第26話 【七海凪沙のターン】2nd-2

 遙くんが連れてきてくれたのは、駅前のコーヒーショップだった。


 店先のメニューには魔法の呪文みたいな言葉が並んでいる。

 うちも洋食を扱っているが、メニューはジャパンナイズドされていて短くまとめている。

 少し覚える自信がない私と違って二人は慣れているようだ。


 奏ちゃんが季節物らしき商品を「これは今季絶対試さなきゃ損!」と言っていたので、彼女と同じ物を遙くんにお願いする。

 まとめて注文してきてくれるとのこと。


 注文を頼んでいる間に、私と奏ちゃんは四人がけの席を取り、並んで奥側に座った。


「私、こういうところに来るの初めて」


 椅子に腰を据えて落ち着く。内装を見渡しながらそう零すと、奏ちゃんは意表を突かれたように目を瞬かせた。


「ああ、でもそっか。お家があんなに良いお店だと、他の飲食店なんか行かないかもね」

「それもあるけど、パパの料理を真似したくてずっとキッチンに入り浸りだったから。友達と出掛けることってあんまりなくて」

「へー、それじゃ別の店も行かないとね」


 その回答に、今度は私が不意を突かれた。


「別の店?」


 突然飛び出してきた知らない概念に、思わず言葉をそのまま返してしまう。

 すると奏ちゃんは咳払いをして、真面目に仰々しい態度を取って胸を張った。


「おほん。なぎさクン、きみのお店で出る料理以外にもこの世の中には食べるべきもの、飲むべきもの、感じるべきものが数え切れないほどあるのだよ。それをあたしが教えて進ぜようではあーりませんか!」


 それからトレイを持ってやってくる遥くんを示す。


「今日のところはアレからだね」

「え、何? お待たせ」

「思ったより早かったね、って」

「ああ、うん、今日は空いてたから」

「そうなんだ。ありがとう」


 トレイをテーブルに置いて、遥くんが対面に座る。


 こうして正面から彼を見ると、とてもサッカーの試合であんなにも活躍した人とは分からない風貌をしている。

 線が細くて、輪郭も女性のようだ。長い前髪と分厚い眼鏡はスポーツをやるには不向きに思える。


 サッカーはラグビーやお相撲ほどじゃないにせよ、激しい接触のあるスポーツだった。

 どう考えても見た目からは明らかに向いていないはずなのに、八面六臂の活躍をしてみせる。


 実はモデルなんかよりもスポーツの方面に進んだ方が才能を発揮するのではないだろうか。


「ぼーっとしちゃってどうしたのさ。飲まないの?」

「……えっと、やっぱり初めてのところだから少し緊張してるかも。これから飲むよ……うっ!」


 奏ちゃんの呼び掛けにハッとして、眼前に置かれたそれを認識する。そして思わず呻き声が漏れた。


 山のように盛られたホイップクリームにチョコレートらしきものが網の目も見えないほど何重にも掛けられている。

 テレビでしか見たことのないようなデザートだ。……飲み物?


「あの、これって」

「うん、オレの奢り。今日は二人とも応援に来てくれてありがとうな。おかげでやる気出たよ」

「いや〜、誘ってくれたからいいモノ見れたし! はるかスゴかったよねー!」

「えっ、あっ、うん……。遥くんはすごかったよ。コレと同じくらい……」


 手を付ける覚悟が出来ぬ中、同じ物を頼んだ奏ちゃんは真ん中に刺さったストローにスッと口を付けた。えっ、このホイップクリームをストローで?


 あまりの惨劇に慄いていると、遙くんが訝しげに見ていた。


 せっかくの好意なのに手を付けずにいるのは申し訳ない。分からなかったとはいえ、私が選んだものだし……!

