帰還
「何をしておるのじゃ。さっさと入れや」
城門の向こうに立つ紫のドレスを着た少女を見て、セレナ達はあっけに取られていた。少数の兵士に囲まれると思っていたし、それを城門の死角で不意打ちにして、そのまま城の中に忍び込む予定だったのだ。だが目の前ではあの馬車で来た領主代理の娘が一人、城門の中でこちらを手招きしている。
「あ、あの……」
セレナは何か言葉を口にしようとして、そのまま口籠もってしまった。「お邪魔します」ではないだろうし、何を言えばいいのかよくわからない。
「お前達に頭はついているのかぇ?さっさと入れや」
「ではお邪魔させてもらうとしよう」
セレナ達の背後にいたアルヴィンがそう言うと、アーベルやマリウスから手綱を受け取って城門の中へと向かった。
「おいアルヴィン、あんた捕虜の振りをするのは?」
「不要だ」
アルヴィンはそう告げると、セレナとクラリーサを馬から下ろして、アーベル達にも早く入るように手招きした。アーベルもマリウスも手招きされるままに、城門の中に入る。
「二人とも悪いがその寝ている男を縛って、口を何かで塞いでくれないだろうか。それと城門を上げるのも頼む」
「えっ、アルヴィンさん、あなたって!」
セレナはあまりに当初の計画と違う動きに、思わずアルヴィンがガブリエルの手先ではないかという思いに囚われた。でもこれまでの事を考えると、それはあり得ないという心の声もする。
「君の父上は彼が抑えているのかな?」
「お前は話が早くてよいぞぇ。あの男はオーギュストが抑えに行っておる。それに残りの兵達には薬を盛ってあるゆえ、今は妾に逆らうものはここにはおらぬ」
「話?男?一体どういうこと?」
セレナは手を頭にやると髪を掻きむしった。もう訳が分からない。
「小娘、お前は相変わらず頭が悪い女だそぇ。たとえ血がつながっていても妾を殺そうとした男じゃ。いや血がつながっているかどうかもよく分からぬものよ。お互い父と娘という役をやっていただけのようなものじゃ。たとえ肉親でも消される前に相手を消すのは貴族の嗜みぞえ。覚えておくが良い」
そうセレナに告げると、イレイェンはクラリーサの前に立った。
「パン!」
クラリーサの頬から乾いた音が響く。
「え、えっ、」
クラリーサは頬を手で抑えて、呆気に取られてイレイェンを見ている。
「この間の借りは返したぞえ。田舎者ども、これも貴族の作法の一つじゃ、覚えときや。妾達は右手で握手をしながら、左手で殴り合いをするのじゃ」
「ど、どう言うこと!」「どう言うことだ!?」
セレナとアーベルの声が響いた。
「うるさい奴らじゃな。これだから作法を知らぬ田舎者は嫌いなのじゃ」
「この間の提案を受け入れると言う理解でいいのだな。どうやらそれ以上に色々と複雑な事情があるようにも思えるが?」
アルヴィンがイレイェンに問い掛けた。
『複雑な事情?』
セレナには二人が何の話をしているのか、相変わらずさっぱりだ。
「その通りじゃ。残念ながら妾達はお終いよ。とは言え、短い間でも命を救ってもらった礼はさせてもらうぞえ。それが妾ら青い血を持つ者の矜持と言うものじゃ」
そう言うと「フン」と小さく鼻を鳴らして見せた。
「それで汝らはどうしたいのじゃ。殺してしまったことにしてやるのが良いか?そうすればどことなりに行けるぞぇ。それとも村に帰って、しばし別れの時を過ごすか?」
事情は良くわからないが、この子に助けてもらった事に間違いはないらしい。セレナは一歩前に進むと、イレイェンの手を握った。その手はとてもか弱く、小さく震えているようにも感じられる。セレナはその震えを受け止めるべく、自分の手に力を込めた。
