提案
「妾をどうするつもりかえ?」
イレイェンは目隠しを外されるなり、連れ込まれた納屋の中で声を張り上げた。
「なんだこの馬小屋以下の所は。妾を愚弄するにも程があるぞ!」
イレイェンは周りを見ると、さらに声を荒げて、暴れる子供の如く足をバタバタと動かした。その動きに、床に敷かれた藁から盛大に埃が上がる。それは小屋の隙間から漏れてくる日差しに、小さな精霊が踊り狂っている様に見えた。
「暴れるなよ」
アーベルが呆れたような声を上げる。
「お前達、妾にこんな扱いをするなど、明日の朝日を拝めると思うでないぞ!」
イレイェンはそう叫ぶと、アーベルを睨みつけた。
「
アーベルは肩をすくめると、部屋の隅で無言で立つアルトマンの方を見た。
「あの馬車の始末は? それにあれだけの目撃者がいるのだ。なかったことには出来ないと思うが?」
「そんな事はない。村のみんながこいつらに恨みを抱いている。みんな口を閉じて居てくれるさ」
「そうかな? それに相手の方でここに来たことが分かっているのだ、簡単ではないぞ」
「ちぇ!」
アルトマンの答えに、アーベルが鼻白んで見せた。
「そこなお前。お前はそこの役たたずよりは役に立ちそうよな。妾の護衛役として雇ってやるぞえ。この者達を始末して、早う妾の縄を解けや」
イレイェンはそう言うと、小屋の隅を顎でしゃくってみせた。そこにはアルトマンに投げられた際に足を骨折したらしい剣士が、脂汗を流しながら痛みに耐えている。
「護衛役か? やったことがないので役に立つとは思えないな。それに先ほどの結果は、彼が油断して我々を侮っていたからだ。先に剣を抜いて構えていれば結果は違っただろう」
「役立たずであることには、変わりないぞえ」
イレイェンはそう吐き捨てると、剣士に向かってフンと鼻を鳴らして見せた。
「この後はどうするの?」
セレナが不安げな顔で、アルトマンに問いかけた。
「アルヴィンさんの言う通りよ。こちらが彼らを捕らえていることはすぐにばれる。トーラス城から救援の兵が差し向けられるわ」
「トーラス城?」
「蛙野郎、領主代理のガブリエルがいる城だ。本当はセレナのものなんだ」
アーベルが忌々しそうに呟く。
「蛙!? 父上が蛙なら、お前達はその餌の蝿ぞえ!」
イレイェンの台詞にマリウスはクスリと笑ったが、アーベルに睨まれると慌てて口を閉じた。
「アーベル、今は誰のものかなんてのはどうでもいい話よ。それよりもこれからどうするかを考えるの!」
「それならば、もう決まっている」
その発言に、全員がアルトマンに注目した。
「決まっているって、何がだ?」
アーベルが当惑した顔でアルトマンに尋ねた。
「交渉だ。私はここへくる前にそう言ったはずだが?」
「こいつらを人質に、あの蛙野郎と交渉すると言うのか?」
アーベルの台詞にアルトマンが首を横に振った。
「それは無理だな。人質というのは、その価値に見合うだけのものでなければ意味がない」
イレイェンが後ろ手に縛られたまま、まるで掴みかからん勢いでアルトマンの方へ詰め寄った。
「どこまで妾を愚弄する気かえ? 妾はお父上の長女にして、最も寵愛を受けている身じゃ。妾の命に比べたら、こんな辺鄙な村の一つではとても済まぬ。妾の身と同じ重さの黄金でも贖えぬぞ!」
「不合理だ」
「不合理?」
イレイェンがキョトンとした顔でアルトマンを見る。
「その身に本当に価値があるのなら、この少人数で村まで行かせたりはしない。ここへ来たのは君の発案か?」
「お嬢様、そのような下賎なものに答える必要などありません!」
「オーギュスト、お前は口を閉じてろや!」
イレイェンはオーギュストを怒鳴りつけると、真剣な表情で、アルトマンに向かって口を開いた。
「違うぞ。近々また嫁を貰うので、それが妾の目に叶うかどうか、見に行ってはどうかと言われたぞえ。それでオーギュストを連れて行く事にしたのじゃ」
「それが答えだ」
「そなたは妾が――」
イレイェンはそこで言葉を飲み込んだ。そして怒りに燃えた顔で、オーギュストを睨みつけた。オーギュストはその視線を受け止めることが出来ずに顔を俯かせている。それを見たアルトマンはセレナ達の方を振り返った。
