の。いうなればクラスメイト。彼女の特異性は一言でいうと、“無垢”。


 何物にも染まらない強固な精神性は、つまらない拙にとってすこし、まぶしすぎた。


「でも、彼女は死にました」

「そうなんだ」


「拙のせいで死んだのです」

 一目ぼれは春の風、あたたかで心地がいいのに、かすかな冷たさをはらんでる。


 丁寧に、慎重に、激情を育てていたなら、顛末は変わったのだろうか。

 いや、きっと無理だろう。拙は彼女をみるたびに、涙があふれてしまったのだから。あるいは、“一目”で、教室が拙の好意を見抜くための、“涙”だったのか。


「降霊術師の恋愛観は変わっているといいます。魂の色を見抜く拙達だからこそ。“内面”という項目が、好感へ多大に影響するからです」


 内面だけで判断するといっても過言ではない。つまるところ降霊術師は、常人では見抜けない魂すら、一目で判別できてしまう。

 ミツキとの馴れ初めがそうであったように。


 魔術教室は、拙の目を特異なる魂の発見器として、利用した。

「拙は彼女の無垢に一目ぼれた。無垢であるからこそ強固であり。強靭な魂は……、“神獣”の器になったとしても、容易くは壊れない」

「あちゃちゃ」


 魔術教室が保有する神獣の名は、ウカノミタマ。


 器がなければ神獣は霊骸を吐きだし続け、死國やあわじのように滅びてしまう。バサラ諸国は、神獣を人の身に封じ続けなければならなかった。


「拙が見染めた魂は、神獣の器に選定されました」

 オンキリキリバサラうんはった。オンキリキリバサラうんはった。オンキリキリバサラうんはった。そうやって。


 拙の恋慕れんぼは、身勝手な策謀にき殺された。


「ツナ君の復讐要因はそれか」

 魂はとても奇麗なんだ。よどみなく透き通っていて、陽光が差し込めば、みごと鮮やかに破顔する。小日向エンマの魂は、とても美しかった。


 網膜じゃない。海馬でもない。きっと魂ですら。

 細胞のひとつひとつが。拙を構成するすべてが。彼女の魂に、号哭ごうこくした。


「魔女はかつて、ビッグバンに比肩する感情を抱いたという。それはきっと恋なんだ。人が抱くもっとも苛烈な願いが、恋なんだ」


 魔女は誰かに恋をして、世界の在り方すらも変えてしまった。


「『生前葬』という契約があります。生者の魂と契約を結び、死後の従属を確証するというもの。代償として契約者以外の魂を降霊することが不可能となる」


 拙は小日向エンマと生前葬の契約を交わした。拙は降霊術師でありながら、魂に服従することを許されていないのだ。


「ん、おかしな話だよ。だって君の思い人は死んだのでしょ。君はエンマちゃんと、共にいてしかるべきじゃないか」

「生前葬はプロポーズみたいなものです」


「あははっ! ふられたんだ!」


 彼女は自らの死を受け入れ、天へ召された。拙の甘い誘惑にほだされることなく、あるがままを受け入れ。霊源の海へ帰った。アストラル粒子となったのだ。


 なんて無垢で高潔な魂だ。そんなエンマを、世界は──。


「小日向エンマを尊ばない世界に、同情の余地はない」

 どれほどの大義名分があれば、この恋を殺せるというのか。

 考えた──。


「この恋を失効するため、拙は世界を殺すのです」

 失恋のために、拙は森羅万象へ復讐を誓う。


「小日向エンマの殺害を、是正する世界など。拙はなくなってもいい」

「うん、いいと思うよ……」


 ミツキはおもむろに立ち上がる。


「私もそう思う。私もこの世界が嫌いなんだ」

「へぇ。なぜですか?」


「死んだ」

 そういうと彼女は、赤くはじけて、ふっと消えた。


 一人にしないで。

 置いてったりしないで。


「どの口が……」

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