第40話 不審者は社会人
テナントの隅から隅までを覗き込むように背伸びしたりしゃがみこんだりしている不審者である。パンツスーツの女性がやっているものだから、それはもう目立ちに目立っていた。
「どうしたの?」
「すごい怪しい人がいて」
ほら、と指差すと同時に振り向いた女性と目が合った。
やべっ、と思う間もなく駆けてきた女性がガラス越しにオレたちをじろじろと見ている。
思わずオレたちはガラスに背を向けて座り直していた。
「ねえ、この人ははるかの知り合い?」
「こんな不審者は知らないよ」
「少し早いけど、もう店出ちゃおうか」
あまりにも不気味なので席を片付け始めると、その女性は店の入口に回り込み、こちらにツカツカと歩いてくる。
その怪しさは一挙手一投足が注目の的だ。
何かを訊かれたら「知りません、人違いです」で逃げることにしよう。荷物はもう纏めてしまった。
女性はオレたちの前でヒールをカカッと揃えた。
「失礼します、
挨拶もなく先制攻撃が飛んできた。
厚みのある名刺がオレに提示される。
『stay teen編集部
「ぐえ」
まさしく今一番見たくない名称。
つーか、確実にオレを探してきてんじゃん。
頬をひきつらせて顔を上げると、夕暮さんは頭を下げた。真新しい汗の香りが散る。
「図々しいとは承知ですが、熾さんと直にお話をさせていただきたく! お願いします!」
「ちょっとちょっと、やめてやめて」
突然の大声に、店中どころか外からもガラス越しに視線を集めている。
オレが頭を上げるように言っても、夕暮さんは微動だにしない。
だんだんと増えていく見物人にオレが折れた。
「分かった分かりました、話は聞くから場所変えましょう」
「ありがとうございますっ!」
オレが言うなり顔を上げ手を取る夕暮さん。身の振り変化が素早すぎる。
一瞬、背中がぞわぞわした。
荷物を持ってオレは言った。
「でも今はそこの人たちとの時間だから、用事を済ませてからにしてください」
「もちろんです」
歓迎されていないのは明らかにも関わらず、夕暮さんは一も二もなく頷いた。つ、強い……。
オレは諦めの溜め息を吐いた。
ススス……と背中越しに奏が囁く。
「あたしも行くからね」
「いや、これは仕事の話になるから」
「そー言って新しい女を増やすのは分かってるんだから!」
そうはならんでしょ。
目の前にいるのは推定、オレに女装仕事を斡旋したがってる女だぞ。そんな、ねえ……。
一回り近く年齢の離れた相手に警鐘を鳴らす奏、実は苦いのが苦手なのかコーヒーを飲んでから顔がイガイガしている凪沙、そして今頃になってハンカチで汗を拭っている夕暮さんを引き連れて、オレは店を出た。
西遊記みたいな面子で、ぞろぞろと地下街を睨め歩くハメになるとは。
とりあえずカフェのお高い支払いは夕暮さんが持ってくれたことだけが救いだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
伊達メガネを受け取って全員で装備すると、嫌な用事は早々に済ませようということになり、近くのファミレスに移動した。
二つ並んで二人がけのテーブルを取り、片方にオレと夕暮さんが、隣に凪沙と奏が座った。
オレは解散しようとしたのだが、着いてくると言って聞かない奏に、夕暮さんもなぜか乗り気で「静かにしていてくださればごちそうしますよ」などと言うものだからこんな形になってしまった。
企画の持ち込みとかって守秘義務があるんじゃねえの?
デミグラスハンバーグセットを注文したところで軽くジャブを交わす。
「それにしても、よくオレだって分かりましたね」
撮影が終わったので、烏丸さんのようにサングラスこそしていないが、オレもいつもの姿に戻っている。
バサバサに乱れた前髪が目を隠し、さらに普段使いのバケットハットを被っている。パッと見では分からないはずだ。
夕暮さんはあたかも当然のように答えた。
「曲がりなりにも業界の人間ですから。それなりの眼は持っているつもりです」
「そりゃそうか。ところでコレってウチの事務所は知ってるんですか? オレは確かに断ったはずですけど」
「ええ、堺土マネージャーからお話は伺いました。それでも諦めきれなくて、直談判させてもらいに参りました。堺土マネージャーから、今日はここにいらっしゃると教えてもらいまして」
丸投げかよ!
何のために事務所噛ませてるのか分かんないじゃん!
「ちょっと事務所に電話します」
「ええ、どうぞ」
断ってから堺土さんに通話をかけたら最初のコールが終わるか終わらないかのところで出た。待ち構えてるなよ。
「堺土さん、どういうこと?」
『そう言うってことは、合流出来たみたいですね』
「オレは断るって言いましたよね」
『実は話が来るのは今回が初めてじゃないんですよ。この一年でオファーを五回は断っているんですが、毎回手を変え品を変え来られるんですよね。それで今回は通常の活動にも良い影響があると見込んで、熾さんに話を持っていったワケです』
「それで断ったんだから、そこで話は終わるはずでは?」
『いやあ、今回はあちらもよほど力を入れているのか、事務所に居座ってしまって。せめて熾さんとお話を、ということなので……』
「オレを売ったと」
そういえばオレの居場所を探ってきていたな。こういうことか。
『人聞きの悪い。会えなかったらこのお話はここまで。会えたら、後は夕暮さんの交渉次第とお伝えしただけですよ』
「いや、それがまんまオレを売ってるでしょうが」
『あまりにもしつこくて、つい』
「つい、じゃないですよ!」
『――この仕事、こちらとしては受けてもいいのではないかと思っているんです』
「…………え」
堺土さんの声音が変わった。
真面目に話す時の堺土さんの声がする。
『熾さんの表現の幅が広がるお仕事ですし、持ち込んできた方の熱量もある。熾さんも面白そうだと言っていたじゃないですか』
「そうですけど……」
『夕暮さんと話すことで心境に変化もあるかと考えて、遭わせてみるのも一興かと』
「なんか楽しんでます?」
『さて』
真面目な振りして遊んでやがる……。
『新しいファン層にアプローチも出来て、熾光を世に知らしめるチャンス。だとは思いますが、結局は気分屋な熾さんの気分が乗らなければ意味もありませんし、話を聞くのも仕事を受けるのもお好きになさってください。今後夕暮さんは出禁というのであれば、熾さんには近付けないように対処しますし』
「そこまでは……。言いたいことは理解しました。最終的にオレの一存で決めて構わないのであれば、堺土さんの顔を立てて話ぐらいは聞くようにします」
『それは良かったです』
「……まあ、聞かないと申し訳ない気もするし……」
オレは小声で呟いた。
電話している内に届いたオレのハンバーグはヨシとして、隣のテーブルパーティー会場を見て、オレの矜持よりも申し訳なさが先に立った。
社会人による奢りの一言で壊れちゃった女子高生二人はテーブル一杯に、フライドポテトや唐揚げ、カプレーゼやエスカルゴ等、一人では絶対頼まなそうな物を並べている。
アツアツの鉄板に乗ったステーキの横にパフェを置くと溶けるぞ。
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