因果

「降伏する!」


 馬から落ちた指揮官らしき男がそう叫ぶのを聞いて、アーベルとマリウスは樫の木の盾の背後で、お互いの手を鳴らしあった。


 何年もの忍耐の日々が報われた思いだった。アーベルは手にした角灯の覆いを外すと、村外れの森へ向けてグルグルと回す。森の方からも黄色い灯がグルグルと回された。どういう訳だかそれはいつまでもいつまでも回っている。


『いくら何でも回し過ぎだろう。』


 アーベルは心の中で思った。間違いない。あれを回しているのはセレナだ。


「ここからは少しばかり急がないといけない」


 樫の木の盾の背後で窮屈そうに身を屈めていた男は立ち上がると、アーベル達に声をかけた。そうだこの状況が相手にまだ伝わらない前に動かないといけない。アーベルも立ち上がると、一番手近にいた兵士達に声をかけた。


「おい、今すぐ鎧を脱いでこちらに投げろ!」


 呼びかけられた兵士が、意味が分からないという顔をして見せる。アーベルは手にした松明を男達の前へ差し出して見せた。


「焼き殺されたいのか!さっさとしろ。周りのやつも手伝え。鎧を脱いでこちらに投げるんだ」


 アーベルが声をかけた男は髭面の下品な顔をしていたが、アーベルと背格好は似ている。アーベルは自分より頭半分以上は高いマリウスの体格に合う男も探した。いた、腹回りもでかいが、ともかく背丈が合えば何とかなるだろう。


「おい、そこの太っちょ。お前もだ」


 アーベルはさらにアルヴィンの体格に近い男を探した。そもそもみんな泥の中に沈んでいて背丈がよく分からない。だがどう見てもアルヴィンの背丈に合いそうな男は居そうになかった。


「あんたの分は難しくないか?」


「私は不要だ」


「すぐにバレバレだぞ」


「私もセレナと同じ扱いで構わない。それより棒か何かを渡して早く鎧を受けとった方がいいな。それと磨きすぎるな。多少油がついたままぐらいで丁度いい」


「分かった。お前達、鎧をこれに引っ掛けるんだ。妙な真似をしたらこいつがすぐに落ちるからな」


 樫の盾の後ろに隠れていた村民の何人かが、細い木の棒にかえしをつけたものを何本か兵士達の方へ差し出すと、兵士達は慌ててそれに鎧をくくりつけた。泥の中を引き摺ることになるので、鎧を受け取るのは厄介だった。アーベル達は何度も棒を渡しては、汗みどろになりながら鎧を受け取った。


「あんたが例の男か?」


 指揮官らしい男がアルトマンに声をかけた。


「例の男?」


「そうだ。あの高慢ちきの剣士様を打ちのめしたのは?」


「剣士?彼は君の部下では無いのか?」


「部下なんかじゃない。あいつは流れ者さ。態度こそ丁寧だが、剣の腕を鼻に掛けて俺たちのことを小馬鹿にしてやがった。あんたに打ちのめされていい君だと思っていたが、自分も同じ目に会うとは思っていなかったな。あんた何者だ?」


「私か?私は単なる通りすがりだよ」


「通りすがり?軍人崩れか何かか?」


「そんなところだ」


 アーベルの耳にアルヴィンが答えるのが聞こえた。『軍人崩れ?』こいつは一体何者なんだ。やっぱり何か裏があるんじゃないのか?


 だがアーベルがアルヴィンについて考えを巡らす前に、とても賑やかな声が響いて来た。それはだんだんと大きくなっていく。この村にはこれだけうるさいやつは一人しかいない。


