第32話 七海さんと七星くんと比良さんの並び

 昼間は安く、さらに学割が効く。

 そんなカラオケボックスには豊大附属の学生もたくさんいる。


 その中をモーゼのように割り行き、あっという間に部屋を取ると、二人はオレを指定の部屋の奥に押し込んだ。


 比良さんがドリンクバーからウーロン茶を三人分持ってくる。

 七海さんはマイクを探し当てると、殺菌済の証であるビニールを剥がしてからオレに手渡した。

 オレは困惑しながらマイクに向かって話す。


「ええと……これはどういう集い?」

「なぎさがカラオケもしたことない、って言うから。それじゃあ、連れてくるしかないよね」

「子供の頃に来たことはあるけど覚えてなくて。今日は付き合ってくれてありがとね」

「お、おお……」


 オレは首を捻りつつも唐突な礼に頷いた。

 七海さんは率先して店員に話しかけていたような気もしたが、勢いに押し切られた。二人がそう言うのなら、そうなのだろう。


 まあ、カラオケは嫌いではないし、七海さんの経験に一役買うのであれば吝かではない。

 素直に言ってくれれば、あんなにガッツリ腕と指を極めずともついてきたのに。……いや、密室だから拒否していたか。


 入学式で知り合ってからまだ二週間と見るか、もう二週間と見るか、難しいところだ。


 しかし、今は何も考えずに歌うことを考えよう。すでにカラオケボックス入室済だから。


 マイクを渡されたということはオレがまず歌うべきだろうか。

 選曲タブレットをいじって目的の曲を引きずり出す。


 オレはこう見えても肉体操作のプロ。

 声の高低とて自由自在だ。オレの美声に酔いな。


「誰の曲を歌うの?」

「アニメ『夜天の宿命』第三クール、オープニングソング。Laqualiaの『tear drop』」

「えっ……? なに……?」

「シッ! 始まる!」


 地の底から魂を震わせる重低音がスピーカーから鳴り始める。いつも思うけど音質悪いゼ。


 『Laqualiaラクオリア』は女性三人組のボーカルグループで、美しい声とそれらが奏でるハーモニーの重厚感に定評がある。

 その歌唱技術とパワーを支える楽器演奏もまた切なく、それでいて確かな存在感を持つ楽曲が軒を連ねており、カラオケで歌うには非常に高難易度として知られている。


 しかしオレにとってはお茶の子さいさい。


 歌い始めると同時に、透明感のあるソプラノがスピーカーから流れ出す。

 ハイトーンでのロングブレスなど男に厳しい場面も、オレの喉は楽勝で耐えきる。声真似も得意だ。


 『メタモルフォーゼ』で三人の声を真似ているわけではない。あくまで鍛えたオレの喉をいい感じに使うことで、歌い分けている。


 そんなズルはしない。

 これはオレの歌唱技術だ。変化が間に合わない、っつーか歌ってる最中にそんな集中できないのもある。


 いつの間にか立ち上がって熱唱していたオレは、ラスサビの長い発声に息を使い切るとそのままソファに倒れ込んだ。

 採点機能がオンになっていたのか、不細工なラッパの音がどこからか届いて、テレビ画面に今の歌唱の点数が表示される。


 32点。


「なんでだよ! いつもそうだけどおかしいだろ!!!」


 この魂の歌唱がなんでこんな低得点なんだ!?

