第45話 七星遙はナーバス
『熾光ビッグバンプロジェクト』などとその場のノリで付けられた名称はさておき、オレの将来を左右するであろう計画が走り始めた。
夕暮さんの持ち込んだ企画には父さんも意外と乗り気で、トントン拍子に決まっていく。
父曰く、和装もまた民族衣装の一つであり、カテゴリーを超えたコラボレーションは面白い、そうだ。
そこに息子たるオレを推す意図がなかったかと言えば嘘だが、断じて贔屓ではないと言った。
専属モデルである熾光を推していくのは雑誌として当然のことであるし、この大きな企画で結果を残せなければオレの経歴に傷が付く。
くれぐれも失敗してくれるなよ、と激励をもらったオレは「失敗なんかするつもりはないよ」などと虚勢を張った。
話が決まってから一日が瞬く間に終わっていく。
やると決めたからには本気でやる。だが、やはり心の奥底に抜けない棘があり、じくじくと痛む感覚が精彩をぼかしてしまう。
それをごまかすようにして鍛錬へ没頭していたオレを、人の輪に引き戻したのは奏から頼まれたお願いが原因だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あたしにモデルのやり方を教えてほしいの。手取り足取り腰取り」
学校からの帰り際、奏がそんなことを言ってきたのは、企画が本決まりになり各々のポジションに人が当てられ始めた時だ。
オレがメインであることは確定事項であるが、この企画はオレ一人で回すモノじゃあなかった。
ソロプロジェクトを行うには貫目が足りないというワケだ。周りに引き立て役を配置してもらうことで、主役に当てるスポットライトをブーストしてもらう必要があった。
他にもカメラマンやスタイリスト等、必要な人材を挙げればキリがない。
オレのために集まってもらう人たちを前に、腑抜けた姿を晒すわけにはいかない。
いくら時間があっても足りないというのが今の心境であり、オレの答えは自然、断る形になった。
「なんでまた。オレも今は忙しいんだよね、遊びならまた今度付き合うからさ」
「遊びじゃなくてガチだよ、ガチ。ガチでモデルのやり方を教えてほしいんだってば!」
雑な回答を置いて行こうとしたオレの前に回り込み、奏が両手を広げて通行止めをする。
「ガチって何がさ」
「あたしもモデルになるってコト! 読者モデルってやつね。それではるかに訓練付けてもらおうと思って」
「へえ……」
さすがにその台詞にはオレも興味を惹かれた。
改めて上から下まで、奏の肢体に視線を巡らせる。
身長こそ足りないが、メリハリのあるボディは確かに需要があるかもしれない。顔の造りも派手ではないが、可愛らしさがあり学生の共感は得られるか。
女性はメイクで一皮も二皮も剥けるので、あとは技術や立ち振る舞いが大事だ。
どちらかと言えばモデルよりも青年誌向けのグラビアアイドル系な気はするけど。
「すごいじゃん、どこの雑誌で?」
「はるかも知ってると思うけど『stay teen』ってファッション誌」
ああ、つい最近も聞いたことのある雑誌の名前だ。
「……もしかして、そこで和服を着る予定ある?」
「詳細は聞いてないけど、はるかがそう思うならそうだと思う!」
にっこり。
満面の笑みを浮かべる奏。
オレは痛みだした額を揉みほぐす。
それはオレの企画に登場するってことじゃねえか。
「どうやって……、って夕暮さんしかいないよな。連絡先をいつの間に交換したんだ」
「会社に電話したら出たよ?」
笑みを浮かべたまま答える奏に、オレは疑問の解消を諦めた。素直に話すつもりはなさそうだ。
「良くはないけどまあいいや……。それでオレに何を教わりたいって? 夕暮さんの指示?」
「モデルとしての技術とか……諸々! 夕暮さんからは体調と食事にだけ気を付けるよう言われたけど、もうちょっと何かやれることがあるんじゃないかな、って思ってさ」
「……もう、ちょっと、か。はは」
これは参ったな。
オレは手を伸ばし、綺麗にセットされた奏の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫で崩した。
「な、なにすんのさー!」
「いやいや、あんまりにも可愛いことを言うからさ」
