第18話 逆流
「どうしてミツキの紙袋をかぶっているのですか」
「欠損した左手だけでなく、うばわれた表皮も再生させたさね。ミツキにはもう、この“偶像”は必要ない」
「それはミツキが紙袋をかぶらなくていい理由であって。姉さんの固執にはつながらないのでは?」
「奴の意思、その継承さね。物語を引っ掻き回すのは、キナさんに任せろという……」
「なにかかくしています?」
「ぎく」
「はずしてください」
「断固拒否する」
「リアリストのあなたが、ずいぶん陳腐な精神論に帰着するもんだ」
「うるさいぞ」
「なら、はずしてください」
「いやだ!」
「はずしてあげます」
「お、おいやめろ!?」
「えい」
「っ!?」
「あら」
「うぅ……」
「えらく可愛いケモ耳ですね」
起。
おもえば、これほどの激情にかられた経験は、うまれてこのかたない。
つーと別れてしばらく。ナルト大橋を渡る道中で、ふと思う。
ギョウブダヌキが消えて、まやかしの黄昏も晴れて。見どころのなくなった土地に、長居することはないと。
激情にしたがうまま──。
“いまから堕とす”国に向け、キナさんは歩を進めていた。
「とりあえず、ちゅうぶとかんとう。ついでにとうほくを壊滅させよう。向こう千年は、キナさん達に手出ししてはならないと分からせる必要がある」
時間ならある。キナさんが望めば、ひとたび姉弟は不老不死。という領域にまで、キナさんは至ったのだ。
「神道のひざ元であるちゅうごくは容赦しない。人民もろとも根絶やしにしてくれるさね。そうだ、きゅうしゅうにも借りがあった。ミツキとつーに対して、あの国はすこしやんちゃしすぎた」
敵ばかりだな、キナさん達は。
束縛なき世を求めただけなのに。
魔女よ、いまなら少しだけ、お前の気持ちがわかるぞ。
「めんどうだ、いっそ島ごと沈めてしまおうか……」
ダメだ、どうにもなげやりになる、効率を欠く。力を得たからか? 違う、ミツキのせいだ。
キナさんは奴の愛を誹り、奴の恋を殺し、奴の生き様をけなした。一度はキナさんの所有物になった“心”を。キナさん自らが否定した。
「失恋でもした気分だ」
ブルーってやつ。
これまでの話。
キナさんは『なんとなく』、ケセラセラとした道理に、身を委ねて生きてきた。
この世界が狂っていることは、はじめからわかっていたんだ。かといって、キナさんも狂ってやる必要はないだろう?
なんとなく。なんとなくなんだよ。
でも、仕方がないじゃないか、産まれてきてしまったのだから。
毎日、息苦しかっただけで。未来が、薄暗かっただけで。冷たくも、暖かくもない水底で。もがきもせず溺れていることが、窮屈だと感じるのは、そんなにおかしいことなのか?
