第27話 【七海凪沙のターン】2nd-3

 その日の夜、私は遥くんにチャットで尋ねてみた。

 あれやこれやと文章を考えてはみたけれど、最後にはシンプルな質問になってしまった。


『スポーツ選手として身を立てるつもりはないの?』


 少しの間を空けて、明確な返事が戻ってくる。


『ないよ。どうして?』

『今日の試合を見てたら、スポーツで大成するんじゃないかと思って。遥くんも自覚はあるでしょ』


 人に頼まれてゲームに参加したり、そこで一番と言ってもいい活躍をした。自分の能力は理解しているはずだ。

 今からでも何らかのスポーツに取り組めばなんとかなっちゃうような気がしている。


 しかし遥くんは全く乗り気ではない。せっかく才能を活かせるのにもったいないな、と思ってしまう。


『うーん……。褒めてくれるのは嬉しいけど、オレはそんな大したもんじゃないよ。本気でやってる人たちには敵わない』

『私はそう思わないし、活躍してるところを見てみたいけど』


 テレビの中でもあの綺麗な立ち姿は映えるだろう。


『買い被りすぎだよ。そんな言われても本気でスポーツなんて出来ないし……参ったな』

『……大きい怪我とか抱えてた? そうだったらごめんね』

『ああ、いや、そういうことはないよ』


 言葉が途切れる。


 遥くんはここで話を終わらせたのか、それとも続けても良いのか、簡素な文面からは読み取れない。


 スマートフォンの上に指を置きかけては、やはり迷ってそっと離す。

 私が本当に聴きたいことはそうじゃないのだ。


 モデルという仕事をしている遥くんは、人生の進捗を他の同年代より先に進めている人だ。

 どうやってモデルという仕事を選んだのか、その関わり方、他の道が提示された時……彼の進み方を知ることは参考になると思った。


 パパから提示された問題の意味を未だ理解できない私には。


 セリーン!

 凍っていた『アドセル』の画面に、待ち望んだ彼の文字が浮かびあがる。


『他にやりたいことがある、ってのが一番かな。スポーツは楽しいと思うし好きだけど、本気になれないし。サッカーもボール蹴るのは好きだけど、試合は嫌いなんだよな。そんなやつがやっていいもんじゃないよ』

『そうかな。才能があるのなら、やってみたって良いんじゃない?』

『才能で喜んでる内は尚更でしょ。ちゃんと才能の上に努力を積める人がそういう道を進まなきゃ』

『じゃあさ、例えば、そのやりたいことを止めなきゃいけなくなったら。その時はスポーツの道に進むことを考えたりする?』


 私が核心に迫る問いを投げかけると、彼は可愛いイラストを返してきた。デフォルメされたハムスターが壁の後ろに隠れてこちらを窺っている。


『オレに何かしようと考えてないか……?』

『違うて!』


 慌てて返した言葉が余計な怪しさを醸し出してる!


 私は誤解を解こうと、通話ボタンを押した。

 異様に長いコールの後にようやく遥くんが出る。


「もしもし遥くん!?」

『オレを酷い目に遭わせるつもりなんだろ! エロ同人みたいに!』

「遥くん?!」

『いやごめん、言ってみたかっただけ。……本当に言葉にも出来ないこと考えてないよね?』

「私をどういう目で見てるの? あとエロ同人って何?」


 たぶん下ネタなんだと思う。今まで一度も言われたことがないので新鮮だ。


『それはともかく、話の続きだけど』


 後で改めて確認しようと考えながら、「うん」と先を促す。


『やりたいことを止めなきゃいけない状況が分かんないけど、やる気が消えたわけじゃないなら、続けるか新しく始める手段を探すと思うよ』

「監視者がいて、課題をクリアするまで禁止って言われたら?」

『課題をクリアするかな。やりたいことに附帯してやりたくないことが発生するのは、全ての事象に起こり得ることだし』


「その課題の意味が分からなかったら?」

『クリアする意味ってこと?』

「課題そのもの。何をどうすればいいか分からない課題だったら」

『う〜ん……』


 逸る私に対して、髪の毛の先端をいじっているような間を置いて、遙くんはゆっくりと考えるように言葉を重ねる。


『その課題は必ずクリアしなきゃいけない、そういう認識でいいのかな』

「……うん、そうなるかな」

『そしてクリアの条件が全く分からない課題である?』

「えっと、クリアの条件は明確に示されてるの。ただ、その条件を理解できないというか……。どうしたらその条件を満たせるか分からない感じ」

『なるほど……それだけ分かってるならやることは単純だね』

「えっ?」


 私は何もかも分からないことしか伝えていないのに、何が分かったのかが分からない。禅問答?

