集会
「アルヴィン、連中を帰してしまって本当にいいのか?」
走り去っていく馬車を見つめながら、アーベルがアルトマンに訊ねた。
「もちろんだ。こちらの提案を、その領主代理とやらに見せる必要がある。
「でもこちらの言い分なんて、あの男が見てくれるのかしら?」
クラリーサが不安そうに呟く。
「利益が得られるのだ。簡単に無視は出来ないだろう。それで交渉がまとまってくれれば、それに越したことはない」
「えっ、どう言うこと?」
アルトマンの発言に、セレナが驚いた顔をして声を上げた。
「不合理なことだが、それを受け入れないで拒絶する可能性は高いだろう。これまでの要求を考えても、合理的な思考ができる相手とは思えない」
アルトマンの言葉に四人は顔を見合わせた。
「それなら奴らを人質にとった方が、余程にマシだったんじゃないのか?」
アーベルは焦ったように川沿いの道を見た。遠ざかる馬車はもう豆粒よりも小さい。
「向こうも領主代理一人だけで、全てを決められる訳ではない。関係者を含めての利益共同体だ。その者達に対する使者だよ。それに我々の方にも用事が出来たらしい」
そう言うと、アルトマンは村へと続く道を指差した。高台の方から、何人かの大人達が歩んでくるのが見える。
「お、おじいちゃん!」
クラリーサはその真ん中を歩む、杖を手にした老人へ声をかけた。
「お前たち、なんてことをしてくれたんだ!」
少し痩せ気味の中年男性が、セレナたちに向かっていきなり怒鳴り声を上げた。
「ドメニコさんや、先ずは儂に話をさせてもらってもいいかな?」
そう告げると、老人はセレナ達へ詰め寄ろうとした男性を押し留めた。
「お前たちは自分がしたことを、ちゃんと理解しているのかい?」
「はい」
セレナは老人の目を見ながら迷うことなく答える。老人がセレナに頷いて見せると、四人の背後にいたアルトマンの方を見上げた。
「家の
「はい。アルヴィンと申します」
アルトマンはこの地での偽名を告げると、老人に向かって頭を下げた。
「この村の者たちを救っていただきまして、本当にありがとうございました。この村の村長をさせていただいております、ヨゼフと申します」
老人もアルトマンへ深々とお辞儀を返す。そして僅かに首を捻って見せた。
「お名前はご本名ですかな?」
「はい。それが何か?」
「大した話ではありません。孫娘の友人たちから聞いているかも知れませんが、儂らにとってその名前は少し特別でしてな……」
「村長、そんな悠長な挨拶をしている場合じゃないです!」
横にいた中年男性が焦れた声を上げた。
「すぐにこのバカどもを城へ突き出して、謝りに行かないといけません!」
そう叫んだ男性に、老人は首を横に振って見せた。
「ドメニコさん、四人は村の者なのだから、まずは我々で何が起きたのかを確認するのが先ですぞ」
そう告げると、老人は背後に控えていた、がっしりした体格の男性の方を振り返った。
「ハビエルや、皆に集会場へ集まってもらうよう触れ回ってもらえないだろうか? 欠席や委任はなしだ」
「はい、村長」
「セレナ、アーベル、マリウス、クラリーサ。お前達ももう子供ではない。儂らと一緒に集会場まで来てもらう。そこで何があったのか、きちんと皆に説明するのだ」
「分かりました」
セレナがヨゼフに頷いた。
「そちらのお客人も申し訳ないが、儂らと来て頂けませんかな?」
「おじいちゃん、アルヴィンさんは私たちが巻き込んでしまっただけで……」
「クラリーサ、お客人とはいえ、アルヴィンさんもこの件の当事者の一人だ。我々と一緒に来てもらうしかない」
ヨゼフはそう告げると、アルトマンについて来るよう合図した。
セレナは集会場と言っても、村の中央にある窪地に置かれた椅子に緊張した面持ちで座っている。アーベル以下、幼馴染四人全員で一番下の中央に座らされていた。
その一番端では、アルヴィンが長い足を窮屈そうに折りたたんで座っている。その目は閉じられ、単に眠っているのか、それとも何か考え事をしているのか、セレナにはよく分からない。
クラリーサの祖父で村長のヨゼフが欠席なしと告げた為、村の大人達全員が、次々とこの集会場に集まって来ている。
「村長、カルラ婆さんとフィルマン爺さんは腰が痛くて無理とのことでした。メンゲルのところも、赤子が熱を出しているとかで、嫁さんは家に残るとの事です」
村を一回りして戻ってきたらしいハビエルが、ヨゼフに報告した。
「メンゲルは?」
「来ると言っていたから、間も無く。あ、来た来た」
ハビエルはヨゼフに茶色い服を着た男を指さすと、そちらへと歩んでいく。
「子供は大丈夫か?」
「ああ、熱は下がってきたみたいだから、大丈夫だと思う」
「遅れました」
セレナの耳に、クラリーサの姉のアイリの声が聞こえた。大きなおなかに手をやりながら、ゆっくりと歩いてくる。
「もうすぐ産み月なんだから気をつけなよ」
「はい、ミスラルさん」
アーベルの母親のミスラルが、アイリの手を取ると椅子に座らせた。
「村長。これで欠席の三人以外、全員揃いました」
前で人数を数えていたハビエルが告げた。ヨゼフが杖を手に立ち上がると、村人たちが口を閉じ、辺りは静寂に包まれる。
「忙しいところ、わざわざ集まってもらって申し訳ない」