 不満を隠しきれずにオレが左右の二人を見ると、七海さんと比良さんはそっと顔を伏せた。


「……次からは採点無しにしよっか」

「その方が多く歌えるもんね」

「えっ、やめてやめてやめて! なにその反応は!?」

「遙くん」


 七海さんがオレのマイクを持つ手を静かに抑え、


「リズム感覚って、知ってる?」

「えっ? オレってそんな言葉も知らないと思われるレベルでヤバいの……?」

「あたし、はるかが本気で歌を上手くなりたいと思ってるならメトロノームをプレゼントするからいつでも言ってね」


 比良さんにトドメを刺されて、オレは頭を抱えて机にぶっ倒れた。真面目な話、ガチで凹んでいる。

 この歌については死ぬほど歌いこんでいるし、調声についても完璧。加地からも太鼓判をもらえる声を出せるようになった。


 ……そういえば、その割にはあいつはカラオケに行こうとは一度も誘わなかったな……。


「まー、とにかく。はるかと歌の特訓については、また別の機会にやるとして」

「遙くんにはね、お話があります」

「……カラオケをしに来ただけでは?」


 尋ねると、二人は顔を見合わせた。


「いや……最初はカラオケで雰囲気をほぐそうとか思ったけど、あれを聞き続けるのはちょーっとしんどいというか」

「私もそんなに歌が上手いわけじゃないから、予定を前倒しにしてもいいかな、って」

「帰る」


 あまりのいたたまれなさに席を立つと、同時に二人も床を蹴り、柔らかいとはいえないソファにオレを押し戻した。


 オレとて益荒男の血は引いている。たかが二人の女子に押されたところで何するものぞ。

 ――と、振り払うことも可能であったが、両腕に左右から抱きつく二人のなんだか柔らかいものに押されて身体ごと倒れるように抑え込まれていた。


 それを振り払うと女子に怪我をさせること間違いなし。ゆえにオレはあえて受け入れたのだ。

 比良さんはすげぇし、七海さんも以外と……。はっ、いや、これは不可抗力!


 いたしかたなく、オレは静かに身を委ね、反抗の意思をゼロにした。


「……あの、」


 ゼロにしたのだが、二人は離れる気配がない。

 腕を抱えたままもぞもぞしないでもらってよろしいか? 我、健全な男ぞ?


「あのお二人さん?」

「名前」


 七海さんが顔を上げた。


「名前がどうかした?」

「名前で呼んでほしい、って言った」

「まだ出逢って間もないのに」

「私は呼んでるし、時間は関係ないよ。……そんなに私の名前を呼ぶのが、嫌?」


 なるほど、これが上目遣い。

 こんなに間近でやられるのは初めてだが、そんな簡単に落ちると思うなよ。


 オレは必死になって目を逸らし、反対側を向いた。


 反対側には目を閉じてキスを待つ比良さんの顔があった。


「うおおおとっ!!!??? 危ねえ!!!」


 触れかけた唇を急角度で避ける。

 急角度すぎて首が折れたかもしれない。


 首の痛みに悶絶しているオレに、待機状態を解除した比良さんがのしっ、とのしかかってくる。顔が真っ赤だ。


「ちょっとはるか! 危ないってどういうこと!?」

「いやそれは言葉の綾というかいたいいたい」

「あたしじゃ不満!?」

「そうではなく!」

「あたしも名前で呼んで! あと、もらって!」

「ふええ……」


 異論の言を挟ませない怒涛の攻撃にたじたじ……というか、二人ともどうしたんだよ突然!

 オレが自分の胸を揉んだことなかったら、今頃間違いなくこのカラオケは出禁になってるからな!?


「ひ、比良さんも七海さんも、ちょっと落ち着きなよ」

「落ち着いてるよ」

「うん、冷静沈着」

「そんな状況じゃないでしょ!?」


 オレにはどうしてこうなっているのか、全く分からない。


 つい先日出逢ったばかりで、良い人と知り合いになれたな、ぐらいの距離感のつもりであった。

 こんなべたべたくっついて来られるような間柄ではないはずだ。いや七星遙としては悪い気はしないのだが。


 オレが今『熾光』であったなら、彼女たちを近寄らせるまでもなくばっさばさと捌いている。しかし仕事でも撮影でもないからか、全然切り替え出来ない。今こそあの強メンタルが必要だというのに!


 こんなに好感度を上げるイベントは何かあったっけ!?


 七海さんの場合はイベントあったけど、抱きつかれるほど爆増させたつもりはない。

 比良さんに至っては何にもしてないのに好感度が上がっている。

 なぜだ!?

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