第29話 七海凪沙は時を止め、三次元を破壊する
今日は厄日かもしれない。
朝にチャチャくんが来たのは良い。
好感触の相手と知り合い以上の関係になれたのだからそれはヨシとする。
だが顔も名前も知らない相手から指を差されるのはちょっと辛い。今のオレはモデルでも何でもない。
朝礼の時ぐらいから感じていたが、今日は妙に視線が飛んでくる。
特定の方向からというより、色々なところからだ。
トイレに行っても視線は追いかけてくるし、なんならトイレでも覗き込まれた。悲鳴をあげて逃げていったが、あいつは誰なんだ。
昼休みに至っては、見物の人だかりが教室の外に出来ていた。トイレどころか飯も買いに行けない。
「しんど……」
「あはは、すごいねー。はいこれ、たまごサンドとドリアコロッケ灼熱地獄バーガー」
「ありが……なんだって?」
売店でオレの分まで買ってきてくれた比良さんにお礼を言いかけて、思わず問いかけた。聞いたことのない組み合わせが聞こえた。
「たまごサンドとドリアコロッケ灼熱バーガーだよ。美味しかったらあたしも食べてみたくて」
「ぐっ……確かに何でもいいって言ったけど……!」
もっと無難なものがあっただろ……! なぜオレの味覚にチャレンジを要求する……ッ? 冷めたバーガーで灼熱なんて文言は激辛と相場が決まっていて、オレは得意じゃないぞ、地獄!
目の前にちょこんと置かれた厳しいチョイスにうなだれる。
「有名人は大変だね……私のお弁当、分けてあげるよ」
「ありがとう七海さん」
後ろの席から掛けられた声にお礼を言いつつ振り返る。
しかし、その途中で頬に何か刺さった。
指だ。
爪は綺麗にやすりで削られており痛くはないが、細い指のちょっと硬いお腹がオレのほっぺたをグリグリする。
「遙くん、違うよね?」
「ちょっ、ぐにゅっ」
七海さんが何を言っているのかはすぐに察しがついた。
というより忘れられない。
今の今まで話題にも出なかったから、昨日の夜の通話は最終的に流せてなかったことになった……という都合の良い解釈をしていたのだが、終わってなかった! 言葉の強さにビビって、テキトーにゴマかして通話切ったの実は怒ってる!?
七海さんの指から逃れようとしたところ、反対側の頬にも指が刺さった。比良さんだ。
「何が違うの? あたしが知らない話?」
「昨日、奏ちゃんがお家ですやすや寝てた時に彼とおはなしをしたの。それで、その時にしたおはなしと違うよね、って」
「へえー、あたしも昨日はちょっと寝不足だったからなー。どんなおはなしをしたのか、教えてよ」
「どうして? 必要あるかな?」
世界から音という概念が一瞬消えた。
七海さんが言葉を発した瞬間、なんだか分からないが全身に寒気がした。思わず自分の手を触れると、手の甲まで鳥肌が立っている。
何か――オレは、恐ろしいことに巻き込まれていないか?
オレの顔を固定していた指が同時に外れる。
そして、机から横に飛び出していた足に軽い衝撃。
ふと見ると、想像の五十倍近くに白いシャツと比良さんの顔が存在した。えっ、でっか、えっ……えっ?
「そんなの、あたしが寝てる間にどんな話したのか知りたいだけじゃーん。内緒にしたいことだった?」
オレの太ももに腰掛けた比良さんが身体を倒し、オレの肩に腕を引っ掛けながら七海さんの机にのしかかる。
「えっ、やわら」
零れ出た感想を途中で噛み砕く。舌がちょっと千切れた可能性はある。持ってて良かった『メタモルフォーゼ』、後でいくらでも治せるぜ。
七海さんはにこりと微笑んで、
「そういうことではないけれど。遙くんには責任を取ってもらいたい、って話だよ」
今度は三次元世界の割れる音がした。今すぐ二次元世界に逃げたい。でもオレの嫁たる『リンテンシア』はこのピンチに何も応えてはくれない。
『責任……』
『責任? なんの……?』
『男女で責任って言ったら……』
『もしかして修羅場?』
『密着してる娘の他にも手を……?』
『あんな冴えない男のどこがいいんだよ!?』
この世界に男は一人で女が二人、なんてことは全く無く。
衝撃的な台詞が妙に集まってきていた人伝に拡散されていく。
真実は全く含まれていないけれど、なんかこう良くない感じの噂が走り出しそうな感じだ。オレはよく知ってるんだ、この感じ。二回目だからさ!
