第44話 【比良奏のターン】3rd-2

『ダメに決まってるでしょ、何を言ってるの? これはアナタを嫌いとか、そういうレベルのことじゃないから』


 あたしの要求に、夕暮彩魅はスパッとノータイムでそう切り返した。


「アカウントが流出するかもしれないけど」

『ご自由に。世間にバレて恥ずかしいことは何も発信していないし、私、仕事と遊びはしっかり分けるので』


 苦し紛れの言葉を、鼻で笑われた。

 くそう! プライベートネタで揺すれる相手だと思わなかったから、初手でマウントを取りに行ったのに!


 こう、なんだかんだで立場を上にして、なんやかんやで撮影現場に紛れ込みたかったのだ。はるかには見学断られてしまったので、こっちのルートしかツテがなかった。


「……でも世間様に恥ずかしくない、っていうのは嘘でしょ」

『しつこいわね。恥ずかしい発信なんか一度もしていないわ』

「少しぐらい部屋は片付けないと虫が湧くからね」

『…………まだ平気だから!』


 汚部屋に済む独身女性だとバレる発信を恥だと思っていないところについては、さすがのあたしも恐怖を感じた。絶対同じ建物には住みたくない。


「はあ……分かった。それじゃあ、あんたがどれほど汚い部屋に満足している感性の持ち主かを伝えておく」

『なに、何なの? その行為に何の意味があるっていうの!?』

「嫌がらせ。あたしの気分が最悪から普通になる」

『私の評価が落ちるじゃない……! 大体、七星さんとオトモダチなら彼に頼めばいいでしょう。モデルが関係者を連れてくるのは止めてないわよ』

「それが拒否されたからあんたにお願いするハメになってるんでしょ」


 そうでなければ、わざわざこんなに回りくどい手段を取る必要はない。夕暮彩魅に楔を打つ必要はあったと再認識できたが。


『……なるほど。実はそこまで仲が良い、というワケではない

「仕事とプライベートをしっかり分けているだけですぅ〜。それを理解していてもなお現場で見たいと思ってしまったあたしが悪いだけ〜」

『まあ、確かに悪いわね。下手すればアナタ犯罪者よ? 私が警察に即通報でもしてたらどうするつもりだったの』

「それでも立ち会いたい瞬間があったんだもの。見逃したら一生後悔する。あんたもその一瞬のために一年を使ったんでしょ。一年に追いつくためのリスクくらいは賭けないと」


 そう、あの話を聞いた瞬間からあたしは予感している。写真や誌上で見るだけではダメなのだと。

 この眼で捉えるべき一瞬が産まれるのを、あたしの魂が感じ取っている。


 電話の向こうから、言葉は返ってこない。


「それに対したリスクでもないからね。はるかの隣に居られる今を自分から捨てる気はないよ」


 昨日今日出逢ったばかりの相手で、物損はない。そしてこれは脅迫でもなんでもなく、お願いをしているだけ。

 たとえ通報されたとしても、夕暮彩魅の周辺地域にパトロールが増えるかあたしにちょっとした注意が来るだけだろうと見込んでいた。


 一年かけた集大成のおこぼれに預かろうとする身には、まあ、妥当なリスクではなかろうか。

 たとえ学校や親に連絡が入るとしても、逃せない場面なのだ。


 しかし、夕暮彩魅の線もダメそうだとなるとどうするか。


「どうにかスタッフとスリ変わるか……」

『ダメダメ、はいダメ、やめなさい!』


 あたしの独り言に夕暮彩魅が強く反対した。


 独り言に反応するなよ。

 あたしが舌打ちをすると、彼女は『はあーぁ』と大きく息をついた。


『分かった、分かったわ』

「なにがよ」

『アナタを放っておくと何にも良いことなさそうなのが分かった。私の権限で撮影に参加させてあげるから、法に触れそうなことはやめなさい』


 青天の霹靂、というのであったか。

 思わぬ台詞にあたしは目をしばたいた。


「それはありがたいけど……どうやって? さっきはダメだって言ってたじゃない」

『単なる見学なら、ね。アナタを撮影現場に入れる、全く問題のない手段はあるわよ。使いたくなかったけど』


 少しだけ嫌な予感と、同時に好奇心がはっきりと背筋をぞわぞわとなぞる。


『アナタを読者モデルとして採用するわ。要は当て馬ね。多少は見れる顔をしてたけど、アナタは『熾光』の横に立てる?』


 全身の産毛が逆立つ。


 そんなの――、


「立つに決まってるでしょ……!」


 はるかの前後左右天地全てをあたしの物にすべく生きてるんだから。


 仮にあたしが立たなかったとしたら、他の誰かがはるかの隣に立つということでしょう、それは。

 たったの一つでも失ってなるものか。


『ふーん……即答出来るのね。女としての自信を無くしちゃうかもよ?』

「自信なんかすでに粉々だし、どうでもいいの。はるかにだけ、女に見られていたらそれでいい」

『盲目なのか、壊れちゃってるのか……。ま、いいでしょ。今度、もう一度会いましょう。アナタとはまともに話もしていないからね』

「あの時、あたしが手助けしてあげたのに、あなたははるかしか見てなかったもんね」

『アナタたちだってそうでしょう。……そうそう、もう一人いた女のコも連れてきていいわよ。また変な電話されても困るし』

「あの子は家の事情があるから」


 とっさにあたしがごまかすと、夕暮彩魅はくすりと笑って、


『やっぱり二人一緒に来なかったら話はなかったことにして、七星くんにはアナタから脅迫されたことを伝えておくわ』

「ぐっ……」


 せっかく七海凪沙を出し抜いたのにこんなところで別の人間に足を引っ張られるとは……!


 しかも、仕返しまでされている。

 あたしたちにとって、はるかは攻撃にも防御にも使える強力なカードだが、それは相手にしても同じこと。

 お互いに弱みを握ってしまえば千日手。


 これから夕暮彩魅のフィールドに乗り込むにあたり、どうあがいても立場はあちらの方が上であり、あたしがひっくり返すには手札が足りない。

 どうにかこうにか集めた手札も、それを突きつけること自体があたしの弱みになる。それが本当のリスクだ。


 限りなく黒に近いグレーな行為をして、仕事の場面まで付いてくる女をはるかがどう思うか……。

 手段がバレなければまだセーフ、グレーな手段がバレたらかなりアウトに近いと判断している。


 勢いで行けばなんとかなるんじゃないかと希望的観測に賭けたが、腐っても社会の荒波に飲まれていた勤め人。そう上手くはいかなかった。


 はるかも言っていたではないか。

 人生、妥協が必要だと。

 大目的である撮影現場への参加は満たしたのだから、些事については妥協してやってもよかろう。


「……オーケー、分かった。はるかの前で殴り合いをするのは好意を削ぎ落とすだけ、告げ口は控えておくから部屋の掃除はこまめにして。凪沙にも今回の話をする。それで良い?」

『どうしてアナタが譲歩している風なのかはさておいて……、それで良いわ。企画が本決まりになったら連絡するから』

「連絡してこなかったら、『はるかぜうららん紀行』を名前付きでネット上にバラ撒くからね」

『……な、っ、なぁにそれ? そんな詩は知らないから構わないけれど、仕事の連絡はもちろんきちんとするわ。それじゃ、また』


 そして夕暮彩魅は逃げるように電話を切った。


 あたしはこれが詩だとは一言も言っていないが……。

 これからの高校生活において、頭をやられて書いた詩やポエムをインターネット上には残さぬよう、あたしは紫桃色の脳細胞に堅く戒めた。

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