第16話  血は青いらしい

【チャプター3 ヒノエミツキのお終い】


 人ひとり入るのがやっとな洞穴のおく。かすかに吐息。

 うぅ、耳朶じだにひびいてビビりだよ。


 儀式開始の祝詞をあげると、イヌガミギョウブダヌキに招かれるらしい。

 きっと洞穴の奥にはタヌキがいて。舌なめずりつつ私を見ている。


 記憶を食らう獣。私の記憶は……。

 大丈夫。はじめからろくでもない人生、とられてこまる思い出なんて──。


「……強がるなよ」

 あるじゃんか、私にも。


 ツナ君と、キナちゃん。私の大切な思い出だけは、くれてやるにおしい。

 私の世界は灰色に汚れていた。水彩でにじませてくれたのが二人だ。あの二人がいたからこそ、私の物語は始まったんだ。


「大丈夫かな、二人とも」

 彼らは今なお、錬金術師界最強のわれと戦っている。戦闘に関しては、門外漢な私だから。いたむことも、応援することもはばかられるし、死地に追いやったのも私じゃん。かける言葉なんてない。


「大丈夫、主人公がいないあいだに、死んだりするキャラじゃない」

 私がミツキを信じられるから、彼らを信じることだってできる。


「いこう」

 洞穴に入る。一歩踏みしめるごとに、頭の中をのぞかれていることがわかる。食卓に料理をならべて、さぁなにから食べようかと思案しているんだ、気分が悪い。


 あぁ──、ぱくりと。

 食らわれた。先まで覚えていたはずの、私がここにいる“理由”を奪われた。どうして私は、イヌガミギョウブダヌキをとりに行くのだっけ。


 あぁ──、ぱくりと。

 食べられた。今まで信じていたはずの、私が頑張る“動機”をさらわれた。どうして私は、こんなにつらい思いをしなければいけないの。


 思い出せない。あなたの顔も、あなたの声も。

 あぁ思い出せない、トキメキは、感涙は?


 大切だとうそぶいてたはずの色彩が褪せていく。一歩足をだすごとに、なんて悲劇、人間性がおちていく。


 どうして私は歩いている、どうして私は食べられないといけない。

 もう何も思い出せない。ここはどこ、私は誰。


 私は──、そうだ。私は主人公だ。私は主人公を知っている。知っているんだ……。





 私はたぶん、両親に愛されていた。けれど世界は、その愛を徹底的にいじめぬいてくれちゃった。


 ヒモロギだい、ヒノエムイ。

 両親は優秀な科学者だった。様々な思惑が交雑し、今となってはどこの国、だれの命令かもはかれない、“不知火計画”を実現させてしまうほどに。


 不知火チルドレンを、ひとくくりに遺物の人口的適合者といえばわかりやすい。けれど性質はことなる。彼らは、“世界を滅ぼす”絶対悪だ。


 思い出してほしい、精霊庭園かんさいはどうして沈んでしまうことになった?

 原理は“霊爆”とさしてかわらない。あれは降霊術師を起因とするものであったが。その魂が、“不知火ノエハ”に置き換わればどうなる?


 例えば、“聖遺物”を起爆剤とすることで、十四年前、精霊庭園は滅びることとなった。


 つまりだ。現存するすべてを、能動的に霊骸で侵すことのできる存在こそ、不知火ツナと、キナなのだ。


 彼らが聖遺物を獲得し、ひとたび破滅を望んだのなら。世界に死がふりまかれる。


【不知火計画に深くかかわったミツキは、もとよりツナとキナを認知しており。世界を愛するミツキは、世界を憎む二人の蛮行を止めるため】


 へぇ、バラしちゃうんだ……。


【運命をよそい、恣意的に彼らと接触した。この物語は、はじめからミツキの“思惑通り”のシナリオ。ツナとキナとの出会いは運命的必然でなく、自由意思を伴った偶然である】


 ん。ツナ? キナ? 誰のこと?


