第5話 甘デレ姫

 始業式が終わり、普段通りの授業が始まった。

 今日は午前で終わりなので、教室の空気が浮足立ってる。が、俺はモテ期到来という別の意味で浮足立ってる。

  

「浮かれすぎないよう、高校生として節度ある行動をしてください」

 

 いつの間にか先生からの締めの言葉。

 どうやらもう帰っていいらしい。  

 ん? てことは、お姉さんに返事しないといけないじゃないか。

 ……どうしよう。まだ逆ナンされたと言うことばっか考えてて、返事のことなんて考えてなかった。


「成哉。正直お前の返事を生で見たいけど、俺はこれから部活のやつらと遊び行ってくるわ。健闘を祈る」


 蓮は俺の返事を聞かないまま、教室を出ていった。

 これで完全に一人。

 決断しなければ。

 

「あなた」


 熟考してる中、正面から声をかけられた。

 この冷たい声、よく知ってる。


「浅木さん。どうしたの?」  


 制服姿の浅木さんが、俺のことを見下ろしている。

 もう、教室には誰もいない。二人っきり。

 廊下から聞こえる人の声が遠ざかっていく。


 周りに誰もいない中、声をかけてくるなんて……。これは完全に、この前電車であったことを話しに来たな? 


 俺はそう身構えていたが。


「成哉くぅ〜ん」


 浅木さんは突然甘い声を出した。

 氷姫という異名から全く想像ができない、甘えている犬のような可愛らしい声。

 冷たい瞳がトロンと溶けている気がする。 

 張り詰めていた空気もどこか柔かくなっていて……。

 反射的に背筋が伸びる。


「な、なんですか?」


「もう。成哉くんってば、冷たいぃ〜。もっと私のこと甘やかして!」


 ぷんぷんと怒る浅木さん。

 口調から全て変わっていて、まるで別人のようだ。

 でも、目の前にいるのは正真正銘浅木さん。

 俺の名前を言ってるから人違いってわけじゃなさそう……。じゃあなんていきなり甘えてきたんだ!?

 ていうか、氷姫が甘えてるときめちゃくちゃ可愛い。

 

「あの、一応聞きておくんですけどあの氷姫って言われてる浅木さんだよね?」


「む。そうです浅木さんですぅ〜! ……でも今は氷姫じゃないからうぅ〜んと甘やかして」


「なんで俺?」


「電車で王子様みたいに私のこと助けてくれたからぁ〜ふへへっ。って、質問ばっかじゃなくて甘やかして!」


 理由はなんとなく分かったし、めちゃくちゃ甘やかしてほしいのは伝わった。

 でも、肝心なことだけど甘やかすってどうすればいいんだ?

 一度も彼女ができたことのない俺にとって、あまり知らない人を甘やかすなんて難題すぎる。


 とりあえず漫画じゃ女性は頭撫でられると喜ぶし、撫でてみるか。

 もし失敗したら……そのときはそのときだ。


「へへっ」


 俺は浅木さんの頭を優しく撫でた。

 浅木さんは最初こそ何をするのかと疑心暗鬼な顔をしていたが、頭を撫で始めたら無防備な顔になった。

 甘デレ姫。今の浅木さんは氷姫なんかじゃなく、甘デレ姫だ。


「ふぅ」


 よし。あとは満足するまで頭を撫でればいいな。


 そう思っていたが、甘デレ姫は欲しがりだった。


「撫で撫ではこれくらいでいい」


 まだなにかしてほしいと顔に書いてある。

 他に甘やかすことってどんなことがあるんだ……?


「あっ肩揉みしようか?」


「うんうんっ! されるっ!」


 嬉しそうで何より。


「じゃあお願い」

 

 後ろに周って早速始めようとしたが、ピタリと手が止まった。 

 目が離せなくなっているのは見えそうで見えないうなじ。男であれば見てみたくなる女性のうなじ。


 どさくさに紛れて見ちゃうか……?

 いや、やめよう。肩揉みをするはずなのにうなじを見ようとしたら、セクハラになるかも。 

 おとなしく肩揉みしよ。


「って、凝ってるね」


 いつもしてるお父さんの肩より凝ってないか?


「重いからねぇ〜」


 澄ました顔で胸に両手を添える浅木さん。


 意地悪してるんじゃなくて、悪気ないのはわかる。でも添えられてる方に自然と目がいっちゃう。

 不可抗力だ。俺は悪くない。


 と、そんな暗示をしているうちに肩揉みは終わったた。


「今日はありがとう。また明日」


「う、うん」


 一瞬で氷姫に戻った浅木さんは、靴音を鳴らしながら教室を出て行った。

 

 浅木さんのこと、よくわからない。

 けど氷姫に戻った顔を見たとき、満足したってことは伝わってきた。

 

 もしかしてこれからもこうやって甘やかすことになるのか? 

 いやさすがにそんなことないか。浅木さんほどの美女なら甘える男の一人くらい、すぐできるはず。



「はぁ」


 午前で学校が終わるのに、普段の数倍疲れてる。

 心なしか、いつも軽い下駄箱への廊下が長く感じる。

 

「待ってたよ」


 下駄箱の前。

 待っているのは夕日に照らされたお姉さん。


 ……氷姫が甘デレ姫になったという予想打にしない状況を前に、お姉さんのこと忘れてた。

 まだ決断なんてできてない。


「さっ。返事を聞こうかな」


 人生一大イベントを前に俺は……一つ隣の下駄箱からこちら覗く人影に意識が持っていかれていた。

 姿は見せてないけど、誰なのか想像がつく。

 ついさっき下駄箱がある方に向かった人物。

 そんなの、浅木さんしかいない。


 ああ、どうしよう。

 ここで逆ナンにオッケーしたら、すぐ女性に媚びる尻軽男だと思われそう……。

 とりあえず返事はまたうやむやにしよう。

 そう思い、口を開こうとしたが。

 

「その話、ちょっと待った」

 

 氷姫の浅木さんが間に割って入ってきた。





 やばいやばいやばい。

 王子様がとられると思って勢いで飛び出しちゃた!

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