 混乱する私をよそに、遙くんはしれっと答えた。


『予想できる条件も、想定外の事案も、全部思いつく限り、片っ端から潰していく。それしかないよ。そのうち正解を引ける』


 一ヶ月もあれば終わるっしょ。あたかもそんな気乗りで言う遙くんの台詞に、私はゴクリと唾を呑んだ。


「……その中に正解が存在しないとしても?」

『そんなこと考える必要なくない?』


 彼はあっさりと私の疑問を一蹴した。


『だって、正解があろうがなかろうが、やるしか先に進む方法ないんだから。進んだ先で完璧なヒントを見つけたなら、そこで方針を転換すればいい』


 短い台詞は、私が膨らませていた悩みの種を鋭く突いた。悩みは風船のようにパンと割れ、弾けた衝撃で思考が一瞬クリアになる。


 そうか。悩む時間すらもったいない。

 ルートも目的地も分からないのであれば、手探りでもとにかく一歩を踏み出すしかない。


 結果的には、私の進んできた道は間違っていなかったのかもしれない。

 遙くんに言われて、私は自分をそう認められた。


「遙くんは……、そうやって選んで進んできたんだ……」

『オレ? 他人事だからこう言えるけど、オレは逃げっぱなしだよ。課題は放置して、先に進める別の道を探しちゃう』


 はは、と乾いた笑い声を電子音声で添える。


『相談には乗るし、それっぽいことも言えるけど、オレの意見なんか何にも参考にしない方がいいよ。基本的にオレは上っ面ばっか取り繕うのが得意な人間だからさ』

「そうかな……。中身が無いとは思わないし、参考にさせてもらいたい話をいくつも教えてくれた。自己評価が低いよ、遙くん」

『七海さんの評価が高くて恐れ入るね』


 謙虚を通り越して卑屈にも聞こえる、遙くんはどこか投げやりな言葉で応えた。

 私ではない、どこかの誰かに向けているような、遠い声。


 その、私に興味が無さそうな声音にムッとして、


「遙くん!」

『……突然大声でどしたのさ。びっくりした』

「私のことも名前で呼んで!」

『突然どしたのさ、びっくりした』

「ちょっと!? お返事が雑すぎるよ!」


 私の抗議に、くすりと掠れた声で遙くんが言う。


『いや、突然のことにおどろいたから。そりゃ、そう返すよ。それで突然どうしたの』

「遙くん、遊んでるでしょ!」

『遊んでないない。ほら、何で?』


 それはもちろん……腹が立ったからだ。


 遙くんをすごい人だと思っているのは確かに私の感想だ。

 彼からすれば実際はどうあれ、自分の何もかもに大した価値を感じていないのかもしれない。


 それでも私のパパは遙くんの言葉を受け病院に行き、壊す寸前だった左肩を救ってもらった。

 彼の言葉は私の家族を救ってくれたのだ。


 私の悩みに対しても、遙くんがテキトーな言葉をつらつら並べているとは思わない。

 私の抽象的な質問に対して、きちんと回答を用意してくれた。わざわざ時間を割いてくれる時点で感謝せねばなるまい。


 だが、その回答で満足しようとしていた私に砂をかけてきたのも遙くんだ。

 言う必要のない言葉でわざわざ価値を落として、無責任な男その一に成り下がろうとしている。


 そのくせ、声の裏側に隠した寂しさが滲み出している。


 人を遠ざけるような言葉回しをするのはなんで?


 これで腹が立たないとは魚の腹をかっさばいても言えない。

 赤の他人に腹を立てたのは初めてかもしれなかった。胸から奔る血流が不規則に疼いた。不整脈だ。


 遙くんは、あまりにも自分勝手すぎる。

 勝手に私から、遙くんへの信用を奪おうとしている。どうして?


 出逢って間もないけれど、遙くんのことを知る度に知らないことを知る方が多くなっていく。

 彼の袖を捕まえたと思ったら見えない帳が現れて、姿を覆い隠してしまう。不思議な人だ。


 本当の遙くんは、どこ? どんな人なの?


 私は慎重に言葉を選び、舌の上で調理する。


「遙くんには責任を取ってもらうことにしました」

『……は?』

「遙くんが私に無責任な行為をするのは、私に興味がない上辺だけの関係だから、そういうことでしょ?」

『待って待って、ちょっと待って! 人聞き悪すぎない!?』

「もっと親交を深めれば、遙くんは責任を取ってくれると思うの」

『分かって言ってんだろ!?』


 彼が何をこんなに焦っているのかは不明だ。そんなに焦るようなこと、私は言っていないはずだけど。


「私は遙くんを名前で呼んでいるのに、遙くんは呼んでくれない。これでは不公平じゃない?」

『話の流れでそうなっただけで、そういう仲じゃないじゃん!』

「……なんだ、そんな些細なこと気にしてたんだ。私はそういう仲になりたいから、呼んでほしいよ」


 勝手に無責任な男の役割を被って、舞台から消えていこうとするなんて許さない。

 もう私の人生ぶたいの幕は上がり、すでに遙くんは重大な役目を果たしている。しかし、そこで出番が終わり、だなんて思わないでほしい。


 重要な人物には最期まで重要な役割を担ってもらう、それが当然の話。


「責任……、取ってくれるよね?」


 ――遙くん。きみこそが『七海凪沙』という料理における“レシピ”なのかもしれないのだから。

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