【しかしミツキはこの思惑について、もう、何も覚えていない】


 世界の崩壊をとめるため、バサラ陣営は消えた不知火チルドレンの行方をおった。

 それを知る最重要候補が、不知火計画に参加し、唯一生き延びたヒノエムイであった。


 ムイはひとなみに優しい女で。行方が知れば殺されるであろう不知火チルドレンを憂い、存在をひた隠しにした。

 とうぜん世界はムイをゆるさず、母を徹底的に拷問した。


 拷問の道具にされたのが、私だ。


 母の目の前で、顔面を削ぎ落された。母の目の前で、子宮を抜き取られた。歯や、爪は。庭先に生えた雑草を抜くように、一本ずつ丁重に。

 根っこから、あますことなく、根絶やしにされた。


 愛しくも彼らは、母にさえ手をさしのべた。四肢を切断、だるまにし、かわるがわる男に犯させた。神経をつなげたまま眼球を抜き取り、強姦を母自身に観測させたりした。


 いらないものをすべてそぎ落とすと、人は生首だけでもいきていけるらしい。拷問をへて生命維持装置につなげられた母は、私をぼうっと眺めていた。


 私は地獄から目をそらすことができない。顔面をそぎおとされた、瞼がない。

 閉じることなんて、できやしない。


【絶望に魂は壊死し、ミツキは、一度心を壊した】


 今、私が笑えるのは、知らないからだ。記憶はある。けれど当時の感情を、私は知らない。忘れるために、叩いて、くだいて、ポイ。


 私は一度、私を殺した。


 過去の地獄をおきざりに、私はヒノエミツキという、新たな“人格”を作った。

 ミツキは世界を愛し。ミツキは出会いを愛し。ミツキは物語を愛する。


 ミツキはとっても元気で明るい、素晴らしい女の子。ミツキはかわいい。ミツキはかしこい。ミツキはとっても素敵な女の子。


 そうした“人格”を作ることで、私、ヒノエミツキは、一命を取り留めた。


 脚色したのは“声”だ。ヒノエミツキの人格が生まれたころ、とつぜん“世界の声”が聞こえるようになった。


 宿命だと思った。私はこの世界の主人公なんだ、そうに違いないって。


 浮かれて、踊って、わめいて、笑って。一人で勝手に。いいじゃんべつに。ほっといてくれよ、かまわないでおくれよ。お願いだから。お願い、お願いします。

 

 どうか私から。

 どうか私から、“ヒノエミツキ”を奪わないで。

 でないと。


「いやだ」


 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだパクり。


 でないと──。


 私の地獄が、剥き出しになる。


【ヒノエミツキは忘却された】


 痛く、苦しく、たまらない。やめて、やめてそれだけは。あぁ、燃えている。からだ、燃えている。臭い、溶ける、炙らないで、かけないで。嫌だ、それは嫌、押し付けないで、押し込まないで、あふれる、こぼれる、赤い、痛い。


 ぎゃああああああああああああ。


 みきみき、じきじき、ばりっ。顔面が、遠のく。布をちぎるみたいに簡単と、一筋は離れていく。熱が苦をともなっておろ辛い。けいは律儀につうを知らす。喉は叫び切れた。歯茎、ガタガタと鳴く。肉、ふるえる。下部滲む。


 知ってた? 内側で砕けると木霊。耳元でゴリ。肉いともろい。嘘みたいに骨はじける。マーブル模様、血はなんと青い。


 右鼓膜、脳、両目、脾臓、数メートルの腸、結腸盲腸、胃の大部分、舌、卵巣、腎臓、数十の骨、ひかくてき広い皮膚、胆のう、肺、肝臓、膵臓、あとは心?


 盗まれた。


 床にひとまとめ、綺麗に並べて、豚さんがペロリ。


 叫び、聞こえた。母の絶叫。うるさい。痛いのは私だ。お前のせいで、お前たちのせいで。見ろよ、見てくれよ、この無様、有様。


 両親は私のことを愛してくれていた。だからどうした。


 私は恨んでる。魂が憎んでる。死ねよ、死んじゃえよ、殺してくれよ。


「不知火、ツナは、とうほくに、逃げ、た」


 母、今際の言葉。最後くらい、私の名前を呼んでおくれよ。

 生首ころぶ。用済みの肉塊。笑っていた。解放されたと、微笑んでいた。うらやましい。


 これは糞だ。掃除しろ、汚いだろ。


 不知火ツナ、

 不知火ツナ、

 不知火ツナ、

 不知火ツナ、

 不知火ツナ。


 呪ってやる。

 この手で。

 凌辱的に。

 屈辱的に。

 徹底的に。


 壊してやる。


 大切なものを全部奪って。何もかもを燃やして。魂に糞を塗りたくってやる。

 でも、どうやって?


【お前が不知火ツナの特別になればいい。そしてせいぜい、みじめに死ね】

 それが初めて聞いた、世界の言葉。


 ツナの大切な私になって、私がミツキを取り上げればいい。愛しいほどの絶望を、狂おしいほどの祈りを、どうか、どうか。


【はじめまして、ヒノエミツキ。私だけが、お前のことを愛してる。お前の人生に、どうか罪過と過酷のあらんことを】


 へぇ、私ってば、特別な人間なんだ。私ってば、主人公なんだ。ありがとう世界、私もあなたのことを、愛してる。


 私をいじめる世界を、私だけは恨まない。


 愛してる。愛してる。愛してる。それがせめてもの、意趣返しになるのなら。


 最後に心臓、抜き取られた。私は死んだ。


 魂に、別のナ カ、おぞ しい ノ 、宿る。蓋 しよう。晒し は  ない。知らし  は   い。ナ カはた ん、思っ   も、ろく   い。

 で   ばナ   、世界を す。


【ヒノエミツキは、すべてを忘却した】


【空となった肉の塊は、電気信号にしたがうまま這いつくばり】


【イヌガミギョウブダヌキに接触】


【生命であることすら脳は忘却し、心音が停止する】


【物語の終わり。最後まで見届けた】


【さようなら主人公】


【さようならヒノエミツキ】


【さて】


【次はだれが紙袋】


 残滓。または、カルディックメモリー。

 味付けが、おいしいんだ、しびれるくらい。あぁ、なんて暖かなスープだろう。

 キナちゃんの“血”は、とてもおいしい。




第二章 完。

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