「交渉にはいくつかの戦術が存在する。しかしながら弱者が取れる戦術は一つだけだ」
「戦術?」
セレナは当惑した顔をして、アルトマンの方を見た。
「引き伸ばしだ。交渉自体を行うのを先延ばしにする。交渉しても、結論を出すのを先延ばしにする。そして状況の変化を待つ。おそらくこの村がこれまでやってきたのはそれだろう」
セレナ達は互いに顔を見合わせると、アルトマンに向かって頷いて見せた。確かにクラリーサの祖父、この村の村長が領主代理にやってきたことそのままだ。
「領主代理とやらも、その引き伸ばしをやめさせるために色々と工作をしてきたのだろう。だが何かしらの状況の変化があって、何としてもこの村の者を交渉の場に引き出す必要があったのだ。それがセレナに行われたであろう様々な圧力と、この娘が村に来た理由だ」
そう言うと、アルトマンはオーギュストの方を振り返った。オーギュストは誰の視線も受け止めることなく、無言でじっと俯いている。
「それなら簡単だ。こいつを痛めつければその理由が分かる!」
「やめておけ。状況を複雑にするだけだ」
「だって、焦っているんだろう。あんたが自分で言ったじゃないか?」
「それが問題解決の役に立つ保証はあるのか? 相手の弱みが、こちらの強みになるとは限らない。相手を追い詰めることで、交渉を阻害する場合もあるのだ」
アルトマンの言葉に、オーギュストの胸ぐらを掴んだアーベルが当惑した顔をする。
「それに交渉相手へ暴力を振るってどうする? 彼こそが、領主代理に対する直接の交渉相手だ」
「えっ?」
アーベルはあっけに取られた顔でオーギュストを見つめた。
「根本的な問題は君達に交渉する気がないことだ。引き伸ばしというのは、交渉上の戦術であって、交渉そのものの拒絶ではない。状況が変化した今こそ、お互いの妥協点を探る絶好の機会なのだ」
「ちょっと待て。何を言っているんだ? 俺たちの土地を、生まれ故郷を奪いに来ているんだぞ! 交渉の余地などあるわけがないし、俺たちが妥協する理由もない!」
「根本的に間違っている」
「間違い?」
アーベルがさらに当惑した顔をする。
「交渉とはお互いの主義主張を振りかざす決闘の場ではない。妥協点を見出す場だ。それが直接的な利害関係者ではない、交渉人が必要な理由だよ」
「アーベル、アルヴィンさんの言う通りよ」
セレナはそう告げるとアーベルの横に膝をつく。そしてオーギュストの胸ぐらを掴んでいた手を外すと、両手でその手を握り締めた。
「だから私はあの男のところに行くの」
「セレナ!」
アーベルの叫びに、セレナはただ小さく頷いて見せる。
「やはり不合理だな」
「え!」
今度はセレナが呆気にとられた顔で、アルトマンを見上げた。
「交渉とは妥協点を見出すことだが、そこで得た約束について、実行を保証する仕組みがなければ全くもって意味がない。軍事力もそのためにあると言っても、過言ではないのだよ」
「この身がどうなろうとも、私はこの村を守ってみせる!」
セレナの叫びに、アルトマンは再び首を横に振って見せた。
「なんの確約も裏付けもなしに、セレナ、君は何をしようとしているのだ?」
「私一人の犠牲で済むなら――」
「セレナ、誰のどんな問題を解決しようとしているのかをよく考えるんだ。たとえ寝台の上でそのガブリエルという男の命を奪ったとしても、何の問題も解決しない」
アルトマンはそう言うと、セレナの肩にそっと手を置いた。俯いたセレナから嗚咽が漏れてくる。その背中を、クラリーサがそっと抱きしめた。
「だから妾は見境なくどこの馬の骨とも分からぬ嫁など、もらうんじゃないと言うたのじゃ」
「うるさい、貴方に何が分かるの!」
「セレナ!」
イレイェンの胸ぐらを掴みに行こうとしたセレナを、今度はアーベルが押さえた。
「では、私たちはどうすればいいのでしょうか?」
クラリーサは途方に暮れた顔でアルトマンに問いかけた。
「弱者としてではなく、強者として交渉するのだ」
「強者? 私達がですか?」
「そうだ」
アルトマンはクラリーサに頷いて見せると、上着の内ポケットから紙の束を取り出して、それをオーギュストの前に差し出した。