「イレイェンさん。助けてくれてありがとうございます」
セレナはその手を握ったまま、イレイェンに向かって頭を下げた。
「礼などいらぬぞぇ。こちらは汝らに……」
「あなたは命の恩人よ。礼を言うのは当たり前でしょう。それに私の友達になってください。『うん』と言わなくても私はあなたの友達よ。友達だからあなたが困っていることを教えて欲しいの。そして私達に何か出来ることがないか考えさせて」
「この小娘は一体何を言っているのだぞぇ?」
イレイェンは何か変な生き物にでも遭遇したかのような驚いた顔をすると、アルヴィンの方を見た。だがアルヴィンは頭をかすかに傾けると、
「ただ助けられるのが納得できないのではないかな?それに助けてくれた相手を助けたいと思うことは、決して不合理なこととは言えないと思うがね」
そうイレイェンに告げた。
「それを知ってどうするのだぞぇ?まあ、もはや隠すようなことでもない」
「そもそも、なんで貴方は終わりなの?」
セレナの問に、イレイェンが再び「フン!」と鼻を鳴らして見せた。
「中央から査察官が来るのじゃ。それも軍を率いてな。あの男はやりすぎた、いや期待通りに振る舞っただけじゃな。中央に金をばら撒けばなんとかなるとか考えていたようじゃが浅はかなものよ。山程いる王子の誰かが、中央で食えなくなった下々と一緒にこの地を収めるつもりだぞぇ」
「どう言うこと?」
「この地の住民ごと、丸ごと入れ替えるつもりなのじゃ。問答無用よ。妾達はそれに踊らされただけじゃな。あの男は最後まで踊り切れると思っていたようじゃが、愚かなことよ」
「アルヴィンさん、これって?」
セレナはアルヴィンの方を振り返って尋ねた。アルヴィンがセレナに頷いて見せる。
「そうだ。
「あの男はお前を娶り、王都で金をばら撒きつつ、この地の正式な相続人になって、法廷で時間稼ぎをすることで凌ごうとしたのじゃ。それにはお前を第一夫人にする必要があるぞぇ。それ故に相続など面倒な妾は用済みだったのじゃな。だが相手が軍を差し向けた時点で全ては終わりよ。宮廷の貉どもの方が一枚上手であるぞぇ」
そう言うと、イレイェンは自分を卑下するかの様に、小さく「ククク」と笑って見せた。
「これも因果よ。汝らはどうするのか、はよ決めれや」
「貴方はどうするの?」
「妾か、妾はお前達と違って忙しいのじゃ。まずはあの男を始末しないといけない。お前達田舎者と違って妾達、青い血を持つ者は死ぬのにも色々と作法があって、めんどうなのじゃ。覚えときや」
「終わり?不合理だな」
セレナの横で二人を見ながらアルヴィンが不意に声を上げた。
「むしろこれからが本当の始まりではないのかな?」
「なんじゃと?」
イレイェンがアルヴィンの方を睨みつける。
「妾は逃亡などせぬぞぇ。王都への道は封鎖されておる。妾は山狩などにあって惨めに死ぬのは嫌じゃ!」
「逃亡?何の話だ。私の提案は今後のこの地での投資の方向性を示したもので、未来に関することだ。終わりについてではない。君達はそれを受け入れたものと私は理解しているのだが?」
「ああ、あれか。オーギュストがうたたかの夢と言っておったものか?出来もしない夢を見せるなど、お前も相当に意地が悪い男だぞぇ」
「夢ではない。始まりなのだ。イレイェン嬢、君の父親は正当な統治権を得て、それを持って中央に抗議するためにセレナを望んだのだな」
「そうじゃ。それがどうしたのかえ?」
「正当な統治権?それって……」
セレナの口から言葉が漏れた。
「そうだセレナ。それを望むかどうかは別にして、元々君が持っていたものだ」
セレナの中で色々な物がやっと繋がった。そうか、始まりって、アルヴィンさんはそれが言いたかったのか!
