謁見

「はい。よろしくお願いいたします」


 使者は育ちの良さを感じさせる朗らかな笑みを浮かべると、馬の手綱をアルヴィンに預け、セレナ達に続いて中庭を抜けて、城の大広間へと進んだ。


 大広間の一段高くなっているところに置かれている椅子にセレナが腰をかけると、その右横にイレイェンが立つ。フェルナンデスと名乗った騎士は、セレナに向かって広間の床に跪いた。


「本来なら、父が直接こちらにお伺いさせていただくところではございますが、体調不良により、私の方にて代理としてお伺いさせて頂きました」


「ウンベルト様のご加減はいかがでしょうか?大事ではないといいのですが?」


 セレナがフェルナンデスと名乗った騎士に声をかけた。


「はい。大事ではございません」


 そう言うと、フェルナンデスはクスリと笑って見せる。


「二日酔いだそうです。なんでもトーラスの地が懐かしすぎて、昨晩は少し酒を飲みすぎたとの事です」


「ブエナ大公殿が二日酔い?」


 イレイェンの口から声が漏れた。


「はい。父からトーラス侯には失礼をお詫びするようにと言われております。大変申し訳ございません」


「ふふふ、私もウンベルト様にご相伴させていただいて、お爺様の話をお聞きしたかったです」


「セレナ様」


 イレイェンが小声でセレナに注意を即した。


「イレイェン、私にハッタリは無理よ。フェルナンデス殿、どうかお立ちになってください。私はこの城に戻ってきたばかりで、この様な場にて話しをするのにまだ慣れていないのです。もちろん貴族らしい腹の探り合いもです。ですので、大公がこの地で何をされようとしているのか、私をどうするおつもりなのか、それを率直に教えていただけませんでしょうか?」


「はあ」


 セレナの言葉に、フェルナンデスが少し困った様な顔をした。


「私を王都やブエナ公領へお連れになるつもりであれば、素直に同行させて頂きます。この地を収めるつもりであれば、抵抗は致しません。この城を明け渡します」


「セレナ様!」


 イレイェンが再び、今度は広間にいる者達にも聞こえるぐらいにはっきりと声を上げた。だがセレナはイレイェンの呼びかけを無視すると言葉を続けた。


「私の望みはただ一つ。この領内にいる者の安全だけです。それが担保できるのであれば、私はありとあらゆる要求を受け入れる所存です」


 セレナはそうフェルナンデスに向かって告げると、傍にいるイレイェンの方を向いた。


「イレイェン、侯爵は私なのよ。裁かれるべきは、私一人で十分です」


「では、僭越ながら面を上げさせて頂きます」


 セレナの言葉を受けたフェルナンデスが立ちあがった。


「若輩の身にて、トーラス侯のご事情はよく分からないところがありますが、とりあえずこちらをお渡しさせて頂きます」


 そう言うとフェルナンデスは、腰の後ろの皮袋から赤いビロードの表紙の書類ばさみをセレナへと差し出した。


「今回の査察結果に関する報告書になります。ご確認の上、そちらにご署名をいただけませんでしょうか?」


 イレイェンが前へ進み出て、書類ばさみをフェルナンデスから受け取ると、それをセレナへと差し出した。セレナはそれを手に取ると、ビロードで装飾された書類挟みを開いた。


 そこには金地の装飾がなされた飾り文字で「監察結果報告」との見出しがあり、下に細々と文言がびっしりと書かれている。最後に署名欄があり、そこには既に力強い書体でブエナ大公の署名が書いてあった。字が細かいのもあるが、法律用語らしく、セレナには何が書いてあるのかさっぱり分からない。


「セレナ様、私の方で内容を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」


 横からイレイェンがセレナに声をかけた。セレナは頷くと書類をイレイェンに渡した。書類に目を通したイレイェンの顔が曇る。どうやら予想通り歓迎される内容ではないらしい。セレナは自分の心臓が誰かの手で掴まれている様な思いに囚われた。しかしそれが自分の顔には出ていないことを願った。