 覚悟を決めて、えいやとストローを咥えた。


「……美味しい……かも?」


 想像していた暴力的なねっとりした甘さではなく、するすると飲めてしまう冷たい液体が口中に広がった。

 果実的な酸味と爽やかな甘味にわずかな塩味、香ばしい苦味が絶妙に合わさった、ちょっと飲んだことのない味覚細胞を刺激する味だ。どこかで覚えのある香りも鼻腔を抜けて心地よい。


「そーなのよ、コレ美味しいの。すっごい春っぽい味だよね!」


 奏ちゃんがにっこり笑い、ストローをぐるぐる回してクリームを溶かしていく。


 フルーティーな爽やかさが春っぽさなのかな、と首を捻る。ともかく彼女を真似してホイップクリームを溶かしてみる。そのまま食べるのではなくて少し安心した。


 緩和されたまろやかな甘味とチョコソースの深味が加わり、味に深遠な複雑が付加された。細かに表現する語彙が不足しているけれど、総括すれば美味しくなった気がする。


 しかし、これを『Seven Seas』で出せるかと言われると……。


「うん、これは確かにウチじゃ出せないなー」

「なぎさのお店で出すなら試しに行かなきゃならないけどねー。あっても倍ぐらいの値段になりそーだよ」


 美味しいけど、これは『Seven Seas』の味に出来ないと思った。

 奏ちゃんの言うように価格の面でもそうだし、これは単体で満足感を得られるように作られている気がする。デザートにするのならともかく、料理を引き立てる、あるいは味覚を一度リセットする目的ではどうあってもこれは出せない。


 『Seven Seas』の味だけを追っていたら、確かに出会えない味だ。


 かと言ってそれが私にとって無価値とは断じられない。

 パパの料理で育ってきた私が普通に美味しいと感じているのだから。


「突然市場調査が始まって驚いてるよ、オレは。新メニューでも考えてるの?」


 遙くんが紙コップを口元で傾けながら訊いてくる。

 それに奏ちゃんが身を乗り出して応える。


「なぎさがモクバーガーもミセドも行ったことない、って言うから連れて行かなきゃってコト! 箱入りだから、お家の味しか知らないんだってさ」

「……なるほど。まー、そりゃそうだよな。家に帰ったらあんだけ美味いご飯があるのに、外で飯は食べないか。……よく考えたらお礼で飲食店は失敗したか?」


 彼が小声でぼそりと呟いた内容に私は慌てて手を振った。


「ううん、初めての場所に連れてきてもらって楽しいよ。これも美味しいと思うし」

「そうそう。色々な店の季節商品を制覇しなきゃ! 世界中の食を楽しむには人生が短すぎるって言うじゃん、今から本気出してかないとねー」

「誰の言葉?」

「覚えてないから、あたしの言葉にする。感銘を受けましたか? はいかイエスで答えてください」

「良い言葉だってことに異存はないよ」


 明後日の方向を見て答える遙くんに、奏ちゃんが肩を震わせて地団駄を踏んだ。


「はるか~! すなおじゃない~っ!」

「おまっ、テーブルを蹴るな!」

「はるかがそっちに座るから足が届かないの!」

「オレの足も蹴るなよ!?」


 騒々しいやりとりに、私は溢しそうになった笑い声を手のひらで掬い上げて口元に戻す。

 代わりに自らの意志ある言葉を、勇気を出して紡ぐ。


「奏ちゃん、遙くん。今度は美味しい食べ物のお店、教えてもらっても……いい?」


 そう訊くと、テーブルの下で争っていた二人は、目を見合わせた。


「もちろん良いけど……参ったな、オレ『Seven Seas』より美味いトコあんまし知らないぞ」

「はるかー、そうじゃないんだって! なぎさの味覚図鑑への登録数を増やすことが目的なんだから、わざわざ味を比較する必要なし! どうせなら地雷も混ぜていこうよ」

「それならイケるな。映えるけど微妙な店なら色々連れていってもらったから教えられるよ」

「いいねー! 誰と行ったの?」

「仕事の知り合いに誘われて」

「あっ、そう。ふーん、なるほど、そうなんだ。行ったところ、全部教えてね」


 なんだかロクでもない店に連れて行かれそうな雰囲気になっている。


「あの……その、お手柔らかにね?」


 私は苦笑を隠せず、変な顔になったまま二人に懇願した。

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