「うん、アルヴィンさん。やっと分かった」
「そうだ。ガブリエルという者は領主代理にすぎない。だがセレナ、君はこの地の領主だ。この城の主人でもある」
「これは私の戦いなんだね。この地を、皆を守るために私がやるべき事なのね。守られるのではなく、これからは私が守るのね」
イレイェンが驚いた顔をして、セレナを、アルヴィンを見つめた。
「本気かえ?お主は政事の面倒に、この田舎娘も巻き込むつもりか?妾はお主はこの小娘達を救うつもりだと思うていたが、殺す気かぇ?」
「イレイェンさん、違うと思うわ。アルヴィンさんは私に自分のやるべきことをやれと言ってくれているのよ」
セレナはそう言うと、もう一度イレイェンの手をしっかりと握った。
「私は領主が何たるかも、貴族がどのようなものかも知らない。だけど自分がやるべきことから逃げたくはないし、逃げない。これは私の勝手なお願いだけど、イレイェンさん、どうか私達を助けてくれないでしょうか?お願いします」
セレナはイレイェンに頭を下げた。不意にセレナのイレイェンの手を握っている拳の上に、誰かの暖かい手が乗せられた。
「イレイェンさん、セレナだけじゃなく、私とも友達になってください。そしてどうかセレナを助けてください」
それはクラリーサの手だった。クラリーサはいつもの優しさに満ち溢れた顔でセレナとイレイェンの二人を見ている。
「それにもう喧嘩も経験してますし……」
そう告げてにっこりと微笑むと、イレイェンに頭を深々と下げた。
「お、お願いします!」「お願いします!」
クラリーサに続いて、アーベルとマリウスも着慣れない鎧に苦労しながらも、イレイェンに向かって深々と頭を下げる。自分はなんて幸せな人間なんだろう。そしてひどい人間なんだろう。みんなを、友達も自分の宿命に巻き込んでしまっている。セレナはそんな思いを抱きながら、城の濃い肌色の敷石に、自分の涙がこぼれ落ちるのを見つめた。
「お前達は本物の馬鹿だぞえ」
イレイェンが呆れたように呟くのが聞こえた。
「そうでしょうか?私もそちらのアルヴィン殿同様に、そうとも言えないように思います」
その呟きに答えるように、セレナ達の横から男の声が響いた。
「オーギュスト、お前……」
イレイェンが声のした先を振り返る。そこには馬車で村まで来た従僕の男が立っていた。男の手と服は血に染まっている。
「お前もこれほど馬鹿な男だとは知らなかったぞえ。ならぬぞ。用事が済んだら城の者と一緒にどこぞに落ち延びるのじゃ」
そう言うと、イレイェンはオーギュストに向かって首を振って見せた。
「失礼ながらお断りさせていただきます。お嬢様が全てを背負う必要はありません。城の者の一部も、私と同じくこの城に残ると言っております。卑賤の身ではありますが、少しはその重みを負担させていただけませんでしょうか?」
「お前はもう少し先が見える者だと思っておったが、この馬鹿どもから変なものでもうつされたのかぇ?」
「そうですね。いい夢を見て変わったのでしょう。その夢にはまだもう少し続きがあるようにも思えます。それにお嬢様も先ずは
「さようか。ならば貴族としての作法の一つも見せてやらねばならぬかえ?」
「はい、イレイェン様」
そう言うと、オーギュストはセレナとイレイェンに向かって、見事な女主人に対する礼を捧げて見せた。その姿にイレイェンもセレナから手を離すと、一歩後ろへと下がる。そしてドレスの裾を持ち上げると、左足を後ろに引いて、セレナに向かってとても優雅に挨拶をして見せた。
「トーラス城・城代、イレイェン・ベルガミン・ブエンディアより、王国第一の旗手、トーラス侯・セレナ・ロランド・アルヴィン・トーラス様のご帰還を城の者一同、心からお喜び申し上げます」
イレイェンの挨拶にセレナも上着の裾を持ち上げて礼を返す。
「ありがとうございます。でもイレイェンさん、この城も領地も私の物ではありません。みんなの物です。だからこの城は貴方の城でもあります。私たちはここを一緒に守る仲間ですよ」
「仲間?」
「ええ、仲間です!」
「お前、何を言っておるのじゃ、不合理だぞぇ!妾達はここを奪いにきた者じゃ。それに家臣よ」
「その台詞はアルヴィンさんだけで
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます