戦い

「お前とあの胸のでかい娘が逆の方が都合が良かったぞえ」


「え、なに?」


「服の上からでも、見せるものがあるのかないのかの違いは大きいのじゃ。まあ、それはこのコルセットと、胸当てへの詰め物で何とかするしかないな。小娘、間違っても急に動いたりするのではないぞえ。胸が偽物なのがすぐにバレてしまうぞな」


「えっ、偽物!?」


「お前は意外と背が高い。だが靴を低めのものにすれば妾のドレスでも何とかなるかぇ。それよりも先ずは下着じゃ。さっさと裸になれや」


「な、なんで裸にならないといけないのよ!」


「小娘、下着は妾達の鎧ぞえ。それで相手の寵愛の一つも変わるのだぞ。お前は無理矢理されるのが好きなのかえ?」


「な、何の話よ!」


「お前はともかく細身で色気がないから、下着でなんとか誤魔化すのが一番であろう」


 そう言うと、イレイェンは寝室の引き出しから何枚かの下着を取り出して、寝台の上に広げて見せた。


「ちょっ、ちょっと待って。何なのこの下着。ほとんど布がないじゃない!それに向こうが透けて見えるわよ!こんなのつけている意味があるの?」


「何を言っておるのじゃ、これは特別の蚕のみで作られる最上級のものじゃ。お前には勿体無いどころのものではないぞえ。だがこれぐらいせぬと、お前に色気の一つもつけるのは無理じゃ!」


「い、色気!」


「それに、何じゃそのムダ毛は、お前は女としての自覚が足りぬぞえ。まあ、そのままでも良いか?そのあたりの殿方の趣味は色々ゆえに、田舎者の野生味が好みかもしれぬ。剃ってしまうのは勿体無いかもしれぬな」


「野生味って……」


 イレイェンの台詞にセレナは身を震わせた。自分がまるで潰される前のイノシシの様な気分になってくる。


「何を呆けっとしておるのじゃ。さっさと裸になれや」


「ちょっ、ちょっとひん剥かないでちょうだい!クラリーサ、助けて!」


「パン!」


 セレナの頬から小さく乾いた音が響いた。


「これから化粧も試さぬといけぬと言うのに、妾としたことが思わず顔に手を出してしまったわ。妾もまだまだ青いぞぇ」


 イレイェンはそう言うと、セレナの顎に手を当てて、その顔を自分の方に向けさせた。


「お前はあの村娘も巻き込むつもりかぇ?」


「えっ?」


「妾達は青き血のものじゃ。それは呪いのようなものよ。どうあろうがそれから逃れることはできぬ。だが青き血を持たぬあの胸がでかい小娘に、それを負わせる必要はないぞえ」


「呪い?どう言うこと?」


「小娘、汝は貴族の家がどうして家を傾けてまでも、娘の教育に力を入れるのか、分かってはおるまいな。妾達は人の形をした物ぞえ。それも毒を仕込まれた物じゃ。少しばかり綺麗に飾るのも、少しばかり作法などと言うものを身につけるのも、全ては物としての価値を高めるためのものぞ。そして相手を乗っ取るための物じゃ。覚えときや」


 そう告げると、セレナに向かって「フン」と鼻を鳴らして見せた。


「イレイェンさん、何を言っているの。あなたも私たちも人よ、物なんかじゃない!」


「痴れ者が!」


 イレイェンの手がセレナに向かって振りかぶられる。セレナは自分の頬に起こる痛みに備えて目を瞑った。だが何も起きない。セレナが恐る恐る目を開けると、イレイェンの右手は自分の頬の前で止まっていた。


「何度でも打って、その性根をたたき直してやりたいところじゃが、これ以上叩くと化粧が乗らぬぞえ」


 セレナに向かってイレイェンがそう呟いた。


「不合理よ!そんなおかしな……」


 セレナはイレイェンに言葉を返そうとしたが、イレイェンの顔を見てそれを途中で飲み込んだ。イレイェンがセレナに向けている表情は、彼女が今まで自分達に見せた事がない表情だった。それはクラリーサがセレナ達にいつも向けてくれる、慈愛に満ちた優しげな表情と同じだった。