「オーギュスト、許す。こちらに来て内容を確認せよ」


「はい、イレイェン様」


 イレイェンの声に、広間の奥で待機していたオーギュストがその元まで歩み寄ると、跪いてイレイェンから書類を受け取った。書類に目を通すオーギュストの顔にも驚きの表情が浮かぶ。


「オーギュスト、間違いはないか?」


「はい、間違いありません」


「フェルナンデス殿?」


「はい、御城代」


「これは、査察が無事に問題なく終了したという内容の報告書、という理解であっていますでしょうか?」


「はい。後はセレナ様の署名をいただくのみであります」


「そちらがこの城の周囲に伏せておられる兵は?」


 イレイェンの言葉に、フェルナンデスが当惑した様な表情をした。


「兵?申し訳ございません。私の方では認識しておりませんでした。おそらく当方の兵士長の方で、この会見を妨害するものがいた場合に備えて配置したものと思われます。これに関しては父と私の名誉にかけて、私と共に撤兵させる事をお約束いたします。それとこの件、許可なく兵を配した件については、後ほど私と責任者の方から謝罪文をお送りさせて頂きます」


 そう宣言すると、セレナに向かって深々と頭を下げた。


「撤兵さえ約束していただければ、謝罪文は不要です。ブエナ大公との間で、遺恨になる様なものを残すつもりはありません」


「いえ、これについては完全に私共の手落です。申し訳ありませんでした。後ほど正式な謝罪をさせて頂きます」


「こちらに署名させていただければよろしいのでしょうか?」


 イレイェンから書類とペンを受け取ったセレナが、フェルナンデスに問いかけた。


「はい。そうして頂ければ、使者としての責を果たせたことになります」


「もちろん喜んで署名させて頂きます」


 セレナはそう告げると、書類にペンを走らせた。それを受けとったイレイェンが、フェルナンデスへと差し出す。フェルナンデスが受け取りの署名をした書類の複写を、イレイェンへと戻した。


「これで父から言付かった、使者としての役割を無事に果たすことができました」


 そう言うと、フェルナンデスは爽やかな笑顔をセレナとイレイェンの二人に向けた。


「フェルナンデス殿、夕刻も近いことですし、ささやかではありますが、ご使者の労をねぎらうべく宴の用意をさせて頂きました」


「せっかくのお誘いではございますが、公務ですのでお気遣いなきようお願い致します。当方は明日にはトーラス侯爵領を出る予定でおりまして、撤収の準備もあり、少々予定も立て込んでおります。誠に申し訳ございませんが、本日はこれにて失礼させて頂きます」


 そう答えると、フェルナンデスはセレナに向かって淑女に対する完璧な礼をしてみせた。そして一歩出口へと向かってから立ち止まると、セレナの方を振り向いた。


「そうでした。父からの私的な伝言をお伝えするのを忘れるところでした」


「私的な伝言ですか?」


「はい。今度は公務ではなく、今回ご挨拶できなかったお詫びも兼ねて、私的に訪問したいとのことでした。その際には、セレナ様と昔のお知り合いを交えて、お爺さまに関する昔話をしたいとの事です。これについては後ほどまたご連絡を差し上げたいとの事でした」


「はい。いつでもお待ちしておりますとお伝えください」


「それと私個人としても一つお願いがあります」


「何でしょうか?」


「僭越ではありますが、もしどこかでまたお会いできる機会がありましたら、私にセレナ様と一緒に踊る機会をいただけませんでしょうか?」


「えっ!踊りですか?」


「はい。どうかその際はよろしくお願いたします。では、セレナ様、イレイェン様、これにて失礼させて頂きます」


 そう告げると、フェルナンデスはオーギュストの先導で颯爽と広間から去っていった。部屋の中に残されたセレナとイレイェンがお互いに顔を見合わせる。


「これって、もしかして!」


「もしかするぞえ!」


「私たちは助かったの!?」


「そうじゃ、お咎めなしじゃぞえ!」

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