勇者

「なあ、今出て行ったのって、あれって使者だよな」


 控えの間にいたアーベルが、窓から中庭の方を見てつぶやいた。


「そうだね。城門のところで見た騎士だね」


 アーベルにマリウスが同意した。


「宴ってどうするのかな?」


 控えの間から続きになっている通路の方で、配膳の準備をして待っていたクラリーサも疑問の声を上げた。


「帰ったという事は無しと言うことじゃないのか?」


「えぇ!せっかく腕によりをかけて作ったのに!」


「作ったのはアルヴィンのおっさんだろう」


「私だってちゃんと手伝いました!」


 頬を膨らませて怒ってみせたクラリーサに向かって、アーベルが肩をすくめてみせた。


「リサ。お前、最近セレナに似てきていないか?」


「えっ、そっ、そう?少しはセレナみたいに可愛く見えるようになってきた?」


「はあ?何を言って……」


「そんなことより、どうして使者は帰ったんだろう?やっぱりセレナが何かやらかして、怒らせてしまったのかな?」


 マリウスの言葉に、アーベルもクラリーサと顔を見合わせた。確かにセレナならやらかしかねない。


「ど、どうしよう!」


 クラリーサも当惑した表情でアーベルを見る。


「と、ともかく聞いてみないことには分からないな」


 アーベルは慌てて大広間につながる扉を開けた。


「おいセレナ、使者が帰ってしまったんだけど……」


 広間の中を覗き込んだアーベルが途中で固まった。


「どうした?」「な、何があったの?」


「えっ!」


 アーベルに重なるように中を覗き込んだ、クラリーサとマリウスも一緒に戸口のところで固まった。彼らの視線の先では、抱き合って飛び跳ねているセレナとイレイェンが居る。


「な、何をやっているんだ!」「何をやっているんです!」


 アーベルと、部屋に戻ってきたオーギュストの口から同じ叫びが漏れた。


「助かったんだよ!」


「助かった、助かったのじゃ!」


「お嬢様、まだ決まった訳ではありません。ブエナ大公軍が撤退するまで油断はできません!」


「オーギュスト、無事に使者は帰ったかえ?」


「はい」


「兵はどうじゃ」


「それについては、使者殿が何やら手で合図を送っていたのは確かです。確認しましたが、周囲の林に潜んでいたらしき兵の姿は見えなくなりました。ですが、まだ油断は出来ません!」


「いや、相手は鋼鉄公ぞえ。妾ごとき相手に不意打ちなどして名を汚したりはしないぞな。そんな事をしなくても余裕で勝てるはずじゃ」


「ですが!」


「ともかく無事に交渉、いや査察か。それが終わったのは何よりだな」


 いつの間にか広間に入ってきたアルヴィンがそう告げた。


「はい、アルヴィンさん!」


「だが、せっかく作った料理は無駄になってしまったようだ」


「そんな事はありません!これからみんなでお祝いの宴ですよ!」


「昨日と変わらぬ料理だぞ。飽きないのか?」


「何を言っているんです!絶対に飽きたりしません!」


「そうじゃ、宴ぞ!オーギュスト、何をしておるのじゃ。酒庫を開けよ!あるだけの酒を持ってくるのじゃ!」


* * *


「も、もうだめだ。これ以上は何も食えないし、何も飲めない……」


 アーベルの口から小さく言葉が漏れた。


「アイリさん、アイリさん……」


「マリウス、それは酒瓶でお姉ちゃんじゃないわよ!」


「あんた達、男でしょう。もうしっかりしなさい!」


 酒瓶と一緒になって床に転がっている、アーベルとマリウスに向かって、セレナとクラリーサが声をかけた。だが二人は意味不明な言葉を答えるだけで、床をゴロゴロ転がっているか、尺取り虫のような謎の動きをしているだけだ。


 最もセレナ自身もかなり呑んでいて、足元はかなりおぼつかない。だが不思議なことに、自分より飲んだように思えるクラリーサには、酒の影響が出ているようには全く見えなかった。