時間が凍結したかの如く固まっていた比良さんは、オレたちから二分遅れて時計を回し始めた。
「せ、責任って? はるかと何かしたってこと?」
「それは……」
誰もが知りたい核心を突く。オレも知りたいよ、責任って何なんだよ。
静まり返った教室の中で、誰かが唾をゴクリと呑んだ。
「私の人生設計に関わることだから」
彼女が頬を赤くしてそんなこと言うもんだから、そっちの知識がある方は概ね勘違いした。
途端に話を聞いていたほとんどの人がスマホをいじり始める。
やめてくれ! 勘違いを広めないでくれ! オレはまだ清いままです!
そう叫びだしたかったが、オレの足に座る女の子が呼吸以外の動作を許してくれなかった。
ヤバい。
何がヤバいかと言えば……、何もかもヤバいが強いて言うなら瞳がヤバい。
身体を起こした比良さんがオレの方に顔を向ける。
常日頃から快活なはずの表情が抜け落ち、この数秒で頬が痩けたようにすら見えた。その中で瞳だけは猛烈な活動をしており、針の穴みたいに小さくなった黒目が飛び交う羽虫のようにアトランダムな軌道で動いている。
身を動かすどころか、言葉を発するだけでもヤバい。死に睨まれた気分だ。うるさい心臓も出来れば止まって静かにしてほしい。
心臓が動いていることを察したのか、比良さんはオレの胸に顔を近づけた。そのまま鳩尾に額を擦り付けるようにして寄りかかってくる。
動けずにいるオレをよそにワイシャツを食い千切りかねない乱暴さでオレの胸を貪っていた比良さんが、突如立ち上がった!
「はるかっ!」
「ハイッ!」
「まだ童貞だよね!? 童貞の匂いがする!!!」
「一線を超えたことはありません!」
童貞の匂いってなんだよ、とお思いの諸氏には申し訳ないが、今ここで比良さんの質問に別の質問で返すのは死体願望のある者だけだ。
一度死んでみたかったんだと自殺出来る人だけオレに石を投げてくれていい。いや、それで死なれても困るからやらないで。
「はー……、安心した。よかった~~~!!! そうだよね、違う匂いも混じってないもんね」
などと言って再びオレの胸に顔を擦り付ける比良さんの表情は、またしても瞬時に変化していた。
地獄からの使者みたいな顔をした比良さんは消えていなくなり、今度は興奮しすぎて目が血走っている比良さんが現れた。どちらにせよ怖くはあるが、こっちの方がマシだ。
この状況を生み出した七海さんは首を傾げて言った。
「童貞、とは?」
「もうやめてください……」
さすがのオレも泣きを入れてしまった。これ以上は生きていけなくなってしまう……。
斯くして、見た目陰キャなのにサッカーはちゃめちゃに上手いやつがいるらしいよ、という噂で集まったらしい民衆に、学年でもトップクラスに可愛い女子から責任を要求された二股男として認知されてしまった次第である。酷すぎる。
先生からも詰問されたが、自分から女子に触ったこともないんだぞオレは!
マンガとゲームの知識しか無いオレにどうやって子供を作れって言うんだよ……!
知らないんです、本当です、嘘じゃありません、許してください。と泣きながら繰り返して、なんとか許してもらった。
女子の台詞に対して、男子の無力さを思い知らされた一日だった。
そして先生たちの説教で一日が終わったと思うオレは甘甘の甘ちゃんであった。
午後の授業をすっぽかすハメになったオレはとぼとぼと靴を履き、帰路に着こうとしていた。
下駄箱に突っ込んであるローファーを地面に置き、携帯靴べらで足を滑りこませる。両足を揃えたところで靴べらは下駄箱に放り入れ、そして背後から現れた何者かに腕を取られた。
「……え?」
「はるかには」
「おはなしがあります」
左腕を抱きしめて胸元で肘関節を極めているのが比良さん。
右手に指を絡ませて曲がらない方向に曲げかねない力を込めているのが七海さん。
その二人に捕らえられているのがオレ。
意識の外から産まれた悲鳴が声帯を通って唇を震わせる瞬間、冷たい手と温かい手が両側からやってきて声を口の中に閉じ込める。
「それじゃあ」
「行こうか」
妙に息の合ったコンビネーションにオレはなす術もなく、どこかへと運ばれていく。
オレはどうなってしまうのだろう。
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