 イレイェンは手を下ろすと、ドレスの裾を持ち上げて、女主人に対する完璧な礼をして見せると、セレナに対して口を開いた。


「セレナ様、ここにいる人達を救える可能性があるのは私達だけなのです。男達の剣を交えた戦いは一瞬です。ですが私たち女の戦いは一生続くのです。その結果が分かるのは自分達の子、あるいは孫の世代かもしれません。私達女がする化粧は顔を隠すためだけのものではありません。この身を委ねる男達に、私達の心を隠すための物でもあるのです」


 イレイェンはセレナに一歩近づくと、その手に二つの小さな何かを握らせた。セレナが手の中を見ると、そこには白と黒の、ペンダントに出来そうなぐらいに美しいガラス細工の小瓶があった。


「これは私から貴方への贈り物です。もし貴方がどうしても耐えられないと思うのであれば、その黒いガラスの中を仰ぎなさい。普通に死ぬよりは楽に死ねるはずです」


「白は?」


「それはしばしの間、貴方の記憶を奪います。馬にも効くほどの強力な薬です。心の痛みも体の痛みも感じることはないでしょう。貴方に残るのは後悔の念だけです」


「ありがとう。化粧も下着も、全てそのための物なのね」


 セレナに向かってイレイェンがにっこりと微笑んで見せた。そしてすぐにいつもの少しイライラした様な表情へと戻る。


「小娘、分かったかえ?分かったならさっさと裸になって、その下着を身につけてみるのじゃ。早くせぬと化粧を試す時間がなくなるぞえ!」


「ちょ、ちょっと待って!自分で、自分でやるから!」


 イレイェンはセレナの叫びを無視すると、セレナの体からその質素な肌着を剥ぎ取った。


* * *


「アルヴィンさんって、実は料理人だったんですか!?」


 アルヴィンの包丁捌きを見たクラリーサが感嘆の声を上げた。城に残った年寄りの料理人もアルヴィンの手際を驚いた顔をして見ている。


「料理人?そんな大それたものではない。若い時に色々と理由があって、自分の食べるものは自分で用意していただけの話だ」


「いやあんた、それにしたって素人には見えないね。料理が上手な嫁さんとかはいるが、料理上手と儂たちはちょっと違う。儂たちは短時間に多くの種類の料理を大量に作る。それも出す時間を見計らってだ。だから何よりも手際が大事なんだが、あんたはともかく無駄がなくて手際がいい」


「合理的に作業しているだけのことだ」


「素人とはとても思えんよ。あんた、一体何者なんだい?」


 料理人が料理帽に手をやりながら呆れた様に呟いた。


「私か、私は単なる通りすがりだよ。いずれにせよ手際よくやらないと時間がなくなる。クラリーサ、この切った野菜の角を取っておくれ。それで煮込んだ後の見栄えがだいぶ変わる。それと生姜とニンニクの摺り下ろしも頼む。それに醤と酒を加えて肉を漬け込めば、臭みはほとんどなくなるはずだ」


「はい、アルヴィンさん。でも料理も出来るなんて凄すぎます!」


「料理?クラリーサ、これは戦だよ」


「え、戦なんですか?」


 クラリーサはよく分からないという顔をすると、隣に立つ老料理人の方をみた。料理人もクラリーサに向かってよく分からんと言う顔をすると、肩をすくめて見せる。


「そうだ、これも戦の一つだ。何も剣を交え、弓を放つのだけが戦な訳ではない。領主代理殿はそれがよく分かっているようだ。若いながら中々のものだな」


「あの我儘娘がかい?あれの何処が中々なんだい」


 老料理人が声を上げた。


「不合理だよ。見かけと振る舞いだけから判断してはいけない。本質というものはその外見にあるものではないのだからな。最も多くの男性というものはそれに騙されるらしいがね」


 そう告げると、アルトマンは袋に入った大量のニンニクと生姜を二人に手渡した。

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