捕まえようとする奏の手を避けず、しっかりと頭に浸透するよう脳天を掌で抑えて、オレは奏の質問に答える。
「いいよ、奏が出来ることを教えてあげるよ」
「やったぁ! どこかお店に行く?」
「五秒で済むから大丈夫」
「……えっ?」
嬉しそうな顔から一転、間の抜けた表情へと移り変わる。
今ならよくよく伝わるだろうか。
「体調と食事に気を付けること。雇い主に従え」
「えっ、えっと……それはもちろんやるけど……」
「けど、じゃねえんだよ。それだけをやれ、つってんのが分かんねえのか」
奏の顔色が深刻に冷めていく。
ようやく気付いたらしい。トラウマとはまた別にあるオレの尖った部分を刺激していることに。
「は……はるか……」
「前にもオレは言ったよな。ちょろっと教えたらお手軽簡単にオレの横で立てるようになるとマジで思ってんのか? オレが努力して得たつもりの技術はそんな安く見えるか?」
「そういうつもりじゃ……」
「どういうつもりも、そう言ってんじゃねえか。勘弁してくれよ」
七星遙としての、男としてのプライドはもはやボロボロを通り越して皆無に近いかもしれないが、モデルとしての……『熾光』としてのプライドは未だ煌々とそびえ立っているのだ。
ここまでも失ってしまっては、オレに仕事を依頼してくれる人たちに余りにも申し訳ない。
いくら素がヘタレだとしてもプロとしての矜持がそこは譲らせない。
切欠は『メタモルフォーゼ』やコネだとしても今まで続けてこられたのは、新たなステージでの仕事を得られたのは、オレの努力だ。『メタモルフォーゼ』に左右されない技術を身に着けたからこそ得られた仕事なのだ。
顔だけで生きていけるほど甘い世界ではない。
顔が良いのは、最低条件だ。
他にどんなアルファをプラス出来るか、暗闇の中を手探りで拾い集めて来た。作り出したアルファが果たして正解なのかも分からぬまま。
だがしかし、その正しいかどうかも分からぬアルファがオレに仕事を与えてくれた。
そして世界にとって正解であることを求められている。
……その繊細な感覚を理解しない相手と仕事をするなど無理だ。
「仕事ナメるのもいい加減にしろ。言われたことも全力で取り組めないなら、降りろ」
夕暮さんもどうかしている。
気合を入れた企画にこんな素人以下の人間を入れようだなんて。その程度の入れ込みでしかなかったということか。
伝えるべきことは伝えた。
涙目に歪む奏の視線を切って、オレは背を向け
「待って!」
諦めの悪い彼女に溜め息を吐く。
腕にしがみつく姿はいつかを思い出すが、あの時とはオレの心持ちが違う。限りなく『熾光』のメンタルに近い。
オレの今後を左右する撮影まで、さほど時間は無い。こんな些事に関わる余裕もなかった。
腕にひっつく奏を振り払う直前、
「ナメてなんかないよ! 言葉を間違えたけど、ちゃんと本気でやる!」
ゆるい目尻を引き上げて彼女はそう言った。
「予想もしてなかったことだけど……。きっちり限界までやりきってから、はるかの横に立ちたいの!」
「だから、食事と体調の管理だけをしっかりやれ」
「それもやる。確かにあたしは素人以下のバカだけど、はるかの横で少しでも綺麗に写るためなら、なんでもする」
必死の想いで言葉を重ねているつもりなのかもしれないが、そんな上辺だけの必死さではオレの心に届かない。
しかし……このまま追いすがられるのも時間の無駄だ。
「そこまで言うなら一度だけ試してもいい」
奏は喜ぶかとも思ったが、さすがに学んだのか唾をゴクリと呑んだ。
「これは友人だったコネを消費しての、オレの善意だ。期待に届かなければ――」
「わかるよ、これははるかの優しさだって。どんな高い期待でも超えてみせる!」
オレたちの関係はここまでだと口にする前に、奏が台詞を遮った。
「……その口振りがすでに腹立たしいけれども」
「何を言うのさ、はるかが教えてくれたことじゃん」
その生意気な台詞は生来のものではないと?
オレの冷たい視線に、奏は精一杯の小生意気な表情を作ってみせる。
「最高の……理想のあたしは――今あたしが思い描ける理想のあたしは、はるかの想像を超えた先にいるんだから」
そして彼女は下手くそなウインクで睫毛を弾いたのだった。
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