第30話 【比良奏のターン】2nd-1
あたしは戦慄していた。
まさか七海凪沙があそこまで大胆な手段に出るとは思ってもいなかったし、それほど想いを高めつつあることを気配すら見せなかったから。
このレースで先行しているのはあたしだと考えていた。
このまま順当に、順番に、次第に仲を深めていけば、最も彼と深いところまで沈めるのはあたしだと。
七海凪沙はあたしが想像もしないショートカットを使って、あたしよりも高いところから一気に深いところまで飛び込んで来てしまった。
さすがのあたしでも、公然と口にするには勇気がいる。
男女の間で脈絡なく問われる責任という言葉には、様々な意味が附帯する。それを知っているあたしとしては、簡単に振り回せる武器ではないのだ。
そんな武器を七海凪沙は平然と使用してみせた。周囲が騒然としていても、首を傾げてみせる落ち着き様だ。
鍛えられた鉄の精神を持っているか――それとも圧倒的“覚悟”をしているか。そのいずれかでなければ、あのように静かに在ることは不可能だ。
あたしは、あたしのために七海凪沙と戦わなければならない。
生徒たちのざわめきにやってきた先生がはるかを連れてどこかへと行き、それを不思議そうに見送る七海凪沙に言う。
「なぎさ、あたしたちも少しおはなし、しようか」
大丈夫。
ちょっと混乱してしまったが、そのおかげではるかの香りを全身に纏うことができた。はるかがあたしに勇気をくれる。
真実を暴いてみせる。
あたしは七海凪沙を連れ、人のいない場所を探した。
♪ ♪ ♪
「なぎさ、どういうつもりなの?」
誰もいない学校の片隅、木々に囲われた小さな庭園であたしは早速七海凪沙を問いただした。
あたしの焦燥を知ってか知らずか、七海凪沙はゆるやかに首を傾げる。
「どういう?」
「ああもう! どういう意図があって、責任を取れ、だなんてはるかに言ったの、ってコト!」
いや、違う。
自分で言っておきながら、その言葉を否定する。
本当に聞きたいことは……、
「はるかはしてないって言ってたけど、なぎさとはるかは……その、しちゃったの!? エッチを!」
「エッチ……、…………っ!?」
オウム返しに発した言葉の意味を理解したのか、首の下から上へと顔を赤く染めていく。
「とっ、突然何を言ってるの!?」
「なぎさが始めたんでしょうが!」
「私はそういうこと言ってないよ! ……まだ早いと思うよ」
七海凪沙は目を伏せて、赤い顔のままでごにょごにょと呟く。
はいダメ!
「それ! そういう態度がいけない! ……あのね、女子が男子に責任を求めると、そーいう下の方に想像しがちなの。だから、みんな二人はエッチしたんだって勘違いしてると思うよ」
「……何でそうなるの?」
「いやタイミングとか言い方とか世間の風潮とか……いろいろ……、あたしに聞かれても分かんないけどそーゆーもんなの! はるかも先生に連れて行かれたけど、今絶対に事実確認されてるからね!?」
「ええっ! じゃあ事実にしないと遙くんが怒られちゃう!?」
「事実だとマズいの!」
なんだコレ怪物か……?
