第3話 撃退

「なにしてるんですか」


 俺が声をかけると、おじさんはビクッと体を震わせ振り返った。

 右手をまるで隠すかのようにポッケの中に。

 これは間違いない。

 絶対後ろめたいことがある。


「なんだい君は。私はただ電車に乗っているだけだが?」

 

 おじさんは一歩前に出て、圧をかけてきた。

 夏のせいなのか、正面からとんでもない異臭がモワッと鼻に。

 

「けほっけほっ」


 汗と加齢臭が混ざった最悪の臭いだ。

 こんな人が近くにいたってのに、微動だにしなかった浅木さんすごいな。

 

「全く。突然話しかけてきたかと思えばウイルスを撒き散らすなんて、最近の若者は頭がおかしい。付き合いきれん。遊ぶのなら他人に迷惑がかからないようにしなさい」


 高圧的に言い包めるおじさん。

 わざと声を張って、電車にいる他の乗客の目を俺に向かせている。

 どうせすきを見て逃げるつもりなんだろう。

 そんなの許すものか。


「おじさん。右手、なにか隠してるものでもあるんですか?」


「っ! な、なんのことだ」


 ビンゴ。


「ねえねえ見せてくださいよ。疑いを晴らしたいのなら早く見せてください。……早くしないと、異常を感じた駅員さんが駆けつけてきちゃうかもしれませんね」

  

「クソガキが……」


 おじさんはギギギと歯を食いしばって俺のことを睨んできた。

 顔にシワを作って、眼球が血走ってる。

 見た目もそうだが、殺気立ってるのがヒリヒリと肌で感じる。

 これは昔俺が空手をしていたときに感じていた殺気と似ている。

 今にも襲いかかってくる可能性がある、緊迫した空気。

 

 周りに立ってる人はいつの間にか浅木さんだけになっている。

 数歩後ろには心配そうな顔を向けているお姉さん。

 この体の位置は……やばい。

 

「調子に乗ってんじゃねぇええええ!!」


 立ち位置を変える前に、おじさんが襲いかかってきた。


 大きく右手を振りかぶり、力任せのパンチ。

 簡単に避けれた。でも、これ以上下がればお姉さんが危ない。  

 一歩、ニ歩、三歩。

 俺の後ろにあるのは扉だけ。

 さっきまですぐそばにいた浅木さんは逆方向に走っているので、これで心置きなく戦える。

 

 俺は夏休みダラダラしかしてないが、こう見えても中学の頃は空手の黒帯。

 対人戦において、先生からみっちり仕込まれているのでこんなミジンコに負ける気はしない。


「どいつもこいつも俺のことを舐めやがって……。クソ共が!!」


 また大きく右手を振りかぶってきた。

 気持ちが拳に乗っていて、どんな軌道なのか簡単に予測がつく。

 

 が、受け流してはつまらない。

 浅木さんに対して後ろめたいことをしていたおじさんを、このまま無力化して駅員さんに受け渡すのは気持ちが収まらない。

 

 ちょうど動きやすいジャージだし正当防衛、するか。


「脇ががら空きだよ」


 サッと懐に入り、みぞおちを一突き。


「ゔっぐっ」


 おじさんはみぞおちを抑えながら膝から崩れた。


 ダンゴムシのように丸くなって、さっきまでの威勢が嘘のようだ。襲ってきたわりに拍子抜けで、ちょっぴり物足りない。

 って、俺は血に餓えた獣じゃない。  

 とりあえず正当防衛できたし……。


「あ、ぐっ」

 

 あ、あれ〜?

 正当防衛の加減、ちょっと間違えちゃったかな。


「すごーいすごーい! あの大きいおじさんを一発だなんて……正直、負けると思ってた。やっぱ私が逆ナンしただけあるな! うん」

 

 お姉さんの透き通った声のせいで、電車にいる他の乗客の意識が完全に俺の方に向いてしまった。

 

 疑心暗鬼の視線。

 おじさんが倒れてるから、俺が悪いやつみたいになってる。

 ちょっと加減を間違えて数分間再起不能にしたのは悪いけど……元々は、このおじさんが悪い。

 そうだ。俺は後ろめたいことなんてない!


「にしてもさっきの一発はすごかったな。人間の弱点であるみぞおちをシュッと一発。多分体の動かし方的に、こいつはヤンキーだな。このおじさんを倒すまでに、一体何人亡きものにしてきたのやら……」


 見知らぬお兄さんからの妄想混じりの解説。

 俺はヤンキーじゃないし、誰一人も亡きものになんてしてない。

 

「亡きもの、だと!?」


 最悪のタイミングで駅員さんがやってきた。

 

「そこの少年。無駄な抵抗はやめなさい」


「え」


「話車に乗るつもりはない! 君はまだ若い。これ以上罪を重ねようとするんじゃない」


 罪を重ねるって、勘違いもいいところだ。


 俺が黙っててもさっき喋ってた人とか、事の顛末を見てた人なら訂正してくれるだろう。


「…………」


 あれ。

 おかしいな。


「そう、そうだ。わかったのなら両手を上げ、膝をつけなさい」


 勘違いされてるけど……今はおとなしくしてよう。

 電車が到着して、警察の人にちゃんと全部話せば分かってくれるはず。


 って、思ってたけど。 



「まじかよ」


 昼過ぎだったのに、もう外が真っ暗になってる。

 

 警察に事実確認をさせられてこの時間。

 もちろんあのおじさんは捕まった。どうやら右手に持っていたスマホに、盗撮したものが残ってたらしい。


 夏休みの思い出を作るはずが……最悪の結果だ。

 まあ、記憶に残る思い出は作れたけど悪い思い出に違いない。


 帰りの電車が来るのってこれから何分後なんだ……?

 あーあ。

 氷姫こと浅木さんは事実確認が終わったらすぐいなくなったし。

 逆ナンしてきたお姉さんは俺が先に電車を降りて別れちゃったし。

 なんの成果も得られない一日だったな。


「の」


 でも、おじさんのことをしょっぴけたしよかった。

 

「あの」


「あ」


 隣から浅木さんが話しかけてきてた。

 

「ごめん。自分の世界に入ってて気付かなかった。……で、どうかした?」

 

 さすがの浅木さんでも、顔色から疲れがにじみ出ている。

 でも、声色は一切変わってない。


 当たり前のように隣りにいて、当たり前のように声をかけてこられると調子が狂うな……。

 いきなり話しかけてくる理由ってなんだろう。


「ありがとう」


「いやいやそん……あ」


 話を続けようとしたが、浅木さんは後ろ姿を見せていた。


 氷姫らしい感謝の仕方だ。

 でもなんで、目を合わそうとしなったんだろう……?


 と、そんな疑問を残しながら数日過ごし、俺のだらけきった夏休みは幕を閉じた。

  

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