そう告げると、ヨゼフは百に満たない村民達を見回した。その長い顎髭は白く、その顔には深く皺が刻み込まれている。だがその眼光は、勇者アルヴィンの従者をしていた時と同様に未だ鋭い。
「領主代理のガブリエル殿が、この村の自治権の返上を要求している件は、既に聞き及んでいると思う。その件に絡んで、いささか問題が持ち上がったので、皆に集まってもらった」
ヨゼフはそこで一度言葉を切った。ヨゼフが告げた「領主代理」と言う台詞に、集まった村民が息を飲むのが聞こえる。
「本日昼前、領主代理の娘がこの村に来て、セレナ達に難癖をつけたらしい。聞くところによれば、娘はセレナに鞭を振おうとし、それを止めようとした者に対して、護衛の剣士が剣を抜こうとしたそうだ」
ヨゼフの言葉に、村人達から小さくざわめきが起こる。
「だがそこのアルヴィン殿が間に入ってくれたお陰で、事なきを得た」
「村長、違います」
ドメニコは立ち上がると、ヨゼフに異議を唱えた。
「その後、この大バカ者たちは領主代理の長女を納屋に監禁した。見事に向こうの挑発に乗ってしまったんだ!」
そう告げると、ドメニコはセレナたちに向かって拳を振って見せた。
「このままだとトーラス城から兵が送られる。そうなれば、この村は間違いなく火の海だ!」
ドメニコの言葉に、今度はもっと大きなざわめきが起こった。何人かの女性の口からは悲鳴も上がる。
「村長、こんなところで悠長に議論をしている暇などありません。すぐにこの者達をトーラス城に差し出して、許しを乞うんです!」
「許し?」
そう声を上げたドメニコに、ヨゼフが首を傾げて見せた。
「そうです。トーラス城からは、セレナがガブリエル殿のところへ嫁に行けば、この村の自治については考慮すると言われているんですよね?」
その言葉にセレナは驚いた。どうしてこの男はそれを知っているのだろう? ヨゼフからは絶対に口外するなと言われていたし、その場に偶然いたアーベル以外は、今日まで誰も知らなかったはずだ。
「ある意味、これはいい機会です。セレナを含め四人にはトーラス城へ行ってもらう。それしかこの村を救う方法はありません!」
「そうだ、ドメニコさんの言うとおりだ!」
ドメニコの腰巾着のレコが賛同の声を上げた。背後からは村人たちが口々に何か話をしているのも聞こえてくる。そのほとんどは「それしかない」や、「他に方法はあるのか?」といった呟きだ。
「今すぐにでも私がこの四人を連れて、トーラス城に発ちます!」
「ちょっと待っておくれ」
ドメニコの背後から女性の声が上がった。
「難癖つけてきたのは向こうの方だよ。なんでこちらが謝りに行く必要があるんだい!」
椅子から立ち上がったミスラルが、そう声を上げた。
「ミスラルさん、これはどちらが正しいとか言う問題じゃない。向こうには兵士がいる。それを差し向ける理由を、セレナたちが与えてしまったんだ」
「釈明に行くのなら、私たち大人が行くべきじゃないのかい?」
「何を言っているんだ。当事者たるこの四人を引き渡さないで、どうやったら相手が収まるんだ?」
「何を言っているんだはドメニコ、あんたの方だよ」
ミスラルはドメニコに向かって大きく腕を広げて見せた。
「ドメニコ、私達が何を何の為に守っているのか、あんたは分かっているのかい?」
「もちろんこの村だ!」
そう叫んだドメニコに、ミスラルが大きく首を横に振った。
「私たちが守るべきはこの村なんかじゃない。ここにいる人とその未来だよ。私たち先に死んでいく者たちの為に、あんたは未来を背負う者たちを差し出せと言うのかい!?」
「ミスラル、あんたが自分の息子を助けたいのは分かる、だが……」
「アーベルはもちろん自分の命より大事さ。だけどアーベル一人が生き残っても、幸せにはなれない。私たち大人はセレナたちも含めて、子供たち皆を守るために、幸せにするためにここにいるんだ!」
そう叫ぶと、ミスラルはアイリの大きな腹を指差した。
「単なる理想論だ!」
「理想とか現実とか知ったことじゃない。それが村を守ると言うことなんだよ。それをセレナにガブリエルのところに嫁へ行けだなんて、寝言は寝ていいな!」
「ミスラル、兵士達が来て火をかけられても、今日と同じセリフが吐けるのか?」
「もちろんさ。甲冑だけは立派でも、酒を飲むしか脳のない兵士どもがなんだと言うんだい!」
ミスラルは村人達の方を振り返ると、そう啖呵を切って見せた。
「それにドメニコ、あんたはちょっと前に耕作をやめて、税を納めないで抵抗しようと、私達に訴えたじゃないか。その時の気概はどこへ行ったんだい?」
「セレナたちのせいで、状況が変わったんだ」
「何も変わってなんかいないよ!」
セレナはミスラルとドメニコの言い合いを、身を斬られるような思いで聞いていた。自分がもっと早く決断をすれば、早く承諾してトーラス城に行けば、何も起こりはしなかったのかもしれない。
自分から行くと、セレナが皆に告げようとした時だった。
「不合理だな」
それまで眠っていたみたいにじっとしていた男が、不意に口を開いた。その声に、集まった全員が男を見る。そこでは少し癖のある黒髪を風に靡かせながら、全身黒ずくめの男が、村人たちをその漆黒の瞳で見つめていた。
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