「この地域への投資について私案をまとめたものだ。ここは日照時間が長く、それでいて山からの水も豊富だ。面積こそ狭いが、耕作地としては十分に魅力的な地域と言える」
そこでアルトマンは納屋に置かれた、古く壊れかけた農具を指さした。
「問題は村側に資本の蓄積がなく、治水管理が不十分な事。苗や種子の取得、生産物の販売を個別に農家が行っていて、極めて非効率な事だ」
「あんた、一体どこでそんな事を聞いて回ったんだ?」
アーベルの問い掛けに、アルトマンは口元に笑みを浮かべて見せた。
「君の母親からだよ。私の質問にも的確に答えてくれた。君も母親の合理的なところを学ぶべきだな」
「そうよ。ミスラルさんを、もっと見ならいなさい!」
「おい、セレナ!」
「二人とも口を閉じて!」
クラリーサの一声に、セレナとアーベルが慌てて口を閉じた。
「ここからが提案だ。種や苗を領主代理が安い地域から大量に買い付け、それを農家に貸し与えることで、原価を下げると同時に領主側の収入も増やせる。販路についても、現状はこの地域に限られている様だ。だが水運を使えば、もっと人口の多い所へと販路を広げられるだろう」
そう告げると、オーギュストの前に広げた紙の後半、数字が書かれた所を指さした。
「ここに必要な投資額および、そこから得られる収益の試算を示した。比較対象として、ここの住民を追い出し別の住民に入れ替えた場合、どれだけ莫大で無意味な投資が必要なのかも書いてある」
「どのぐらい違うんですか?」
クラリーサがアルトマンに問いかけた。
「議論にすらならない差だよ。この地の住民を追い出すより、はるかに合理的だ」
オーギュストはアルトマンの示した数字を、ただ無言で見つめ続ける。
「その収益で川筋を変えれば、低地側の泥炭地を耕作地に変えられる。その開発にこそ、他の地域での余剰人員を当てるべきだ。その者達への食糧供給の為にも、この地にいる住民の協力の元、資本回転率の改善が最初に取り組むべき問題だよ」
そう告げると、アルトマンはイレイェンの方をちらりと見た。
「それが成されるのであれば、この地を誰が支配しているかなど、極めて些細な問題に過ぎない」
「こんな紙切れで、
アーベルは広げられた紙を見ながら、狐につままれたような顔をして呟いた。しかしそれを見つめるオーギュストの顔は真剣だ。
「そうだ。私は強者の交渉と言ったはずだ。ここに書かれていることは間違いなく事実で、それを受け入れるのが、他のいかなる案よりもいいということを示している。それを相手に提示するのが、強者の交渉戦術なのだよ」
「でも、どうしてこれで強者という事になるの?」
セレナが疑問の声を上げた。
「拒否するには、これで利益を得られたはずの者に対して説得が必要だ。単に拒絶などすれば、相当な不満が出て、多くの犠牲を払う事になる。犠牲……」
そう告げたアルトマンが、考え込む様な表情をする。
「どうかしたの?」
黙り込んだアルトマンに、セレナが声を掛ける。
「セレナ、先の対戦の時だが、君の父親はまだ幼かっただろうか?」
「ええ、まだ5〜6歳ぐらいだったと思うわ」
「彼は、君の父親は、その時この地にいたのだろうか?」
「いいえ、大戦の時には、当時の国王陛下がわざわざここまで迎えに来て、王都まで連れて行ってくれたそうよ」
「そう言うことか……」
「父さんがどうかしたの?」
「いや、この件には関係ない話だ。先を続けよう」
アルトマンは手にした剣をオーギュストへ向けた。
「命と引き換えに、これを飲めという話か?」
剣を見たオーギュストが呟く。
「そのようなやり方は不合理だ。提案とは中身で検討されるべきものだよ」
アルトマンはそう答えると、イレイェンを始め、オーギュストや剣士の縄を、誰もがその動きを捉えられない早業で切り裂いた。
「ここでの騒ぎを確認して報告する者が必要だ。つまり君はその領主代理の信頼が厚い人間ということになる。数字に嘘はないはずだ。この資料を持って、領主代理とよく検討するといい」
「お前は一体何者だえ?」
イレイェンが、今までとは違う落ち着いた声で、アルトマンに問いかけた。
「私か? 私はただの通りすがりだよ」
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