愚弄

「どうして隠れる必要があるのだ?」


 慌てるセレナ達を見て、アルトマンアルヴィンが不思議そうに尋ねた。


「どうしてって、領主代理が何か使いをよこすという事は、碌なことじゃないからだ」


 アーベルがアルトマンに答えた。


「不合理だな。相手の要件を聞いてみないと、何も分からないのではないのか?」


「聞かなくても、それぐらいは分かる!」


 アーベルがアルトマンを怒鳴りつけた。


「アーベル、アルヴィンさんは事情がよく分かっていないのだから、怒鳴らないでくれる? それにこれは私達の問題でしょう!」


 セレナがアーベルに怒鳴り返す。


「二人ともそんなことを言っている場合じゃないわ!」


 二人に向かって、クラリーサが金切り声を上げた時だ。


 ギィ――――!


 耳障りな軋み音を立てながら、黒塗りの馬車が五人の前に停まった。馬車の後ろから帯剣した男が、御者台の上からは侍従服に身を包んだ男が降りて来る。


「お嬢様、到着致しました」


 侍従が馬車の扉を空けると、中から田舎道には場違いな、白いドレスに身を包んだ小柄な女性が姿を表した。頭にはその背を補う様に、赤いリボンに鳥の羽を付けた大きな帽子を被っている。


「なんぞ、この泥臭さは何とかならないのかえ?」


 女性が顔をしかめると、手にしたハンカチへ香水の様なものを垂らして鼻へ当てる。


「父上が性懲りもなくまた若い嫁を貰うと言っていたが、お前のことかえ?」


 女性はハンカチで鼻を抑えながらクラリーサに尋ねた。クラリーサが慌てて首を横に振る。


「イレイェンお嬢様、栗毛という話でしたので、この黒髪の娘ではないと思います」


 侍従姿の男が女性に向かって答えた。アーベルとマリウスが、さり気なくセレナをかばう位置へと移動する。


「田舎っぽい胸が少しばかり大きな娘だから、この娘かと思うたが、違うのかえ?」


「はい。この者は村長の孫娘かと思います。前にこちらへ来た時に一度見た気がします」


 侍従の答えに、女性が面倒くさそうな顔をして見せた。


「なんぞえ。こんな肥やし臭いところまで足を運んだ故、どんな娘か見てから帰ろうと思うたのだが、残念なことよ」


「お嬢様。その娘ならそちらに居ります」


 侍従がアーベルの方を指さした。


「オーギュスト、わらわを馬鹿にしておるのか? それは男だぞえ」


「お嬢様、説明が足りず申し訳ございません。あの者の背後に居る娘です」


「娘? 黒い泥の塊かえ?」


 そう言うと、女性はセレナの方へ進もうとした。アーベルがその前に立ちはだかる。


「お前、邪魔ぞえ」


 ドン!


 女性がそう言うや否や、アーベルの体はいつの間にか前へと移動した剣士の足によって、道の端へと蹴り飛ばされた。


「何をするんだ!」


「マリウス、待って!」


 セレナは男に掴みかかろうとしたマリウスの手を抑えた。


「お初にお目にかかります。セレナです」


「オーギュスト!」


「はい、イレイェンお嬢様」


「父上は、この泥団子を本気で我が家に迎えるつもりなのかえ?」


「はい。これでも勇者の家系に連なる者ですから、お家にとって損はないとおっしゃっていました」


「勇者? 前の大戦の敗因ではないかえ。そんな者と繋がってどうするぞえ?」

 

