理解

 小屋の中は天井近くにある、明かり窓が開いているせいで思ったより明るかった。おかげでさほど広くない小屋の中で、アルトマンはすぐに相手を見つけることができた。


「何か下に敷かないと冷えるのではないか?」


 アルトマンはドメニコに向かって声をかけた。ドメニコはいくつかある藁の束を背に土間に直接座っている。


「冷える?それがどうした。この土地は、この土は遠い昔から俺達のものだ。それを冷たいなどと感じたりはしない」


「そうか」


 アルトマンはドメニコにそう答えると、傍にあった背もたれが壊れている椅子を引き寄せ、そこに座った。


「何か用か?それとも村のものに代わって、俺を殺せと言われて来たか?」


「殺す?」


「そうだ。俺たちは何代か遡ればどこかで必ず繋がっている。よそ者のあんたが殺れば後腐れがないからな」


「そんなくだらない用事で来たのではない。私は君に聞きたいことがあってここに来たのだ」


「聞きたいこと?」


 ドメニコは不意を突かれたような顔をすると、アルトマンに問いかけた。


「そうだ。この村の主導権を握ってどうするつもりだったのだ?」


「今更もうどうでもいいことだ」


「君にとってはそうかもしれないが、私にとってはとても大事な事なのだ。この村をまとめたら、この地の支配を任せるとでも言われたか?」


「そんなところだ」


「不合理だな」


「不合理?より多くのものを自分のものにしたいと言うのは基本的な欲求だろう」


 そう言うと、ドメニコはアルトマンに向かって、ふんと鼻を鳴らしてみせた。


「そうだろうか?その危険リスクは、ここにいるたかが百人に満たない人間と、この土地を支配するのに比べて、とても見合わないのではないのかな?」


「何が言いたいんだ?」


「私が不合理だと言ったのは、君が単に欲に目が眩んだだけとはとても思えないのだ。むしろその先に何が待っているのかも、よく分かっていたのではないのかな?」


 アルトマンの言葉にドメニコは無言だった。


「この地の支配を任されたところで、領主代理とやらから無理難題を吹っかけられるだけだ。それを拒否することは出来ない。結局それを村民達に強制するしかないからな。そして全ての怨嗟の声をその身に受けることになる。同じ仲間だったのだから、より深く恨まれることになるだろう。破滅するだけだ。その後に領主代理は腹心の者を置く」


「それがどうした?」


「不合理だな。分かっているのなら、もっとやり方があったはずだ。一番手っ取り早いのは、自分の手持ちをさっさと金にでも変えて逃げてしまうことだろう。話に聞いたところでは、両親は既に他界されているそうではないか。君に家族はいない。身一つで逃げるのであればそれほど困難はないと思うが?」


 ドメニコはアルトマンに向かって深くため息をつくと、頭を横に振ってみせた。


「流れ者のお前に何が分かる?私の父と母の墓はここにあるのだ。私はそれを守らなければならない」


「なるほど。それが理由なのだな。邪魔をした」


 アルトマンはドメニコに頷いて見せると、椅子から立ち上がった。天井に頭がつきそうになる。


 ドメニコは決して背が高いわけではないが、この椅子を使えば、天井近くの明かり窓から抜け出ることが出来そうだった。それでも彼がここに居る事を選んだ理由もそれなのだろう。アルトマンはもう一度ドメニコに向かって頷いて見せた。


「あんたは勝手にここに来て、ヨゼフの片棒を担いでどうするつもりだ?お前はここに居るもの全てを火にくべるために来た、俺の代わりではないのか?それともヨゼフの昔の縁故か何かか?」


 ドメニコが立ち上がったアルトマンを見上げて問いかけた。その顔には諦めたような、それでいて興味があるような複雑な表情が浮かんでいる。


「残念だが、そうではない」


「なら、お前は何者だ?」


「私か、私は単なる通りすがりだよ」


 アルトマンの答えに、ドメニコはただ静かに目を瞑ってみせただけだった。


* * *


 春らしい温かみのある日差しが辺りを照らしている。アルトマンが歩いている畑の畦道の脇でも、名も知らぬ草が、ちらほらと緑の葉を広げようとしていた。冬はもう終わりを告げようとしている。