羊膜を破って、産道をこじ開けて、声を上げたいだなんて、別に普通のことじゃないか。
普通なんだよ、キナさんは。
みんなが狂っているんだ、みんながどうかしているんだ。
あぁ、ふざけるな。
ミツキ。お前はなんてものを、キナさんに植え付けた。
心が薄かったから透過した。野望すら曖昧だったから見逃せた。
キナさんの不満など、しょせん霞がかったモヤみたいなもんだった。
なのにミツキ、お前のせいでキナさんは。明確な理由をもって──。
「ぶっ壊してやりたい」
ミツキを知ってしまった。ミツキの視界を通した、世の汚濁を知ってしまった。力をえて、息の吸い方を覚えると。あぁ、なんて世界は臭いんだ。
一掃しよう。今ならできる。
「ただ、望むべくは」
何者もいなくなった大地の果てで。ミツキ、また一緒にスープを飲もう。
「あれは思いのほか楽しかった」
承。
さて、ここからは敵地だ。
意識をただし、あたりを見渡す──。
誰かいる。ふむ、あやつは確か……。
「神獣と聖遺物の両方をえたらしい。たいした情報だ、世界一の大国であるちゅうぶが、黙認するはずもない」
あわじの地にいるは、一人の男だけだった。
「あぁ。盛大にキナさんを歓迎してくれると、だから思っていたのだが」
精彩を欠いた、うつろな相。あれでは死人と変わらないな。
男は言葉を続ける。
「本来、私もここにいるべきではない。ただ、伝えておかねばと愚考した。不知火キナ、我が軍は総力をあげて、これよりお前を叩く」
霊爆で、キナさんをあわじごと爆殺するつもりか。おおかた想定どおり。
「逃げないのか?」
「あぁ、すまない、誤解を産む発言だった。『ここ』というのは、島のことでない。本来、死んでいるべき私が、という意味だ」
「ふん。なぜ生きながらえてまで、その旨を伝える?」
「子供を殺すというのに。宣告という責任すら放棄しては、大人失格であろう?」
「よくわからんな」
「大人の仕事、というやつだよ」
いいや、違う。
「死に場所を求めているのだろう? 貴様は。キナさんはただの口実さね」
矜持、というやつかな。己の死に、役をもたせんとする。
「どいつもこいつも、最近のガキは言いやがる」
「キナさんの知見では、大人は『おとな大人』と、そう何度も口にしないぞ」
大人になりきれなかった子供の、あっけにとられた顔。あぁ愉快。
ピューッと、空から怒号がおちてくる。
「では、グッドラック。大佐さん」
八十八の霊爆が、またたきの間にピカり。“戦争”の始まりとしては、さもド派手。
上々。
ミツキ、お前にも聞こえているかい? 綺麗な音色だ。
キナさんすこし、頑張ってみるさね。
「無錬成」
転。
ちゅうぶは臨戦態勢にあった。見渡す限り、荒野一面。およそ兵士の数百万。標的はただひとり、キナさんだ。
「本土決戦とでもいいたげ」
だがあいにくだ。
「死闘。戦争。本当に? “戯れ”ではなくか」
張り合おうだなんておこがましい。愚民ども、貴様らの眼前にあるは、怒れる神か。あるいは──。
「
鼻先に触れる、指は赤。
「血属錬成、“
血の糸はときに刃物よりも鋭利。自在にたわむ赤い糸が、兵士の“両手足”を切り落としていく。
「キナさんは優しいさね、殺してはやらん」
だとしても、貴様らの後に、“四肢”は必要ないだろう?
不知火を知らす語り部として、減らず口の余生を送れ。
舞え、ほつれ、踊れ、狂え。
赤い糸だ。引きしぼれば、“運命”の首だって絞められる。
「総員、ってーー!!」
「銃撃、砲撃? キキ、効かんさね」
すべての材料を操る脳をえた。ならば、“鉄を血にだって変えられる”。屍山血河、みてみたくはないか。
「あめ玉ひとつ、血はふたつ」
無数の威、水泡のようにあぶく。血のビー玉がたくさん、とても綺麗だ。
「三つ数えたら、はいおしまい」
血属錬成──。
「“賛歌”」
ビー玉は卵、ぱらりと割れて。万の子人が背伸びした。
蹂躙が始まる。
小人一匹、百の手落とし。千の足断つ。
だるまになって。小さくなった。兵士たちの砂利道。
「武器よさらば」
キナさんを狙うすべての銃火器よ、祝砲だ。いい声で鳴くように。
「ぼたぼた」
数百万丁のトリガーへ無理強い。戦場にいるすべての男、種子へめがけて。
バンバン。「キキ」バンバン!