「アルヴィンさん!アーベル!マリウス!」


「セレナ、そんなにこっちに近寄るんじゃない。危ないじゃないか」


 アーベルは泥に身を取られている兵士達を指さした。


「大丈夫よ。だってアルヴィンさんが見ててくれているんでしょう?」


「何でこいつなら大丈夫なんだ?」


 セレナの言葉にアーベルはアルヴィンの方を指さした。


「何を言っているの。アルヴィンさんよ、大丈夫に決まっているじゃない」


「アーベル、セレナ、そんなことより準備をして移動しないと。時間がかかると色々と厄介になると思うよ」


 マリウスがアーベルとセレナの間に割って入った。


「そうね。マリウスの言う通りね。そ、そうだ!マリウス!あんたは何でアイリさんの事を黙っていたのよ!ちょっとそこに座りなさい!」


「セレナ、そんなのは後回しだ」


「後回し?そうはいかないわよ!こういうだらしない男はちゃんと説教しないとダメよ!」


 セレナの剣幕にマリウスがアーベルの背後に隠れようとする。


「セレナ、事情はよく分からないが、今はそれよりも優先すべきことがあると私は思うが?」


 アルトマンの言葉に、マリウスを追い回していたセレナが立ち止まった。そして腕組みをするととても不満そうな顔を浮かべたが、アルヴィンに向かって渋々頷いて見せる。


「ここからはその元気を少し抑え気味で行った方がいい。いや逆だな。その怒りをぶつけるつもりで行け」


「そうね、そうさせてもらうわ。マリウス、後で覚えてなさいよ!」


「さて君達も準備に行くといい。鎧を着るのはそれなりに手間がかかる」


「あんたも行くんだろう?」


 アーベルはアルヴィンに問いただした。この男に頼らざる負えないのは気分が悪いが、今はそんな事を言っている場合ではない。


「もちろんだ。だがここの後始末をしてからだ。心配するな。すぐに追いつく」


 そう告げると、アルヴィンはアーベル達だけでなく、村人達にも鎧を持って立ち去るように指示を出した。


「はい、アルヴィンさん。行くよみんな。ここからが私達の仕事よ!」


 セレナの皆に気合をかける声が響く。アーベルはマリウスと一緒にセレナに耳を引っ張られながら、村人達の後を追いかけた。


* * *


 アルトマンは村人達とこの場を去って行くセレナ達の後ろ姿を眺めると、アーベルから受け取った松明を手に兵士達の方へ歩み寄った。


「おい、軍人崩れなんだろう?俺たちは降伏したんだぞ。それに武器も手放した」


「そうだな。その時点では合理的な判断だった」


 アルトマンの言葉に兵達の顔が青ざめる。


「おい、アルヴィン!あんた何しようとしているんだ!」


 不意にアルトマンの背後から声がかかった。見ると息を切らしたアーベルが、慌てたようにアルトマンの方へ駆け寄って来るのが見える。


「どうした。先に行ったのでは無いのか?」


「あんたは信用できない。だから俺も一緒に行く。それで戻ってきたんだ」


 そう答えると、アーベルはアルトマンの方を睨んで見せた。


「なるほど。合理的な判断だ。だが私としては君には今すぐここから立ち去ることを勧める」


 アーベルの顔にうろたえた様な表情が浮かんだ。そしてアルトマンの手にある松明をじっと見つめる。


「何をしようとしているんだ」

 

「現時点におけるもっとも合理的な対処だ」


「あんた!」


「この村の村民はおよそ100名。その中で武器を持てる男性は半分以下だ。同数以上のしかも戦闘の訓練を受けた兵がいるのだ。それを捕虜として監視することは無理だ。そもそもそれを受け入れるための場所も仕組みもない」


「縛り上げて見張っていればいいじゃないか!」


 アーベルがアルトマンに向かって叫んだ。


「不合理だな」


 アルトマンはアーベルにそう告げると、首を横に振って見せた。


「一人でも逃げれば、村の者の誰かを人質に開放を迫るだろう。アーベル、君はその時に人質を見殺しにして、逃げた者を射殺出来るのか?たとえその者の家族が君の隣にいようともだ」


「だ、だからって!」


「やめてくれ!」「何もしない!」「絶対にさ、逆らったりしない、約束する!」


 目の前にいる兵士達はアルトマンが降臨した神で、それに縋り付くかのように必死に懇願して見せる。その姿にアーベルが動揺するのがはっきりと見てとれた。


「こう言っているじゃないか?」


「君は彼らがどうしてこんなにも懇願するのか、理由を知っているのか?」


「なんだって!?」


「理由だよ」


「えっ、誰だって死ぬのは嫌じゃないのか?」


「そうだろうか?私は違うと思うな。アーベル、同じ状況になったら君は何て言うだろう?さっさと殺せとか口にするのではないかな?」


 アルトマンの言葉に、アーベルが口を大きく開けたまま、アルトマンの顔を呆気に取られて見ている。


「君もきっとセレナも、間違いなくそう言うだろう。不合理な事だが、命よりも優先すべき事があると考えるのではないかな?」


 そう告げると、アルトマンはアーベルに向かって泥にはまって動けない兵達を指し示した。


「彼らはそれがどれだけの苦痛か、苦しみをもたらすかを良く知っているのだよ。なぜならそれを自分達の手で行ってきたのだからな。アーベル、君はまだ本当の苦痛を知らない。だからきっと彼らと違ってすぐに殺せとか、さっさと火をつけろとか言えるのだ」


 アルトマンはその漆黒の目でアーベルをじっと見つめた。いつしかアーベルの手が小さく震えているのが見える。


「無知は罪だ。だが、知っていれば救われる訳でもない。これは因果なのだよ。己の所業は常に己に戻ってくる。この世界に神というものがいるのであれば、それはこの因果律以外にはあり得ない」


「因果だって!?ハッ、ハハハハ!」


 その声に身を固くしていたアーベルが振り返った。アーベルの視線の先では指揮官の男が腹を抱えて笑っている。


「あんたも俺たち側ということだな!」


「そうだ。私も因果に囚われし者の一人だ。決してそれから逃れることはできない。だからこそ私がやるのだ」


 そう言うと、アルトマンは手にした松明を男に向かって投げた。そして立ち尽くすアーベルの体を抱えると、赤い光が彼の目に映らぬように顔を、上がる悲鳴が聞こえぬように耳を覆ってやった。


 兵の何人かが泥に取られながらも必死に松明を受け止めようとする。だがそれは全くの無駄だった。炎が全てを包む。アルトマンはアーベルの体を抱きかかえてその場を去りながら、腕にアーベルの嗚咽が振動となって伝わって来るのを感じていた。

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