「タタタ……」


 背後から響いてきた軽い足音にアルトマンは振り返った。見るとクラリーサが、三編みにしたおさげを振りながらアルトマンの方へ走って来ていた。


「一人か?」


「はい。祖父に用事があると理由をつけて、後を追いかけさせてもらいました」


 アルトマンの問い掛けに、クラリーサが息を弾ませながら答えた。


「私に何か用でも?」


「はい、少し相談したいことがありまして……」


「相談?」


「はい。祖父は初めからこの争いに、村人全員を巻き込むつもりだったのでしょうか?」


「巻き込む?」


「私の母は少し前に亡くなりましたが、ある時に母が祖父の事を『怖い人だ』と漏らしたことがありました。私にとって祖父はいつも穏やかな顔をしている優しい人だったので、その時は意味がわかりませんでした。それでよく覚えています。でも先日の事件と集会で、母が何でそう言ったのか分かったような気がするんです」


「何が分かったと言うのかな?」


「馬車が来た時、祖父達はすぐに私達の前に現れました。私の家や畑はあの場所の近くではありません。早すぎるんです。それに偶然だとしたら、ハビエルさんや、ドメニコさんまで居たのは出来過ぎです。おそらく祖父はあの領主代理の娘が、こちらに来ることを知っていたんだと思います」


 クラリーサはそう告げると、じっとアルトマンの方を見た。そして意を決したように口を開いた。


「それに私達を助けるつもりだとしたら、出てくるのが遅すぎます」


「遅すぎ?」


「はい。あの時はアルヴィンさんに助けてもらいましたが、私達は丸腰でした。普通に考えれば剣を持っているものが二人もいたのです。セレナ以外の私達の誰かが切られていてもおかしくはありませんでした。アーベルの性格を考えれば、間違いなく切られていたと思います」


 そう言うと、クラリーサはその時の事を思い出したのか、小さく体を震わせた。


「集会に出て確信しました。あそこで私達の誰かが切られていれば、誰も降伏しようとか言うものはいなかったと思います。みんな怒りに燃えて、領主代理に抵抗しようと言うことになっていたはずです。特に私が切られていれば、誰もそれが祖父の意図した結果だとは思わなかったでしょう」


「どうしてセレナ以外なのかな?」


「本人は絶対に違うと言うでしょうけど、セレナは特別なんです。勇者様の血筋を引いています。それに名目上はここの領主です。祖父はセレナだけはどうあっても守りたいのです。たとえそれ以外の者達がどうなろうともです。私の考えはどこか間違っていますでしょうか?」


 そう言うと、アルトマンの黒い瞳をじっと見つめた。アルトマンはクラリーサに向かって小さく頷くと、口を開いた。


「事実の積み上げという点では間違っていない。だがそれはまだ単なる事実であって、理解ではない。理解とは事実と事実の間にある因果を知ることだ」


「因果ですか?」


「そうだ。君の仮説が正しいとするならば、それには理由がなければならない。その理由は何かを知ることだ。そして自分の結論が、自分がそうだと思い込んでいるものではないか、あるいはそうあって欲しいと思っているものではないか考えることだ」


「それを知ることに意味はあるのでしょうか?それを知れば自分は納得できる、そう言うものでしょうか?」


「少なくとも自分が何をすべきかについての方針を立てることができる。前へ進むことができるのだよ。君の母親は、ヨゼフ殿に対して『怖い』と言ったそうだね」


「はい」


「感情に囚われるということは、そこで立ち止まってしまうということと同義だ。君の母親はそこから先に進めたのだろうか?その恐怖を克服できたのだろうか?」


「えっ?」


「恐怖には二つある。一つは感情的な嫌悪や悍ましさだ。もう一つは理解できないものへの畏れだ。君の母親がヨゼフ殿に抱いていたのもそれだろう。だから世に存在する恐怖のほとんどは理解によって克服可能なものだ。無知から来ている恐怖を、感情的なものだと思いこんではいけない。君が母親と同じような『恐怖』を抱いているのならば、君はそれを理解し、前へ進まないといけない」