万々──、「罪」
あ、あ、あ、あ、あ。耳をすませば。
「応援、応援もとむ、医療班はやく!」
「全滅したよ!」
「あ、足がぁぁぁ」
「神よ、神よ、抱いてくれ!」
「なにもみえない」
「落ちているはだれの目ですかー」
「たばこを咥えさせてくれ」
「俺の」
「ぎゃあああ」
「赤いだけだろ」
「いちご味だ」
「痛い」
「ほら、引くだけ、ちゃんと狙えよ、簡単だろ」
「あー、終わった」
「なんでそこでつけるかなぁ」
「あれ? 戦闘機が落ちてくる」
「熱い! 冷たい!?」
「つらいつらいつらいらいつらい」
「おもしろい」
「戦争だってさぁ」
「これが?」
「奴をみたか? 結構好みだわ」
「殺してくれ!」
「気持ち悪いなぁ」
「奇麗だ」
「ここは地獄か?」
「いいや、きっと天国さ」
「どのみち死んでいる」
あ、あ、あ、あ、あ、あ。阿鼻叫喚。
残虐かい?
だって、だって、しかたがないさね。芋虫の生殖だなんて、気持ちの悪い光景は、まっぴらだ。
幼体で繁殖、そんなの倫理に反してる。
しかるべく道徳心で去勢する。
ふむ、奴らは幼虫?
あぁそうだ、羽を生やしてあげれば蝶々じゃん。
「ぼたぼた」
転ぶすべての人間。あばらをかっぴらいて、羽にする。ようし羽化した、飛んでける。芋虫じゃないから、お好きに好き好き増えてよし。
「ん、増えるったって……。どうしよう。元の形、よくしらんのだよな」
神獣の記憶を覗けばあるいは。ま、いいや。せっかくだし、おしゃれにしてあげるさね。
キナさんはもっぱら、“血でキナさん”を作ることが得意なんだ。血ぬれた弾痕から、せいぜい美しく咲いてみせろ。
「ぼたぼた」
あらかわいい。子人キナさん、沢山咲いた。みんな嬉々としいい笑顔。
「楽しい、楽しい、なんて楽しい。頭の中の空想を、全部吐き出すことができるさね」
なら、もういっそのこと、やっちゃおう。
本当は、やめといたほうがいいんだろうけれど。もうどうしようもなく、この“好奇”は止められないから。
「血色は、とても綺麗さね。でも、もっと、もっと、綺麗にしてみたいさね。だからどうか、総人類。貴様達の血潮で、洗ってはくれないか。血で血を洗ってはくれないか」
その先の赤が、見てみたいんだ。
結。
あっけない。ちゅうぶの滅菌を済ませたキナさんは、次なる標的としてかんとうへ北上。初の入国であったが、ちゅうぶとちがい、これといったもてなしはなかった。
未来都市かんとう。なるほど──。
「妖術もしゃんと狂ってる」
M災以降、絶望的な資材の枯渇をうけ、ほぼすべての国々が衰退してなお。
この国だけはとどまることなく、発展を続けた。
外観は絵にかいたような未来都市。
鉄筋かガラスか新テクか。判別不可能な材質で構成されたメトロポリスは、灰の曇天を映し、やけに白々しくみえた。
だが、これら圧巻は、“人の手によるもの”ではない。
たとえばこんな話がある。
宇宙に“生命”が生まれる確率は。廃材置き場に竜巻が通過したのち、ジャンボジェット機が出来上がっているのと同じ。だとか。
タイプライターを無限回、無思考で叩きつけたとて、定理上、猿でもシェイクスピアが書ける。だとか。
ジャンボジェット機やらシェイクスピアやら。神獣の記憶でしかないこれらでは、イメージしにくいことこの上ないが。
風が吹けば桶屋が儲かったり、蝶が舞えば世界の裏側で台風が生じたり。ようは偶発的であれば、どれほど奇矯な事柄でも、起こり得るという比喩。
未来都市かんとうは、“誰の思惑でもなく、たまたま出来上がった”都市なのだ。
たまたま材料が組み合わさってできた、積み木の街。
だがその『たまたま』には、もちろん“霊源”が作用している。
“妖術”をわかりやすく説明すると、“術者の意思に関係なく”、術者にとって意味のあることが起こり得る力。となる。