今どき性知識とそれにまつわる関係を仕入れずに生きている女子高生がいるの? いくらでもインターネットで入手可能かつ、探そうとしなくても目に入ってくる知識は多い認識だが。
しかし、と冷や汗をかきながらあたしは思い出す。
そういえばこの子は『アドセル』すら使っていなかった。情報弱者の可能性が高い。
落ち着けあたし。まだ慌てる時間じゃないはずだ。
そう、まず前提を確認しよう。
最初に結果が暴発したからこんな惨事になっているが、あたしと対立するかどうかは前提による。
あたしは木々から滾々と湧き出す自然の偉大さ、雄大なスケール、穏やかな営み、静かな力強さを深呼吸して取り入れる。
そして尋ねた。
「なぎさは、はるかのことが好きなの?」
「好きだよ?」
「それはライク!? ラブ?! どっち!?!?」
なんの気無しに答えた七海凪沙に問いを重ねる。すると彼女は腕を組み、しばし頭を悩ませる。
「うーん……人として好き……尊敬できる、と思う。ラブかどうかは……まだ分からない……かな?」
ラブじゃん、それはさぁ。ラブってるよ、気付いたら。
あたしは頭を抱えた。
思わぬ伏兵……でもないのか。
あれほど魅力的な匂いの人が、あたしだけを引っ掛けるはずがない。あたしより早く近くにいた七海凪沙が引っ掛かるのも当然だった。
恋愛レースにおいて、七海凪沙の戦闘力はとても高いと認識している。
あたしも恋愛的評価について、自分の評価を低くはないと自画自賛できる。
外見は流行りの可愛い系で小顔だし胸もある方、性格だってどちらかと言えば尽くすタイプだ。高校デビューも成功したのではないかと思っている。
翻って七海凪沙は正統派の美少女といった様子。
長い濡羽色の髪は太陽光どころか蛍光灯でもきらきらと輝くようだし、日本人形の如く切れ長に整った相貌は美しい。美しすぎて冷たい印象を与えるのは口を開くまでで、わずかに話すだけで崩れた表情から可愛らしさが覗く。
胸こそあたしの方があるけども、時と場合によっては女のあたしでも見惚れるかもしれない素養があった。
というか顔面の強さは明らかに負けている。いや、顔面の強さで言うなら当事者の中で一番強いのはあたしたちが懸想しているはるかで間違いないのだけども。
ともかく、そんなの相手に絡みを挑んだのは、七海凪沙がはるかには興味を見せていないと思っていたからだ。
あたしと七海凪沙とではタイプが違う。例え顔面勝負では相手にならなくとも、他の要素で勝負できると考えていた。
少なくとも七海凪沙がそういった方面で興味を持っていなければ。
例え、はるかが七海凪沙を好いたとしてもフラれ続ければ、近くの手頃で可愛くて好意を寄せてくれるかいがいしい女子になびくという寸法だ。
前提が崩れてしまった。それだけあたしの運命の人が良い人だってことなんだろうけど!
そんなあたしに、憮然とした七海凪沙も問いを返す。
「私ばっかり話してるけどさ。奏ちゃんは?」
「あたしはラブだよ、ラブ。ゆっくり攻略を進めようとしてたら、なぎさが爆弾を爆破したから話をしておかないといけないと思ったの!」
「話をするのはいいよ? でも、それで何が変わるの?」
上から目線で
話をしたところで一歩も引かんと態度が言っている。
思わず後ずさりしかけて、あたしは丹田に力を込めて耐え忍ぶ。攻撃を受けている。反撃しなければ。
「何も変わらないかもしれないけど、お互いの立場を知っておきたくて。あたしははるかが欲しい。選ばれたい。譲るつもりはないよ」
あたしがそう宣言をすると、七海凪沙は目を瞬かせた。
「すごいね、奏ちゃんは。私はまだそこまでは言い切れないかな」
「なら」
「――でもね、遙くんは私の料理に必要な人だと思ってるの。奏ちゃんに譲って失ってしまうのなら、私も譲ることなんて出来ないよ」
そう言う七海凪沙の瞳はきらきらと輝いていて、いわゆるヒロインの姿とはこういうものかと思い知る。
追い求める夢を持っていて、ちょっとした苦難に遭い、問題の解決を主人公と共に進めていく……。
こんなの完璧に物語のヒロインだ。
対してあたしはただ主人公に一目惚れしただけの女でしかない。ドラマチックな進行にスペックが不足している。
「……だからと言って、諦めるわけにはいかないって」
あたしは吐息に乗せて静かにぼやく。
相手がどんな強敵だろうと、あたしだってはるかには運命を感じたのだ。カタログスペックで敗色濃厚だとしても、それだけで引く気はなかった。
あたしが第二ラウンドのゴングを打ち鳴らす直前、
「私からも一つ提案があるんだけど、聴く気はない?」
七海凪沙はそよ風になびく髪を手で払って、そう言った。
「……なに? ふざけた話だったら怒るから」
「全然、真面目な話だよ」
「そういう意味じゃなくて……まあいいや、話してみてよ」
「私たち、力を合わせる必要があると思うんだ。だからお互いの思惑は一旦置いといて……、私と仲良くなろうよ奏ちゃん」
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