「たとえ結末が変わらないとしてもでしょうか?」


「結末?」


 アルトマンはそう呟くと、クラリーサにむかって背を丸めて、彼女の顔を覗き込んだ。そして小さく首を横に振って見せる。


「君の言っている結末は過去のものではない。未来にあるものだ。結末という言葉自体、ふさわしいとは私は思わない。未来にあるのは常に可能性だよ」


「はい」


 クラリーサはアルトマンに向かって頷いて見せた。


「君にとって合理的かどうかはさておき、私には君の祖父、ヨゼフ殿の振る舞いが少しは理解できるように思える」


「祖父の考えですか?」


「そうだ。君の祖父は勇者の従者をしていたと言っていたね」


「はい。その時のことはあまり多くは語ってくれませんが……」


「だとすれば、先の大戦にも従軍しているはずだ。軍とは君の祖父のような思考を要求するところなのだよ。目的を明確にし、その為にどのような手段を取らねばならないか考える。そしてその手段とは、基本的に他の者を殺してこい、あるいは命じた相手に死んでこいというものだ。だからこそ戦には大義名分という目的が必要であり、それを疑わせぬように正当化する手段が必要なのだ」


「ひどい話ですね」


「そうだ。いやそのように振る舞わないと心が持たないと言うべきだろうな。君のいう通り、ヨゼフ殿の目的はセレナの命を守ることらしい。彼にとって、それ以外のありとあらゆることは手段だ。合理的かどうかはさておき、彼にとっての戦は、勇者を守るという使命は未だに終わっていないのだろう」


「やはりそうなのですね」


「他人に頼らず、自分で目的を検証し、その因果を確かめる事は重要なことなのだよ。私の言う合理的と言うのは、その目的、手段、その因果が明確かつ検証されていることを言っているのだ」


 クラリーサが当惑した表情を浮かべた。


「そんなことは可能なのでしょうか?目的だって一つではないと思うのですが?」


「その通りだ。目的や目標は一つではない。その全てを同時に満たすこともできない。その中で何が一番大事なものなのか、優先させるべきなのかを考えるのは大事なことだ。それが明確になっていれば、他の者にとってどう見えようが、君にとって不合理なことなど何もない」


「とても難しい事の様に思えます」


「もちろん簡単なことではない。そのためには多くを捨て、失う事を要求するだろう。悩み、苦しみ、時には全てを諦めたくなるかも知れない」


 そう言うと、アルトマンはクラリーサの心臓を指さした。


「君の祖父が喜んで君の命を差し出すことはない。彼の悩みや苦しみの先の決断なのだよ」


 クラリーサはアルトマンが指さした先を、自分の鼓動の位置をじっと見つめた。


「私もかつて同じような経験をした。立ち止まってはいけない。それが君にとって不合理だと思うのならば、それを自分で理解した上で、自分の目的は何かを、その為には何をすべきかを自分自身に問い直すのだ」


 アルトマンの言葉に、クラリーサがはっとしたような表情を浮かべた。


「そうですね。そのままにしては、ただ嘆いているだけではダメですね。それに私にも自分の命より大事だと思うものがあります。その為なら何でもすると思います。やっぱり私は祖父の孫ですね」


 クラリーサはそう言うと、アルトマンに向かって苦笑いをして見せた。だがその表情とは裏腹に、目尻からは涙が一粒、二粒と溢れては頬を伝わって落ちていく。


「クラリーサ、それは間違いだよ。魂は皆それぞれ己だけのものなのだ。彼には彼の魂が、君には君の魂があるのだよ。決して何かに従うものではない」


 アルトマンはそう告げると、手にした布でクラリーサの目尻から流れた涙をそっと拭いた。


「ありがとうございました」


 クラリーサはアルトマンに小さくお辞儀をすると、来た時と同様に、三編みのおさげを跳ねさせながら、畦道を駆け去って行った。


「それで私は父を殺したのだよ」


 遠くになるクラリーサの後ろ姿を見ながら、アルトマンはそう小さく呟くと、己の手をじっと見つめた。

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