さらにいえば。“意味”は、なにも“幸運”ばかりを指しているわけでない。
妖術という語の定義、『人が意図していなくても危害を加えうる超常』。元をただせば“害”なのだ。
たまたま出来上がった町、未来都市が、たとえ妖術師にとって“幸運”な出来事であっても。バサラ陣営からしてみれば、邪魔な要塞以外のなにものでもない、みたいな話。
“幸運”のもつ二面性。幸は他者にとって不幸な事情であることは往々にしてあり。
遠方からみれば奇麗なだけの流れ星も。
なるほど──。
「これも“妖術”の影響さね」
雲を引き裂いて現れた“隕石”。妖術が招き寄せた厄災。
「いい、実にいい。キナさんはあえて、貴様らの異能を、“運命”と定義しよう」
運命。いの一嫌う、支配の同義。一刀のもとに両断してくれる。
いざ、最終節だ。
「血属錬成・奥義、“血戦刀”」
唐突に、偶発的に、“ビルが崩落”した。かまわんとも、その不運すら断ち切るまで。
「“絶血”」
だが当然、これだけではおわらんよ。
たまたま空から槍の雨が降ってきた。
たまたま太陽フレアが大地を焼いた。
たまたま大地震が津波をよんだ。
たまたま三発目の“原子爆弾の不発弾”が爆ぜた。
キキ、だがそれら不運のあらかたは、しょせん物理現象にほかならず。
“無い”を錬成し、あまつ害を訂正し。
一人一人、着実に。のべ数万人の“悪意なく自宅でくつろぐ妖術師”を堕とし続ける。
思考し続けろ、と叫ぶから。“考えなし”の頭が気に食わない。
落として、落として。
眼球などとっくに燃えた。皮膚は消し飛ぶから作り直す。血が蒸気して錬金がやりにくい。霊骸は元素を腐食する。手を伸ばせば骨がむきでる。足をのばしたって跡はつかない。
でも。それでも。
前へ、前へ、前へ。
ミツキ、辛かったろう、怖かったろう。でもミツキ、お前は“死んでなお”進み続けた。
ミツキを知って、のうキナよ。
どうして『痛い』くらいで止まれよう。
痛い、あぁ痛いとも。血の術式は痛みを伴う。
痛いのは嫌いだよ。新鮮にいじめてくる、慣れることはないんだ。キナさんは生きているだけで痛快なんだ。
とほほにつきる。キナさんは本当に、嫌なこと、嫌いなことが多い。痛いのも、死ぬのも、不自由も、嫌いで嫌いでしかたがない。嫌よ嫌よは嫌々でしかない。
でも、キナさんは我慢する。我慢して我慢して我慢して、我慢し続ける。
一度だって、ろくに眠れたことはない。
自由を欲すという行為において。痛みや、死や、抑圧に晒されてしまうという現実が、歴史を紐解けばみえてくる。いつの時代、いつなんどき、逸脱した理不尽が降りかかるか知れない、それが生だ。そんなことばかりを、つらつらと考える。
だから我慢する?
違う。
「我は、キナであるがゆえ」
何者でもなく、主人公ですらなく。
紙袋、とっぱらう──。
キナはキナさんだからこそ。
「我が高慢を是正する」
かっこうはついたかな?
「以上、自己紹介でした、妖術師の総大将。いや……」
“原初の魔女”、その搾りかす。
M災の引き金にして、“神話になってしまった少女A”。またの名を──。
「不知火ミナ」
なぁ、ラスボス。殺してあげるから、そんな顔、するんじゃないさね。
なぁ、宿敵。お前のことが大嫌いなんだ、だからそんな嬉しそうな顔、するんじゃないさね。
「キナさんは、いがいと優しいんだぞ」
剣が鈍る。
まったくもう。理論的でないな。キナさんは思いのほか情に厚く。思いのほか、母さんを殺すことに抵抗を覚えた。
首が舞う。キナさんの首だ。
鼻血はもう、止まっていた。
さて、どう挽回しよう。考え続けろ。思考し続けろ。
血。
抗い続けろ。
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