「セレナ、あなたも大丈夫?足元がちょっと……」


「リサ、あなたってお酒が強かったのね」


「そうみたい」


「ふふふ、流石は私の親友ね」


「変なところで感心しないで。それよりもお水よ」


「ありがとう。リサ、これ、アルヴィンさんにもお水を持って行ってあげてちょうだい。だいぶ飲んでいたみたいだから」


「そうね。でもアルヴィンさんもお酒はとっても強いみたいね」


「ふふふ。お酒がいくら強くっても、馬ほどは……」


「え、何?」


「なんでもないわ。そうだ、イレイェンは?」


「オーギュストさんが担いで、部屋につれていったみたい。もう、本当にみんな飲みすぎ。泥棒にでも入られたらどうするのよ」


「流石に、今夜ここに泥棒に入るものはいないと思うがな」


 アルヴィンが二人に声を掛けた。そして床に転がっているアーベルとマリウスを見つめる。


「あっ、アルヴィンさん。今日もとってもおいしかったです。そしてありがとうございました」


 そう言うと、クラリーサはアルヴィンに水を差し出した。


「ありがとう、クラリーサ。私は料理を作るのを手伝った以外は何もしていない。感謝の言葉は不要だよ」


「いえ、アルヴィンさんがいてくれたおかげです。そうでなかったら、私達はきっと村を焼き払われて、そこで死んでいたと思います」


「そうだろうか?誰の足でもない。君達は自分の足で前へと進んだのだ。そしてこれからも歩み続けるのだよ」


「はい!」


「では、私はこの二人を寝室までつれて行って、今宵はそれで休ませてもらうとしよう」


 そう言うと、アルヴィンはアーベルとマリウスを引きずって、客室の方へと去っていった。


「お休みなさい」


 広間にはセレナとクラリーサの二人だけが残された。


「ふふふ……」


「セレナ、なんかおかしいよ。さっきから何を笑っているの」


「リサ、よく聞いて」


「何なの、もう今日は早く休んでちょうだい。明日になって、あなたの酔いが覚めたら聞くわ」


「ダメよ。絶対にダメ。今夜しかないの」


「何が?」


「これよ」


 セレナがクラリーサの手に、小さなガラスの瓶を握らせた。


「綺麗。ペンダント?」


「違うわ。この中に入っている薬を数滴飲むと、しばらく記憶がなくなるそうなの。イレイェンからもらったのよ。なにかあった時に使いなさいって。ふふふ……」


「ちょ、ちょっと待って!セレナもしかして、さっきの水にこれを入れたの」


「そうよ。これは私の一世一代の大勝負よ。そしてリサ、あなたもよ。アーベルにこれを入れた水を飲ませるの。でもあれならいらないかも。そして朝まで一緒の寝台で寝るのよ」


 そう言うと、セレナはクラリーサの耳元に口を寄せた。


「もちろん服は全部脱いでよ。それとあなたは化粧も落とさないとね」


「そんなことできる訳ないじゃない!」


「リサ、何を言っているの。アルヴィンさんもさっき言っていたでしょう。私達は自分の足で前へ進むのよ」


* * *


 ベランダで小鳥達が囀る声に、アルトマンは目を覚ました。昨日の酒が少し残ったのか頭が重い。人の酒ぐらいで酔うとは、アルトマンがそんな事を考えていると、自分の胸に何かが乗っているのに気がついた。


 そして小さな寝息も聞こえる。アルトマンがその寝息のする方を見ると、そこではセレナが幸せそうな顔をして、アルトマンの胸の上で寝ている。そしてセレナの胸の鼓動が、何も介せずに自分の胸に直接に伝わっているのが分かった。


 ゆっくりと動こうとしたアルトマンの胸の上で、セレナが寝返りを打とうとする。そして僅かに目を開けると、ぼんやりとした顔であたりを見回した。そしてアルトマンの視線に気がつくと、顔を真っ赤にして、寝台の上の掛布を自分の胸元へと手繰り寄せる。


「お、おはようございます」


「もしかして、昨晩は私は君と一緒にここで寝たのかね?」


 アルトマンの言葉にセレナが小さく頷いて見せる。その顔は耳の先までが桜の花びらのように赤く染まって見えた。


「不合理じゃないのか?」


「不合理?」


「そうだ。私は君とだいぶ歳が違う。それに君からみれば、私は得体が知れないどこの誰かも分からぬ者だ。それと同衾しようと言うのは……」


「そう言うと思った。でも何も不合理なことなんてないわよ」


 セレナがアルトマンに向かって口を尖らせて見せた。


「私は女よ。だから誰かの子供を産みたいと思う。そのために神様は私達に恋をさせるの。そして私はあなたに恋している。恋に理由はないの。それは気持ちなのだから。私の魂があなたを愛しているのよ」


「そうか。そうなのだな」


「そうよ。それに自分の足で前へ進めって言ったのはアルヴィン、あなたよ」


「ぎゃーーー!ど、どう言うことだ!」


 その時だった、廊下の方からアーベルの叫び声が上がるのが聞こえた。


「どうやら自分の足で前へ進んだのはセレナ、君だけではなかったようだな」


「そうよ。私たちをなめたらダメよ!」


「その様だ。何せ君は勇者の末裔なのだからな。そしてクラリーサはその従者の末裔だ。そうだセレナ、君に一つ質問がある」


「何?」


「前から気になっていたのだが、勇者とは何者だ?」


「ふふふふ……」


 セレナが口に手を当てて笑う。


「何かおかしな事を聞いただろうか?」


「だって、あなたはとても頭がいい人なのに、分からないなんておかしいわよ」


 そう言うと、セレナは上体を少し持ち上げて、アルトマンの頬に手を添えた。そして愛おしそうにそれを撫でる。


「それは貴方よ。だって私達に希望をくれたんですもの」


「それは不合……」


 セレナは何か告げようとしたアルトマンの口を、自分の唇でそっと塞いだ。

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