 女性は侍従から受け取った鞭の先をセレナの顎に当てると、まるで家畜の品定めでもするかのように、顔を持ち上げさせた。


「セレナ!」


 地面に転がっていたアーベルがセレナに向かって叫んだ。


「お前、まさか勝手に承諾したんじゃないだろうな!」


「勝手? 何を言っているの。これは私が決める事よ」


 そう告げると、セレナは鞭の先を避け、立ち上がろうとしたアーベルに手を貸した。


「泥娘、そこな男の赤子なぞ、腹に仕込んでいたりはしないぞえ?」


 女性がハンカチを持った手でセレナの腹を指さして見せる。


「ふざけないで!」


 セレナがその手を跳ね上げた。セレナの手についていた泥が、女性の白いドレスに黒い染みを作る。


「妾を愚弄する気や!?」


 イレイェンが鞭を振り上げた時だ。その先端が白い手に握られ宙に停まった。勢い余ったイレイェンの体がたたらを踏む。


 隣にいた剣士が腰の剣の柄に向かって手を伸ばしたが、その手はイレイェンの手から奪われた鞭によって弾かれた。


 剣士は剣に手をやるのをあきらめると、代わりに足で前にいる黒ずくめの男を蹴り飛ばそうとする。だがアルトマンはその足を無造作に掴むと、そのまま剣士の足を振り回した。


 剣士の体は放り投げられた丸太の様にくるくると回りながら、先ほどまでセレナがはまっていた、泥の中へと落ちて行く。


「動かない方がいい」


 腰の短刀に手を回したオーギュストの喉元に、銀色の鋭い剣、先ほどまで護衛の剣士の腰にあったものが突き付けられている。オーギュストはその早業に息を飲むと同時に、腰に回していた手を、アルトマンに向かって上げて見せた。


「これで叩けば顔に傷が残る。この地でも、女性にとっては顔は大事なものなのだろう?」


 アルトマンは、鞭をイレイェンに指し示して告げた。


「何者だえ?」


 イレイェンはそう呟くと、一連の早業を為した背の高い男を睨みつけた。


「通りすがりの者だ。だがこの者たちには恩義もある。それに先ほどの態度と台詞だが、これから家族に迎える者に対して、適切とは言えないのではないかな?」


「家族? この端女がかえ? 父上が数夜も褥を共にすれば飽きる程度の者よ……」


「ふざけるな!」


 イレイェンの台詞に、今度はアーベルが激怒して掴みかかろうとした。マリウスがそれを後ろから抱き着いて必死に止める。


「マリウス、邪魔をするな! この女にセレナがどんな気持ちで居たかを、どんな気持ちで居るかを教えてやるんだ!」


 パン!


 不意に乾いた音が響いた。イレイェンが自分の頬に手をやると、前に立つ人物を呆気にとられた顔で見る。


「私の親友に謝って!」


 そこにはイレイェンの左頬を叩いた右手を、左手で握りしめたクラリーサの姿があった。その怒りからだろうか、それとも冬の終わりの風のせいだろうか、彼女のおさげにしている三つ編みの髪が小さく揺れている。


「リサ、ありがとう。私は大丈夫よ」


 セレナが震えるクラリーサの肩に手をやった。


「うわーん!」


 クラリーサは自分の服が泥だらけになるのも気にせず、セレナに抱き着くと、声を上げて泣き出した。アルトマンはその二人の姿を見ながら、アーベルとマリウスに声を掛けた。


「君達、この剣の保持を頼む。それと縄か何かで、彼の身の自由を制限してもらいたい」


 アルトマンは、地面に膝をついて半立ちのオーギュストを指さした。続いて泥の中でもがく男にも視線を向ける。


「それが終わったら、彼もここまで連れてきて欲しい」


 アーベルに剣を預けると、アルトマンはイレイェンの方を振り向いた。


「この地を統治する者の家族らしいが、間違いないな?」


「そうぞえ。いずれはこの地も全て妾のものぞ」


「ならば話は早い。私達に同行してもらう」


「妾をどうするつもりだえ?」


 イレイェンはアルトマンを苛立たし気に睨みつけた。


「全員泥の中へ沈めて、全て無かったことにしてやる!」


 アーベルがイレイェンに向かって叫んだ。


「ひっ! そんなことをしたら、お前達もただではすまぬぞえ!」


 イレイェンは怯えた表情をしつつも、握りしめた拳をアーベルの方へ振って見せた。


「その通りだ。このままでは済まない。領主代理にこの村を攻める理由を与えてしまった。こいつらをさっさと埋めて……」


 アーベルが他の者に同意を求めた時だ。


「不合理だ」


 そう告げたアルトマンが、アーベルに首を横に振って見せた。


「どういう意味だ?」


「わざわざ交渉相手がこちらまで来たのだ。その機会を無駄にする必要はない。先ずは相手を交渉の席につけることが、問題解決に当たっては最も重要な事なのだよ」


「交渉!?」


 驚きの声を上げたアーベルに、アルトマンは頷いて見せた。


「時として、そのために戦争すら起こる。君だって、それが目的でここまで来たのだろう?」


 アルトマンの問い掛けに、オーギュストは無言でその顔を見つめ返した。

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